3.逃走と決意『少女が気付く、自分のしたい事』

イースフォウは走っていた。

その場から、すぐに逃げ出さないといけない。そう考えてしまった。

イースフォウは聞いていた。

森野、ハノン、エリスの会話を。

イースフォウは見ていた。

森野とスカイラインの戦いを。

イースフォウは知ってしまった。

三人が今でも自分のために待って居ることを、三人がまだ自分の可能性を信じてくれていることを。

謝らなければいけないと思った。黙って顔を出さなくなってしまったことを、未だ迷っていることを謝らないといけないと思った。

だが同時に、また考えてしまった。そこまで自分ががんばる必要があるのかと。あのスカイラインと戦う意味が本当にあるのかと。

意味の無いことに、自分は剣を振れるのかと、彼女は考えてしまったのだ。

戻らなくてはいけない思いと、意味を見出せない自分の考えと、それがまたグルグル回り始めて、動けなくなって、そしてスカイラインが自分の隠れている出口のほうに向かってくるのが見えて、たまらずその場をイースフォウは駆け出してしまった。。

そして、気が付くとイースフォウは、学園の外の見知らぬ児童公園に居た。

「はぁ…はぁ…はぁ・・・」

もう冬だというのに、汗が滝のように流れる。全力で走った事と、精神的に焦りがあることと、いろいろなものが織り交ざって流れた汗だ。それは心地よいものではない。

立ってるのも儘ならず、イースフォウは倒れこむように手近なベンチに座り込む。

息は荒い。そのまま天を仰ぐ。

空は曇天。しかし、今にも雨が降りそうなわけでもなく、かといって晴れ渡る様子も無い、どっちつかずの天気。

ああ、本当に私はこの空みたいにぼやけている。そんなことをイースフォウは思う。

なぜいつも自分はこうなのだろうかと、自らを責める。あの時スカイラインが居ようが居まいが、三人の元に戻ることだって出来たのだ。もう一度一緒に訓練させてくれと、三人に頼むことも出来たのだ。

だがスカイラインが居ようが居まいが、やはり彼女は迷っていた。三人の元に戻って訓練する意味が、いつになっても解らなかったのだ。

自分が何のために戦わないといけないのかの答えが、一向に出てこないのだ。

今度の模擬戦闘、スカイラインに一太刀浴びせることに何の意味があるのか。試合時間いっぱいまで耐えることにどんな意味があるのか。それをこなして、何か得るものがあるというのか。

(そんな、「わたしはがんばりました」みたいな結果を得たところで、自分に何の得があるというのだろう)

結局、自分が負ける結果に変わりないことに、イースフォウは今の努力を見いだせない。

(同じ結果なら、苦労することも無く、もういっそ……)

「……大丈夫?」

そんな声が聞こえ、そしてイースフォウに一本の缶飲料が差し出された。

「・・・え?」

イースフォウは差し出された先を見る。

そこには黒髪の、自分と同じくらいの少女が、心配そうにこちらを見ていた。

どこか機械的にも感じるが、うっすらとある表情は優しさが見え隠れする。おとなしそうな、そんな雰囲気も感じるが、どこか瞳の奥には芯の強さを感じた。

服装はタートルネックに、ロングスカートと少々大人ぶっているようにも感じるが、スラリと流れる彼女の髪に良く似合っていた。

「……大丈夫?」

先ほどと同じ問いかけに、イースフォウはやっと返すことが出来た。

「だ、大丈夫………」

「良かったら、これ飲んで」

「あ、ありがとう。お金……」

「いいから」

半場押し付けるような形で、彼女が缶飲料を渡してくる。

イースフォウは、おとなしくそれを頂くことにした。

缶のプルタブを開ける。パッケージはごく一般的なお茶だった。だがのんびりとそれを確認はしない。彼女としても、今は一刻も早く水分を補給したかった。飲みやすそうなそれは、とてもありがたいと思えた。

ゴクゴクと缶飲料の中身をのどに通す。味なんて分からないが、とにかく流し込む。

半分くらい飲んだところで、イースフォウは一旦口を離した。

「っぷはぁ!」

生き返る心地だった。思えばどのくらい走ったのかも彼女は解らなくなっていた。普段から訓練で長距離走などはやっていたが、あんな逃げ方をしたのだ。ペース配分も考えずに走っていた。さすがに体にだるさを感じていた。

「はぁ……助かった」

「……それは良かった」

イースフォウは少女のほうを向く。

「ありがとう、助かりました」

「たいしたことしてないよ」

「あの、お金」

「いいって。さっき自分で間違って買っちゃったのだから」

「そうですか……じゃあもらっちゃいますね」

そう言って、イースフォウは再び缶に口を付ける。

だいぶ息も整った。缶から流れてくるお茶の味も、やっとわかるようになってきた。

苦くも無く甘くも無いが、妙に体になじむ味。

妙に落ち着く味。

「落ち着いた?」

不意に、隣に座っていた少女が尋ねてきた。

「ええと……まあなんとか」

「それなら良いけど。……どうしたの? 何かから逃げてきたみたい……」

「っ!」

その言葉に、思わずイースフォウは飛び上がる。

「……大丈夫?」

「あ……うん、ごめんなさい」

ゆっくりとベンチに座りなおした。

「別に、変質者とかなんだとか、そういうのから逃げていた訳じゃないから」

「それならいいけど……」

だが、イースフォウは首を横に振る。

「でも、逃げていたのは事実だわ。私は……ここまで逃げてきた」

彼女も言うつもりはなかったし、確かめるつもりも無かった。

だが、ついにその言葉は口から流れ出た。

(ああ、そうか。自分は逃げ出してしまったのか)

理解はしていたし自覚もしていたが、納得できてはいなかったのだ。

イースフォウは納得した。自分があの場から逃げ出してしまったことに。

再び訪れた沈黙。

だが少女そんな中でも、イースフォウが語るのを待っている様子があった。

「どうして、逃げちゃったのかな?」

ポツリと、イースフォウが呟いた。

その言葉に、少女はゆっくりと返す。

「それ以上、そこに居ても駄目だと思ったじゃないかな?」

「居ても駄目……」

(そうだろうか? あそこに居て自分に意味が本当に無かったのだろうか?)

おそらくイースフォウの力は、他の三人と訓練すれば少しは強くなる。

こんなところで油売ってるよりもあそこに居たほうが良いのは間違いないのが一般的な考え方だ。 

しかしそんなことよりも、少なくとも森野やエリス、ハノンがしてくれたことが無駄だとはイースフォウとしては思いたくないし思えなかった。

だから首を横に振る。

「違うと思います」

その答えに、少女は思案する。

「じゃあ、怖いものがそこにあったから?」

どうなのだろうかと考える。 怖いものとは何なのだろうか? 本当にそれから逃げてきたのだろうか? 

だが逃げてきたところで、未だイースフォウの心の中は暗雲が立ち込めていた。腹の上の辺りがどんよりと重い。未だ自分が怖いものはこの近くに存在するような、そんな感じがしていた。

どこに逃げようが、きっとこの恐怖はイースフォウの中に居る事は、彼女も理解していた。

「それも違うと思います」

「そっか……じゃあ」

少女は再度思案する。

「何をしたいか、解らなくなったのかな?」

その言葉に、ハッとするイースフォウ。

そう、それはヤマノ教師にも何度か似たようなことを指摘されていた。彼女亜は確かに、自分が何をしたいか解らなかった。……今は更に強く感じる、明確な目標を見失っていたのだ。

だが例えそうだとしても、それはただ単に無気力になるだけではないのか? 今の様に逃げ出すことにつながるのだろうか、彼女としても疑問が残る

そんなイースフォウの思考を感じ取ってか、少女は続ける。

「周りの人が凄い目標を持ってて、で、自分が何も持ってないとなると、……きっと怖くなっちゃうよ」

「そんなものでしょうか」

確かに彼女の周りの三人は、それぞれ目標やスタイルを確立しているようだった。特にしっかり聞いたことも無いけど、三人とも仙機術を鍛えるのには、何か目標や目的があるようだった。

それはスカイラインとて同じ。彼女もヴァルリッツァーの次期党首としての自覚が、その技を錬磨させる理由となっていた。

しかし、イースフォウには何も無い。確かに過去にあったが、それも今となっては本当に重要な目標なのかが解らない。

「私には、そこまで立派な目標って無いんです。昔はあったけど、それもかなり大きな目標で、一朝一夕で可能なことじゃないし。諦めたわけじゃないんだけど、明日、明後日、明々後日と、どうすれば良いか解らないんです」

そんなイースフォウの言葉に、少女はクスリと笑う。

「立派な目標なんて必要ないと思う」

「え?」

スッと立ち上がり少女は続ける。

「でも、自分がやりたいことは目標にしたほうが良いと思う」

「それは……どういうことですか?」

「貴方が今言ったこと。明日、明後日、明々後日、何をしたいのかを考えればいい」

「でも、それにどんな意味があるのかわからないんです……」

「意味なんて無い。だって、貴方が勝手に決めたことだもの。出来ても出来なくても、それは世界に何の影響も与えることは無い」

「意味が無いことをする意味は……」

そこで間で口にして、イースフォウは自分がまた、堂々巡りを繰り返そうとしていることに気付く。

その様子を見て、さらに少女はクスリと笑う。

「そういう時は、逆にそれでは駄目だと思うことを考える」

「それでは駄目だ……ですか」

「そう」

それでは駄目なこと。今のままでは駄目なこと。

(このまま目標が無いのは駄目だ。このまま森野たちの所に戻らないのは駄目だ。このまま補習学生を続けていては駄目だ。父親を探すための力を得ないのは駄目だ)

「大きなことも大切だけど、間近のことも考えたほうが良いよ」

「間近のこと……」

「小さなことでも良いわ。とりあえず、大きな事はダメと分かっていてもどうしようもない。ある程度の事ならば、ダメな事は回避できる」

(小さなことや間近に迫っていること……といえば、やはりスカイラインとの戦いか)

彼女が始めに掲げていた大きな目標に比べれば、少し小さい。

では、スカイラインとの戦いにおいて、ダメな事とは何なのだろうかと、彼女はそれを考えてみる

(一瞬で倒されるのは駄目だ。かといって一太刀浴びせることだけを目標にしても何も生み出せないから駄目だろう。いや、無理に結果を求めると何もできなくなってしまうから……。でもだからといって負ける戦いに何の意味があるのか。それに、一太刀浴びせるというのは、森野先輩が上げた目標だ。自分はそれに便乗したに過ぎない。それは自分の目標じゃない。きっとそれでは駄目なんだ)

ならばイースフォウとしては、いったいどういう状況がダメではないのか……。スカイラインとの戦いを、如何したいのか。

ふと彼女は、スカイラインがあの夜に捨てていった言葉を思い出す。

『その場で改めて、あなたを二度と表舞台にたてないようにしてあげるわ』

そうか、スカイラインの目標はそれなのか。

ふと、スカイラインが昔言った言葉を思い出す。

『まったく、何その迷ってばかりの太刀筋は。曇りまくっているじゃない』

(そうだ。迷うから、自分は弱いのだ。曇りまくっているから、自分は勝てないのだ)

「じゃあ、迷わなかったら、私はあの子に勝てるの?」

そこはまだ見えていない答えだ。勝てる可能性が、無いとは言い切れない様に彼女も感じた。

だが、ふと彼女は気づく。自分は、今まで一度として、スカイラインに勝とうと考えただろうか、と

(そうだ、ずっと解っていたのかもしれない。気付いていたのかもしれない)

森野も、エリスも、ハノンも、ヤマノ教師も、スカイラインも、イースフォウが勝てると思っていなかった。

それは妥当な判断だった。

イースフォウの実力では、絶対に勝てない。今のままでは絶対に勝てない。

いや、実力以前にイースフォウには欲が無い。イースフォウには目標も無い。自分の出来るところまでしかやらないのだ。それでは、きっと何にも打ち勝てない。

あのスカイラインですら、自分の、ヴァルリッツァーの誇りを胸に、イースフォウを叩きのめそうと目標を立てていた。

だからこそ、彼女も心の奥底では解っていた。このままで戦っても意味が無いことに。

そして負けると解っている戦いに、心の奥底では納得していなかった。

だけど自分はは弱いと。勝つ理由も解らないと。表だけは負けることを受け入れようとして、無理やり自分を納得させようとしていた。

そんな意味のない戦いを強いられていたから、負けて大した結果も出せないと思えるからこそ、イースフォウは無意味な戦いから逃げ出そうとしたのだ。

だが結局のところイースフォウは、そんな負ける戦いが嫌だったのだ。そこから意味も見つけられず、目標も見つける事が出来なかった。

(ああ、わかったよ。私は……)

「あの子に、負けたくなかったんだ」

負けることに意味がないとは思わない。だが戦う前から負けを意識していたら駄目だった。そんなことずっと昔から、彼女の心は解っていたのだ。

「解ったよ。私は、勝ちたかったんだ!」

ぐるぐるぐるぐる、いつものように彼女の思考が回転していたが、だか今日は違った。

答えが出たのだ。

嬉しかった。久々に、彼女は何かわくわくしている自分を感じた。

その様子を見て、少女は笑う。

「良かった、見つかったのね」

「ありがとう、貴方のおかげよ!」

手をとり、イースフォウは少女にお礼を言う。

「気にしないで。……私も自分の目的が解らない時があったから」

……少女は少しさびしそうな顔で、そう呟いた。

ふと、イースフォウはたずねる。

「ねえ、貴方の目標は……何?」

「……貴方は、敵に勝つことみたいね」

「敵ってわけじゃないけどね」

「私は……願いを叶えること」

「貴方の願いなの?」

少女は首を横に振る。

「ううん、違う人の願い」

その答えに、イースフォウは笑う。

「そっか、人のための目標なんて、すごいなぁ」

おそらく、イースフォウが初めに掲げた目標は、父のため、母のための目標だった。だが、それも今は目標なりえるか解らない。

そんな中、人の為に目標を立てている目の前の少女に、イースフォウは感心した。

「私も、いつか貴方みたいな目標を持ちたいわ」

しかし、その言葉に、少女は複雑に笑う。

「さて、こうしちゃ居られないわ。あと一週間しかない」

イースフォウは立ち上がる。

「こうなったら、どんな手を使ってでも勝ってやる。迷ってる暇は無いわ!」

「がんばってね」

「うん! じゃあ」

そして、イースフォウは駆け足でその場を立ち去ろうとする。

しかし、公園を出る前にふと思い出した。

振り返り、少女に声をかける。

「そういえば、貴方の名前は?」

しかし、そこにはすでに少女の影は無い。どこかまだ近くに居るだろうが、どっちに去ったかがわからない。

少し残念だった。しかし、イースフォウは迷わない。大声を張り上げる。

「私の名前はイースフォウ! イースフォウ・ヴァルリッツァー!! また会いましょう!」

公園にイースフォウの声が響いた。しかし、それは木霊することも無く、静かな人気のない公園に、吸い込まれていく。

今の声は、彼女に聞こえただろうか。確かめるすべも無い。

だが、問題は無かった。イースフォウには、なんとなくまたいつか会えるような気がしていた。

だがら、自分で自分に誓う。

次会ったときは、勝利の報告をしようと……。




結局、イースフォウは森野たちの下にもどらなかった。

ただ、一通だけメールを送っておく。

『必ず本番には出場するから、その日まで待って欲しい』と。

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