花に風

世乃中ヒロ

一日目 荘川桜(その一)

 春の日差しがふりそそぐ世間は、五月の大型連休の初日を迎えていた。


 一年のうちで海外だ。テーマパークだ。温泉だ。と、個人や家族、あるいは会社やサークルなどの団体で、日本人が活発に動きまわる時期のひとつであり、日本と一部の海外にとっては経済的な恩恵のある期間。

 五十嵐風太はゴールデンウィークのことをそう定義つけていた。


 出発地こそおのおの違えど、目的地は同じであった江戸時代の伊勢神宮参りとは違い、出発地も目的地もてんでばらばらな現代の民族移動は、大学生である風太の周囲でも例外ではなかった。


 サークルの仲間たちで旅行にいく。あるいは実家に帰省するなどといった流れが発生している。


 全国的なうねりの中、彼女もおらず、ひとり暮らしの風太は、日帰りの旅にでることを以前から決めていた。


 桜を見たいというのが大前提としてあったので、具体的な場所は五月の上旬にできれば満開の桜の花を見ることができて、なおかつ金銭的な問題から、風太がいま通っている大学がある名古屋からかけ離れていない場所という条件から探索。


 五月第一週ということもあって、候補地は北海道か東北が中心だったが、条件に合致する場所として、滋賀県の世界遺産である比叡山延暦寺の桜か。

 岐阜県の飛騨地方にある、御母衣みぼろダム湖畔の荘川桜の二ヶ所にしぼり、インターネットの画面とにらめっこした末に、風太は後者を旅先に選んだ。


 荘川桜を選んだ決め手は二つ。


 樹齢が二本とも四百年以上もの時を刻んできたという、人知を超越した荘川桜の生命力に惹かれたというのが一つ。


 もう一つが、せっかく名古屋にきたのだから、そこを足掛かりにして、いままで土を踏んだことのない土地に行ってみたいと思ったからである。

 延暦寺だったら、風太がこれまで住んでいた大阪と同じ関西にあるので、旅行をしているという感じが薄いというのが、候補から外した理由だった。


 そういうことで風太は、名古屋から高山までは高速バスで。高山から荘川桜までは路線バスを乗りつぎ飛騨の地に、おそらくは生まれて初めて降りたった。


 天候も味方に引きいれてはいたが、それを差し引いたとしても荘川桜は桜の名所に恥じない、言葉では言い表せない素晴らしいものとして風太の目に映りこむ。


 見事な青空を背景に満開の花を咲かせる二本のエドヒガンサクラ。

 それをだけでも遠路はるばる、お金を払ってまで足を運んできた甲斐があったと風太は思えた。


 五百年近く根を生やしている二本の老巨木の肌は、近所の公園や川沿いなどに生えている桜とは一線も二線も画している。


 風に乗って桜の花びらが舞いあがり、地面へとまた落ちていく。

 かくも美しい、日本の原風景そのものだと風太は心から思った。


 これほど素晴らしい景観である。


 荘川桜の周辺にいるのはもちろん風太だけではなく、天候に恵まれた大型連休の初日ということもあって実に大勢の花見客がいる。


 そのうちの一人、もしかすると風太の祖母くらいかもしれない年配の方が荘川桜の美しさに見とれるあまり、同じく立ち止まっていた風太にぶつかってきた。


 「あっ、ごめんなさいね」


 彼女は謝罪の言葉を口にしたようだが、その声は風太の耳にはとどかない。


 何故なら、風太はイヤホンを両耳につけた状態で音楽を、かなりの音量で聴いていたからである。


 素振りから彼女が謝っているのはわかったので、風太はなにも言わずに、頭だけを下げてその場を離れた。


 失礼千万なのは風太にもわかっていた。

 その証拠に、彼女は怪訝な顔を風太の心に残して去っていった。


 だけど、無礼を承知の上で、音楽で遮断してまで他人の声を耳にしたくはない理由が風太にはある。


 何故かは知らないが、風太には百発百中で人の嘘を聞きやぶる能力が備わっている。


 嘘をついている人の声はどれだけ平静を装ったとしても風太の耳には明確に濁った、じつに耳にさわる空気の振動となってとどいてくるのだ。


 風太はそれを嘘の旋律と命名しており、嘘の旋律が風太の頭を悩ませているのは、自らの意思とは関係なしに常時発動している点である。

 街中に繰りだそうものなら、騒音すら生ぬるいほどの雑音が四方八方から常に襲いかかって来るのを防げない。

 そのようなマイナスでしかない能力が生来備わっていたところで、嬉しいはずがない。


 当然のこと、風太はコントロールに何度も挑戦している。

 しかし、十八歳になったいまでも一度として能力の制御に成功することなく、現在に至っている。


 そんな風太にとって、常に誰かしらが様々な理由で嘘をついている人混みのなかを歩くのは苦痛と同義だ。

 

 嘘にも色々ある。

 保身に見栄、悪意。


 もちろん、街ですれ違う人すべてが嘘をついているわけではない。

 もしそうであるのなら、この国の行く末の方が心配になるというものだ。


 けれども、その場しのぎなどで嘘を現実に織り混ぜてしまう人もいるのはたしか。


 嘘の旋律から心を守るために風太はなけなしのバイト代をつぎ込みローンで購入した、アウトドア仕様の頑丈なスマホからつないだイヤホンを、外出している時は常に装着している。


 風太はこの能力の存在を誰にも他言してはいない。

 まだ右も左もわからなかった幼少の時の経験から、人にこのことを訴えたところで、信じてもらえるはずがないことを身にしみて知っているからである。


 だからこそ風太は、言葉をまったく発しない植物が子供の頃から大好きだった。

 今回の飛騨への日帰り花見旅行も、根底はそこにあるのかもしれない。


 そしてもうひとつ、風太には嘘を完璧に聞きわけられる能力の他に、人にはない特殊能力が備わっている。


 が、それを風太のように、荘川桜見たさに県外から遠出してきた人たちも含まれているはずの、この場所でおこなうのはあまりに無粋であるし、そもそも使いたくなどない。

 

 イヤホンをしたまま風太は、見事なまでの荘川桜を見上げることで、辛い現実から視線をそらす。


 淡いピンクの花びらと青空が織りなす、まさに景色がそこにはあった。

 心を奪われずにはいられなかった。

 体も応え、芯から感動で震える。


 荘川桜を見上げていたのは二十秒くらいだった。

 視線を下ろし、風太は気がついた。


 つい先ほどまで周囲にいなかったと断言できる若い女性が、風太の目と鼻の先にいることに。

 


  

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