ワスレナグサと思い


「……やはり、メリューは何も伝えずに別れたのね。まあ、彼女のことだからそうなると思っていたけれど、いざ実際にそうやられると困った話ね、やはり、私に相談をしてきた段階で話をしておくべきだった」


 声を聴いて俺は振り返った。

 そこに立っていたのはメイド服姿のティアさんだった。


「ティア……さん?」


「私は言ったはずなのよ、メリューに。『ボルケイノを閉める』のならば、従業員にその説明をしなさい。それをするのは、ここを任されたあなたの役目なのだから、と」


「ボルケイノを……閉める、だって?」


 俺はティアさんの言った言葉が理解できなかった。

 だって、そうだろ? 唐突にそういわれても理解できるはずがない。

 ティアさんの話は続く。


「メリューからボルケイノを続けていく理由については聞いただろう? メリューはそれを達成したと言った。そして、私の父もそれについて認めるだろう。今、メリューは私の父のもとへと向かっているはずだから」


「メリューさんの……このボルケイノの目的――」


 俺は思い出す。

 かつてメリューさんから語られた、ボルケイノの目的。

 それは世界中の人々を笑顔で溢れさせること。

 そんなこと、簡単に実現するはずがない!

 まだ、やり残したことだってたくさんあるじゃないか!


「……まあ、あんたが怒る気持ちも解らなくはないのだけれど、このままだともう終わりだよ。メリューが真意を告げて、私の父が了承する。そうすれば、ボルケイノの異空間は消滅し、この世界とつなぐ『扉』も消失する。そうなれば、あんたは二度とボルケイノに行くことはできなくなる」


「俺に……何ができる?」


 立ちあがることしかできなかった。

 ティアさんに聞くことしか、俺はできなかった。

 深い溜息を吐いて、ティアさんは言った。


「……そこまで言うなら、止めるか? メリューの発言を」


「え?」


 ティアさんの言葉は予想外のものだった。

 まさか、そんなことをティアさんが言ってくるとは思いもしなかったからだ。

 ティアさんの話は続く。


「何もまだメリューは私の父に正式に伝えたわけではない。今回のことは、まだ本人は伝えていないのだ。だから、メリュー本人が直々に私の父に会いに行っているだけのこと。だから、メリューと私の父との邂逅を防げばいい。止めればいい。それで、話し合えばいい。そうすれば、まだ可能性はできるだろう」


「……でも、そんなことを、してもいいのか?」


 踵を返すティアさんに、俺は言った。


「……ここで何もしなかったら、男が廃るぞ、ケイタ?」


 ティアさんは再びこちらに顔を向けると、まるで嬉しそうに笑みを浮かべていた。



 ◇◇◇



 私はドラゴンの山を登っていた。

 まさかこれほど早くこの山を登ることになろうとは思いもしなかった。

 なぜ私が登っているか――正確に言えば、この山を登る理由はただ一つ。

 私をボルケイノに送り込んだあのドラゴンに、目的を達成したということを伝えに行く。

 それが、私がここにやってきた理由だった。


「……もう少しだ」


 そう言って、私は一歩一歩進み続ける。

 その先に――何が待ち受けていようとも、もう私は覚悟を決めているつもりだった。



 ◇◇◇



「どうやって行くんだ?」


「だから言っているだろう。これを使うんだよ、これ」


 俺はティアさんの目の前にあるものを、改めて見つめる。

 それはフラフープのような穴だった。しかしながら、その穴の向こうは俺のよく知る場所――すなわち、穴が貫通していなくて、別の場所へとつながっていた。


「これを通れば、メリューの目の前に到着するはず。思いを伝えてきなさい。きっとそうすれば、きっと彼女も理解してくれるはず」


「ちょっと待ってくれ。まだ踏ん切りがつかなくて……」


 俺は突然のことに、普段の対処ができなかった。

 どうすればいいのか。どうやればいいのか。

 そのことについて、ただじっと悩んでいたのだ。

 何を考えているのか。今思えば、あほらしい話だ。

 だって、考えてみろ。

 俺はメリューさんに話を聞きたくてここに来たんだぜ?

 なんで今更逃げ出すんだよ。訳が分からねえよ。

 さあ、走り出せよケイタ。お前は主人公だ。お前はお前の世界の、お前の物語の主人公だ。お前が走らずとも走っても、世界は進んでいく。お前の考え、選択で世界はどこへでも向かっていくさ。それこそ、繁栄するか滅亡するか、まで。


「決心がついたようなら、さっさと行ってくるがいい」


 そう言ってティアさんは後ろの穴を指さした。


「ティアさんは……?」


「私は付け入るスキなんてないから。ただ、見守ってあげるよ。だってこれは、あなたの物語なのでしょう? あのボルケイノを生かすも殺すも、今はあんたの選択にかかっているわけよ」


 それは間違いなかった。

 俺はメリューさんに聞きたかった。

 どうしてあんなことをしたのか、その真意を。

 俺の考えが、もしメリューさんの考えとイコールならば……!


「さあ、行ってこい!! ケイタ!!」


 そして、俺は。

 穴の中に飛び込んでいった。



 ◇◇◇



 私は門の前に到着した。


「それにしても……私が来ないしばらくの間に、こんな立派な門を作り上げちゃって。まあ……。もしかしたら作ったのは、人間なのかもしれないけれどね。ドラゴンに畏怖して、祠みたく祀り上げたのかも。ああ、その可能性は十分にあり得るな」


 まあ、そんな疑問はどうだっていい。

 今は、目的がある。それを早急に達成せねば。


「メリューさん、待ってくれ」



 ――私がその声を聴いたのは、ちょうどその時だった。



 そんなはずがない。

 その声は、ここに居る人間じゃない。

 もし来られたとして、どうしてここが解った?


「……メリューさんですよね? こっちを向いてください!」


 私は、恐る恐る振り返った。

 ああ、やっぱりそうだった。

 徐々に見えてくる姿を見ながら、私はただ小さく溜息を吐くことしかできなかった。

 私の背後に立っていたのは、私に声をかけたのは、私の予想通り、ケイタだった。


「メリューさん……どうして、急に辞めようとしたんですか。俺に言わずに!」


「……それは申し訳ないと思っている。だが、目的は達成できた。私としては、これで十分だ。これで人間に戻ることができるのだから」


「目的……『世界中の人々に笑顔を与える』ですよね。そんなこと、簡単に達成できるんですか!」


「……達成、できた」


 私は、それしかいうことができなかった。

 対して、ケイタははっきりとした口調で言った。


「そんなこと、嘘じゃないですか!」


 ケイタの激昂に、私は思わず身体を震わせてしまった。……アハハ、ハズカシイな。私はずっと、ケイタを偉そうに先輩ぶっていたのに、こんなんじゃだめじゃないか。

 ケイタはさらに続けた。


「だって、あなたが笑ってない」


 ……。

 私は何も言えなかった。

 私は何も、言えなかった!

 私の頬を伝う、温かい何か。

 それが何であるか、もう言うまでもなかった。


「……あなたは笑っていない。たとえ、それがあなたの決めた答えであったとしても! ボルケイノの目的を達成していない! それを俺は許せない!」


「そうかもしれない。……けれど、けれど、そうであったとしても、もう決めたことなのよ!!」


「ワスレナグサ」


「……!」


「あの花を出した真意を教えてください」


「……あれは……!」


 私は、頷いた。

 そして、ケイタがゆっくりと近づいて――。

 ケイタの唇と私の唇が、触れた。

 ケイタは、言った。


「戻りましょう、メリューさん。まだ、俺達には出来ることがあるはずです。諦めちゃだめですよ」


「……ああ、そうだな」


 そして私は、ケイタの手を取った。



 ◇◇◇



「……結局、あの女は何がしたかったんだ?」


「聞きたいですか?」


 岩山の上。大きなドラゴンとティアが話をしていた。ドラゴンはティアの父だった。


「ああ、できることなら聞きたいね」


「昨日、私に言ったんですよ。もう目的は達成できたと思う。だからボルケイノを畳もうと考えている、と。たぶん疲れていたのでしょう。それに、彼女はもうそれなりの年齢ですからね。恋愛だってしたいでしょうし。……けれど、彼女的にはマズイと思ったのでしょうねえ。だって、彼女の恋は、そう簡単にかないっこないですし、しかも、どちらかといえば不可能に近い壁があったわけですから。一目ぼれ、ってやつですよ。まったく、人間って恐ろしいですよ」


「……なるほど。それで? 誰に恋をしていたんだ?」


「……え? お父様、まさかこのやり取りで全然わからなかったのですか!?」


「え、あ、ああ……。まったく、解らなかったぞ」


 父親の言葉を聞くと、ティアは頬を膨らませた。


「ほんとう、お父様はそういうことに関しては鈍感ですね。まあ、別にいいですけれど」


「……すまん、ティア。お前が何を言っているのか、私にはさっぱりだが……」


「ところで、また続けてもいいですよね? ドラゴンメイド喫茶!」


「ああ、かまわないよ」


 父親は笑みを浮かべて、言った。


「ありがとう、もう少しだけ二人の様子を見たくなったの。もちろん、ボルケイノの目的もしっかりと達成できるように頑張ります」


「ああ、よろしく頼むよ」


 そして、二匹のドラゴンの会話は終了した。

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