【SS】読めない手紙

白野直登

【SS】読めない手紙


 仕事から帰ってポストを確認すると、一通の封筒が入っていた。

 差出人を確認すると、どういう訳か私の妻からではないか。

 何かのいたずらかと思ったが、リビングにあるソファに腰掛け封を開けた。

 中には2枚の手紙が入っていた。

 1枚目はたった2行しかなく、2枚目に至っては一つも文字が書かれていなかった。

『2枚目の手紙には、心が綺麗な人でないと読めない文字が書かれています。余計なことを考えず、純粋に文字を読もうとしないと文字は現れません。読みたいなら、それらを取り除きましょう』

 なるほど、妻からの挑戦状ということか。この白紙に書かれている文字を読み解けと。ふむ、余計なことを考えず。

 手紙を読もうとすれば、おのずと手紙に意識が向く。余計なことを考える暇などあるはずがない。

 私はじっと睨むように白い手紙に意識を集中させた。

 5分。10分。15分。

 ダメだ、集中すればするほど余計なことが頭の中に浮かんできてしまう。

 1枚目に書いてある通り、今の状態では何も読めないということだ。

 それでは、気にかかっていることを片付けることにしよう。

 私はまず、不倫相手のマキコに連絡をした。

「おい、おい。急な連絡をして済まない。いや、大した用ではないよ。実はお前と別れようと思うんだ。え、何を急にって? そんなに狼狽えることはないじゃないか。女心と秋の空という言葉があるが、男に無いとは限らないだろう。そう、気が変わったんだ。俺はお前の電話番号からメールアドレスまで、全て消すからな。お前も、以降連絡をしてこないでくれ。もし連絡して来てみろ。迷惑罪で警察に突き出してやるからな。じゃあな」

 マキコは何事か言っていたが、構わず受話器を下した。

 よし、これで文字が見えるはずだ。やましい気持ちとはもう無縁の人間だ。

私はもう一度、白い手紙を見た。

 5分。10分。20分。

 どういうことだ、まだ見えてこないぞ。この手紙に問題があるんじゃないか?

 いや、几帳面な妻のことだ。この手紙を書いているときにも、何度も見直しをしているに違いない。

 そうなると、まだ気にかかっていることがあるのか。

 考えてみると、まだ思いつくことがあった。それを取り除けば今度こそ見えるはずだ。

 私は次に、仕事先の会社に連絡した。

「やぁやぁ後輩くん。よかった、まだ仕事場にいてくれたか。夕飯時を過ぎていたから、さすがに帰ったかと思っていたよ。え、何。また上司のあんちきしょうが残業を命令しただと。けしからんやつだな。よし、前々からお前に行っておこうと思っていたんだ。もし今度、」上司のくそったれが残業を命じてきても、問答無用で定時で帰ってやれ。怒られるかもしれないって。構わん、帰れ。俺が盾になってやる。それで俺がクビになろうものなら、ヤツも道連れにしてやるから。いいな、今すぐ帰れよ。じゃあな」

 後輩がヘコヘコとお礼を言っていたが、最後まで言い切らせる前に受話器を下した。

 上司が後輩へ過度な圧力をかけているのは、以前から気になっていたのだ。私は左遷されるか首になるだろうが、これで後輩を守れるだろう。

 よし、これでまた一つ取り除いたぞ。

 今度こそと、私は手紙に目を向けた。

 5分。20分。30分。

 どうしてだろうか。まだ手紙は白いままだ。

 本当に文字が書かれているのか、怪しくなってきたぞ。

 いや、妻に限ってそんなことはないだろう。

 素直で真っ直ぐな妻だ。何も書いてないのに『ここには文字があります』なんて嫌がらせをするようなことはない。

 となると、まだ。まだ何かあるのだ。

 そこではっとした。まだあるじゃないか、気がかりなことが。

 私は急いで靴を履き、急いで外に出た。

 都会とは少し離れた住宅地だけあって、星空は透き通るほどきれいだ。

 しかし、夜空に目を奪われていてはいけない。

 走ること5分ほど。目的地の公園に着いた。

 公園の中ほど、か弱そうなメガネ少年が、金髪の兄ちゃんたちに囲まれていた。

 私は彼らの間に割って入った。

「やいやい、お前ら! 今時カツアゲなんて時代遅れも甚だしいぞコンチクショウ! そんなことをしている暇があったら、交差点に行って老人の荷物の一つでも持ってやったらどうだい! 何、やかましいだと? やかましくもなるわ! 毎日毎日、こんな優しそうな少年から金を巻き上げるのを見せつけられる身にもなってみろ! 会社から帰る度にお前たちが目に入るんだ! 何、喧嘩か? 良いだろう受けて立ってやる! 昔は喧嘩番長で名前の通った俺に勝てると思うなよ」

……。

「はぁ、はぁ。どうだ、参ったか。まだまだ落ちぶれちゃいないだろう。なんだ、泣いて謝るのか。謝るのは俺じゃねぇ、この少年に謝れ! いいか、二度とするなよ。今後からは交差点に行って、老人をおぶって横断歩道を渡れ。いいな……よう、少年。あん、ありがとうございますだぁ? お礼は良い。だがな、お前よ。少しは強くなったらどうだ。いい加減、弱い自分に飽き飽きしてきたころじゃないか? いじめは確かにやる方が悪い。でも、お前もそいつらをぶん殴れるくらい、強くなってやれ。おいおい、何お礼言いながら泣いてんだよ。あぁ、スーツがぼろぼろだ。じゃあな、俺は帰るぞ。お前もさっさと家に帰って、いそいそと将来のための勉強をしやがれ」

 久しぶりに全身の筋肉を使ったせいか、家に向かう足取りは亀のようにゆっくりだった。

 やっとこさ家に帰ると、もう日付をまたぐ前だった。

 這うようにリビングに向かい、手紙を手に取った。ソファに座るのも煩わしい。

 気になっていることはすべて解決した。これで手紙が読めるはずだ。

 私は腹を床にして、目を向くように手紙をにらみつけた。

 30分。50分。1時間。

 日付はとっくに変わっていた。途中うとうとしてしまったではないか。

手紙には、全く文字が現れない。全くどうしてだ。

 確かに私は、気になっている余計なものを取り除いたはずだ。

 なのに、お前が書いた文字が読めないとはどういうことだ。

 もうこれ以上取り除くとしたら、死んだお前自身のこと以外ないぞ。

 一体これ以上何を取り除けと言うのだ。

 なぁ教えてくれよ、お前。

 私はそのまま、硬いリビングの床で眠りに落ちた。

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