一日目 荘川桜(その二)

 風太が断言できるとした理由は、彼女の容姿にあった。


 花のような美しさと可憐さを両立する一方で、神々しいまでの清らかさがあり。


 どれだけ高級な糸を使ったのかと。光沢に富んだ艶やかな白やピンク、金などの糸で仕立てあげられた見目うるわしい着物と帯を、素人である風太が見ても完璧に着つけ。


 頭だけを包み込むミディアムボブの淡い桜の花びらのごとき色の髪。色濃い、沖縄のヒカンサクラを喚起させる、透きとおるような桃色の瞳からなる姿は、おなじ人間とは思えないほどの気品にあふれている。


 というのが、桜吹雪が舞い散る二本の桜の木のあいだで、桜花を見上げている彼女に風太が抱いた印象だった。


 数多くの花見客でごったがえしているなかであったとしても、とても見逃すとは思えないほどに、彼女には途方もない存在感が備わっていた。


 見た目から推測するに、小学校高学年か中学生一年生あたりと思われる。

 彼女の身長は風太の三分の二ほどだろうか?

 いずれにせよ、風太より年齢が上には見えない。


 にもかかわらず、子どもそのものである見た目とまったくつりあっていない、これまでに出会ってきたどの大人も発していなかった彼女のまとう雰囲気が、風太の目をくぎづけにさせる。


 「・・・おぬし、もしかしてわらわが見えておるのか?」


 五メートルほど離れた場所から見とれていた風太に気がついた彼女は、江戸時代とかのお姫様のようなしゃべり方と好奇に彩られた瞳を、まるで隠そうともせずに向こうから話しかけてきた。


 「・・・・・・」


 尋常ならざる彼女の雰囲気と時代錯誤の物言いに、風太は呆気にとられる。

 彼女の言葉のおかしさにも気がつけないほどだった。


 ずんずんと風太との距離を詰める彼女。 


 「答えよ。おぬしはわらわが見えておるのか?」


 彼女はまるで躊躇することなく、眉目秀麗な顔を風太の顔のすぐ傍に近づけてきた。

 まるで、キスを求めるかのように。


 その瞬間、風太のなかのなにかが強烈に警告を発する。

 彼女は人間ごときが絶対に冒してはならない存在なのだと。


 根拠は欠片もないが強く、さらに強く、重ねて強く風太はそう思ったのである。


 「う、うん。見えるよ」


 完全に彼女に気圧されていた風太は視線を泳がせる。


 泳がせた後でようやくそのことを風太は不思議に思った。

 これだけ豪華絢爛。きらびやかな着物を着つけ、神がかった美貌の持ち主である彼女を風太以外の誰もが見向きすらしないということに。


 彼女を横目に見ることなく花見客らは、荘川桜の美しさに見入っている。


 こちらに視線を投げかける人もなかにはいたが、それは思いがけず謎の彼女に迫られ一人で狼狽している挙動不審な風太を訝しげに見ているだけだ。

 向けられる視線でわかる。


 荘川桜の存在感に勝るとも劣ることはない彼女の姿を、風太以外は誰もその目に捉えてはいないようだった。


 「どれくらいぶりかのう?わらわのことが見える人間に出会ったのは。ここにくれば面白いことが起きるという予感は本当じゃったわ・・・信仰心がいまよりも強かった昔はそれなりにいたのじゃがのう。寂しい限りじゃ」


 薄寂しげに彼女は言う。

 誰にも見向きされない。

 それがごく当たり前であるかのように。


 「にしても何じゃ、耳のそれは。いまどきの若者はそういうのが流行っておるのか?」


 頭を左に傾げながらも、あどけない真顔と古めかしい言葉づかいで彼女は風太に聞いてくる。


 (いまどきの若者って。君はぼくより年下に見えるんだけど・・・あれ?なんで彼女の声がストレートに聞こえてくるんだ。イヤホンつけているのに・・・)


 心の中で風太は奇妙に思った。


 彼女の声は、普通なら流れ続ける音楽に遮られてほとんど聞こえてこないはずだ。

 なのに何故か、音楽をまったく意に介することなく普通に聞こえてくるのである。

 彼女の声と音楽が入れ替わったかのようだった。


 いまにして思えば、最初はいまよりもっと距離が離れていたはずだ。それでもなんの支障もなく、彼女の声が耳にとどいていたことに、ようやく風太は思い至った。


 彼女の声通りが良すぎる理由はまったく見当がつかないけど、彼女を目のまえにした風太はイヤホンを両耳から外した。


 無論、スマホの画面を操作しながら人と話すのは、著しくマナーに欠ける行為だ。


 基本的に風太は非常識な振る舞いというものを嫌っている。


 外出中は常にイヤホンを耳につけ、大音量で音楽を聴くという行為は風太にとって譲ることが不可能な心の防衛策だ。けれどそのことを知らない人から見れば、非常識極まりない行為に見えることだろう。さっきの人みたいに。


 だからこそ風太は、これ以外の非常識な言動を厳に慎むことを由としてきた。

 親代わりの人の影響も多分にある。


 「いや、これはぼくだけがやっていることだから・・・君はアイドルかなにかなの?」


 個人的にあまり触れられたくはない話題だったので、話の道筋を変えるために風太は、彼女の容姿から連想される言葉を口にした。


 周囲の反応からすれば矛盾するが、これだけ派手な見た目をした彼女である。

 アイドルか、女優か、ファッションモデルか?


 なににせよ、彼女の顔立ちと格好から風太は、人々の視線を一身に浴びる三つの職業を勝手に思い描いていた。


 アイドルならば発声練習も日常的におこなっているだろうから、イヤホン越しに声がとどいた理由も、かなり強引ではあるが説明がつく。


 「アイドル、じゃと?・・・ああ、大勢の人前で歌や踊りを披露するあれか。まあ、人々の眼差しを一身に受けるという点では当たらずも遠からずといったところかの。わらわは春の神じゃ」


 いささかの照れも見せることなく、自らを神と称した彼女。


 「春の、神・・・さま?」


 たった一言で風太の困惑は頂点に達したが、同時に彼女の言葉にひと欠片の嘘も含まれていないことに気がついた。


 それどころか、ここまで澄みきった透明感を有する言葉を、風太はいままで一度も耳にした記憶がない。


 人間が自分のことを人間と呼ぶような、至極当たりまえの物言いに聞こえたのである。


 「そうじゃ。わらわは春の神なのじゃ」


 右手のひらを胸に当て。誇らしげに両目を閉じ。春の青空の下で声高らかに彼女は二度同じ言葉を繰り返した。


 それでも風太は、彼女の言うことを百パーセント信じた訳ではなかった。


 自称春の神様の彼女がただ者ではないなかのただ者ではないのは、風太の直感が告げるところである。


 しかし、いままで自らを嘘いつわりなく神様と呼ぶ人に出会ったことのない風太としては、彼女の言い分を完全に鵜呑にはできなかったのである。

 

 「ふむ。その顔はまだ完全には信じておらぬな・・・まったくいま時の人間ときたら。昔は必ずしもこうではなかったのにのう・・・ん?」


 わずかに拗ねたように言った後でなにかに気がついたような彼女は、風太の目を覗きこむように上目遣いで凝視する。


 通販番組の映像でしか見たことはないけど、まるでピンクダイヤモンドのような透きとおった桃色の瞳。


 その目でもって、目の奥にある見えないなにかを探るかのように、彼女は風太の目を見つめ続ける。


 「・・・ほう。とても珍しい生まれをしている者に出会えたわ・・・うむ、決めた。今回はそなたに決めたぞよ」

 「え?決めたって、何を・・・」

 「この出会いを祝し、特別にわらわの住みかへお主を連れていってやろう。普段は絶対に人間が足を踏み入れられぬ場所じゃ。光栄に思うのじゃな」


 風太の言うことをまったく無視し彼女は、右手を青空に向かってすっ、と伸ばした。

 直後、おびただしい量の桜吹雪が彼女を中心にして吹き荒れる。


 荘川桜が完全に散ってしまう。

 風太が心から心配するほどの規模だった。

 これだけの規模なら吹雪と言うより、桜雪崩と言ったほうが適当だろう。


 「うわああああああっ」


 あまりに凄まじい桜色の奔流に、叫び声を上げながら風太は両目を閉じ、顔を両手で庇った。

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