TS婆さんの話

りょー

TS婆さんの話

 


「わたしに近寄っちゃいけないよ」


「しっしっ」


 お婆さんは僕を汚らわしい犬を追い払うように手を振り回した。


 特別養護老人ホームの一室。彼女は今日も介護を拒否する。正直、いい加減にして欲しい。


「……そうは言われましても、パットを変えさせて頂かなければなりません」


「あ? このスケベが!」


 だ、誰が婆さんの……を見たいものですか! これだからこのお婆さんは嫌われている。僕はこれでも気に入られているほう。


「好きにすりゃいいさ」


「ありがとうございます」


「いいかい? ヤッたらダメだよ?」


「なっ!」


「ヒヒヒ!! 純情なこった! こんな婆さんに照れるのかい?」


 えーい。無視だ。


 僕はお婆さんのオムツを外し、紙タオルで清拭していく。


「この歳になると毛が抜けちまってなぁ。綺麗なもんだろ?」


 …………無視だ。無視。


 丁寧に陰部を清拭し終えた僕は、「横を向けますか?」と声掛け。


 お婆さんは言われた通りにベッド柵を掴み、右側臥位右向きの姿勢を取ってくれた。


 向けられたお尻を清拭し、パッドを交換する。


「はい。戻ってください」


 お婆さんは柵を離し、再び仰向けに。


「ありがとよ。80年物のモノだ。1度も使われてないんだぞ?」


「まだおっしゃいますか……。そもそも貴女は95歳です。計算が合いません」


「それがな。合うんだよ」


 …………。


 この留創トメソウさんは認知症の診断が降りていない。長谷川式スケールでも満点を取るくらいしっかりされている。


 それにしてもトメソウ……って。男性みたいな名前だ。子どもは無し。兄弟は全て他界。トメって名前が入っておられる高齢者は大抵が末っ子。『打ち止め』のトメ。


「お前は良い奴だ。だから私の秘密を教えてやろう。教えておかなきゃアンタが看取る事になりそうだしなぁ。この介護の世界ってヤツは悪人が居なくて困るね。糞野郎や糞アマが私を見りゃ、すぐに死んでやるのに」


 物騒な事を言って『ヒッヒッヒ』といつものように不気味に笑ってみせた。死ぬって言葉はこの業界に入れば嫌でも聞き慣れる。特に何も思わない。


「全く意味がわかりません」


 言いながら手を動かす。パットを足の間から通し、紙オムツを整えていく。


「私はな。男だったんだ」


「……はい?」


 思わず手を止め、お婆さんの顔を見た。そこにあったのは真っ直ぐとした瞳。

 僕は動揺を誤魔化すように茶化してみる。


「とうとうボケちゃいましたか?」


「ヒヒヒ……そう言うな。少し話に付き合え」


 ……時間的には問題ないね。ちょっと付き合ってあげよう。


「あれは忘れもせん。15の時だった」


「……そんな頃があったんですか?」


「はははははは!! これだからアンタは好きだ!!」


 95歳のお婆さんに好かれても……。せめてあと60は若くないと……。僕は正直、結婚も女の子との付き合いも諦めてるけどね。産まれて25年間、彼女不在。もうどうでもいいやって感じ。


「私は若い頃、海の傍に住んでたんだ。男の姿でね」


「…………」


「ほう。聞いてくれるのかい? ある日な。海沿いの高台。そうさね。ちょっとした崖みたいな所で、知らない男性が佇んでた。30……くらいだったかね。声を掛けたのは直感だ。この人、自殺する気だってね。その人は荒唐無稽な話を聞かせてくれたんだ」


 つい話に聞き入ってしまった。留創さんはニヤリと顔を歪める。


「その男性は数年前まで女性だったんだと。呪われてしまったんだと。戻る方法を探し続けたけど、もう諦めたとよ。笑ったさ。若かったしねぇ。その男性は声を荒げた。『私の苦しみを味わえ! 私を最期に見た者が呪いを引き継ぐから! 後悔してももう遅いのよ!』。そう言って、いきなり立ち上がると崖から身を投げた。止める暇も無かった」


「それで……」


「その人は岩場に頭を打ち付け即死。その翌日、起きたら私は女になっていたのさ」


「……本当ですか?」


「本当さ。80年経った今では知る者も居ないがな。それから私は男と付き合う事も無く過ごしてきた。心から嫌いになれるヤツを探していたがそれももう無理だ。寂しいもんだね」


 作話……作り話とは思えなかった。その真剣な表情のせいだったと思う。


「だからね。あんたはさっさと私から離れな。80年前ならまだしも、今の御時世、えらい事になっちまうよ。目醒めたその場で家族に住居侵入で突き出されるか、家族から逃げても精神科病棟か、或いはモルモットか……。どの道、碌な事になりゃしねぇ」


「留創さん。貴女は……」


 それを抱えて生きてきたのですか?


 辛い人生では無かったのですか?


 命を絶てば誰かに迷惑が掛かる。だから生き延びてきたのですか?


 ……これから、どうするのですか?




 ……何1つの質問も出来なかった。




 その3ヶ月後。留創さんは永眠された。


 旅立たれてから医師に連絡した。




 ……その日、準備しておいた荷物を抱えてホテルに泊まった。





 新しい朝を迎えた。


「おはよう。あたし、貴女とは違う人生を歩んでみます」


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