自死について
廃他万都
第1話
自分は死んだ方がいいと思ったことが何度もある。あまりにもそう思う感情が強い時は何とか他人が強くそう願っていると想定し、それに自分は抗う格好で抵抗する。つまりそれほど自殺したくないのである。
このような視点でものを書く人は少ないのではないかと思い、書いている。
文章をこれだけ頻繁に更新するという事で、あまりまともな人間でないという事は分かっていただけると思うが、確かに私はまともではない。
物心ついたころから、自分でもそう思っていたし、他人でそういう風な目で私を見る人もいた。
まともではない感じを具体的に上げない事には人にはわかってもらえないだろう。
普通自分のいいところをアピールして、人は友達を作る。
私はひねくれているから、自分のいいところをアピールしても伝わらない。友達ができるときはお互い一人ぼっちだったり、いじめられっ子同士だったり、部活が一緒で趣味が一緒で一人が好き
だという、どっちかというとマイナスな面が同じ同士で友達になる。
自分のいいところをアピールすると、逆に違和感を持たれるような気がする。
自分をかわいいと言ってみた。やはりそうでもないと返ってきた。
友達にも知らず知らずそんな対応をしていたかもしれない。
というところは比較的まともである。
まともでないところといえば、やはり縫いぐるみを包帯でグルグル巻きにしていたところだろう。また、お医者さんごっこが好きだった。包帯が巻きたくてそのような流れにしていったら話を逸らされた。
他は薄暗いところで水面をじっと見るとか言う事が好きだった。
また、幼いのに深夜FMの暗いビートを刻む音楽などを好んでいた。
家族にはいつか人を殺すのではないかと囁かれていたような気がする。
その反動で恐らくは「優しい」のが良さだと言われてきたと思う。
顔も優しいとは言われるが、包帯グルグル巻きが好きな優しさと言ったらやっぱ胡散臭い。
それから不器用なくせに態度がでかい。
それを多くの人が我慢して、ドカンと絞められるようなケースも何となく避けるずるさがあり。
本当の意味での反省とか、人に頭を下げる事の意味
何かを譲るという事はよくわかっていないんだと思う。
好きな人に対する独善的な態度も相当太いものがあった。
だから本気で死ねと思ってる人がきっと沢山いるんだろうと思って、それにあらがうのだが
本当のところは自己嫌悪に押しつぶされそうで死んでしまいたいと思うけど、それを認めたくないのだと思う。
それでもって、死んでしまいたいほど悩んでる自分を受け止められた過ぎて、でも受け止められたところで性格は直らなくて見放されるというところまで想像してみてそれで死ねるかというと死ねないから
そもそも死んでしまいたいという心を外に運び出してそれと対決する形で
死にたいなんて思っちゃいない。
そう思ってるのかもしれない。
でもやはり私は本当は死ぬべき人間なのかもしれない。
そして死ぬべき人間だと思いながら、生きるにふさわしいと嘘をつき続ける。
そうなら他人が「死んでほしい」と思ってるという事があったとしても
それを嘘だと思い込むしかないのだ。
私がしかし本当に死ぬべきなのではないか、と思うのは、人より顔色が悪く、元気がなく、動きがおぼつかないので、それが結局人の元気さにも影響するからだ。
自分は人より多分死に近い位置にいるのだと思う。
というより、一応生まれてきてはいるのだけど、何かを胎内に置いてきてしまったのではないかという気がする。
自死についてに書いたのだから、次は自生についても書いたらいいと思う。
自生について書くと、多分今まで書いた事のないような文章が書ける気がした。
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