第5話 彼女だけがいない町5

 ■彼女だけがいない町5




「………本当に旅に出ちゃうの?」


次の日の昼過ぎ

宿の入り口の前に凜紅(りく)と九十九(つくも)の姿があった。


この町にたどり着いた時のボロボロの着物や被り笠は新しく買い直し、

降ろし立てのピカピカな姿である。

保存食や火打石などの必需品も買いなおして荷物に入れてある。


「ごめんね、こう見えても旅を急ぐ身の上でね」

凜紅は申し訳なさそうに翡翠(ひすい)に謝る。


「達者でな!

 また会った時には団子でも食べようぞ」

凜紅の金で食べる団子は美味しいぞ!と言う九十九にくすりと笑う


「それでは、またな!」


と一人と一匹は手を振りながら遠ざかり、

………やがて、見えなくなった。



ふぅ………とため息が自然と出てくる。



凜紅が今朝、旅に出ると言ったとき、

翡翠自身、今までの人生で一番悩んだと言っていいくらい悩みに悩んだ。


すぐに自分も付いていく!という言葉が出なかったのは、

あまりにも突然すぎる出来事が一瞬で起きてしまったためだ。


自分は誰にも存在を気付かれないまま死んでいくのだろうと

今まではそう思っていたし、それが当たり前で

そういう風に世界は出来ているのだろうと思っていた。


しかし、その「当たり前」は突然崩れ去ったのだ。


自分の存在が見えて、普通に話せる相手。

そんなものはこの世界にいないと思っていたというのに………


その出会いは嬉しいと言う感情よりも驚きと言う感情が上回っていた。

生まれてこの方、他人と話すことなんてことはないと思っていたのだ。

驚いて腰を抜かしそうになったくらいだ。

(別の意味で凜紅には腰を抜かされそうになったけど)


もう少し考える時間があれば違う結果になったのかな………

と翡翠は足元の石を蹴飛ばした。


◆◆◆◆◆


――あれこれ考えていると、あっという間に夕食時になった。

宿が一番にぎわう時だ。


翡翠はにぎわっている宿の様子が好きだった。

こっそり、宿に止まっている客の部屋に入って話を聞くのだ。


それは上司の愚痴だったり、村のことだったり色恋沙汰のことだったり、

色々な話を聞くが、翡翠は話を弾ませている人の輪へ入ると、

時折、相槌を打ってみたりする。

当然、自分が話している言葉は聞こえないが、

自分も会話に参加しているように見えるのが楽しいのだ。


今日はどの部屋に入ろうか………

などと翡翠が受付の窓口で考えていると、

いつもの元気な給仕係の叔母さんの声がかすかに聞こえた。


そうか、もうこんな時間か、と翡翠は宿の裏手に回ると、

いつもの様にゴミ箱一杯になった生ゴミが置かれてあった。

風見鶏の町では生ゴミは指定された焼却炉へ運んで燃やさないと罰金が取られる。

このゴミを出す係は、若い給仕係のお姉さんなのだが、

ひっそりと翡翠が手伝っているのだ。


今日も重いゴミ箱をよいしょと持ち上げると翡翠は焼却炉まで歩き、

ゴミ箱から八割方のゴミを焼却炉に入れて燃やす。


これで自分の仕事は終わり、と額の汗を拭う。

ゴミ箱には残り二割の生ゴミが残っているがこれを裏手に戻す。

すると、給仕係のお姉さんが今日のゴミ箱もずいぶん軽いな、

と不思議に思いながらもゴミを捨てに行くのだ。


今日も良い仕事ぶりだったと自分を褒め、

翡翠は裏手に戻ろうとすると、一人の浮浪者の男とすれ違った。


生ゴミでも漁りに来たのかな?

と思いながら立ち去ろうとすると、

浮浪者の男の言葉が唐突に翡翠の耳に響いた。



「やぁ、黒髪のお嬢さん、ちょっといいかな」



黒髪のお嬢さんと言う単語に翡翠の足は止まる。

普通なら、こんなに具体的に自分の容姿を言う人はいないはずだ。


おそるおそる振り返ると、ボロボロの布を身にまとった、

浮浪者の男は真っ赤な目で翡翠の姿を真っ直ぐ見つめている。


「………おじさんは私の姿が見えるの?」


震える翡翠の言葉に、

浮浪者の男はニタリと口をゆがめる


「見えるとも、今までも見てたからね」


「こんなところで出会えるなんて幸運だ

 「怪奇」と会うのはこれで何人目か………覚えてないけど」


浮浪者の男はフードを外す

フードの下に隠れていた顔はぐちゃりと粘土細工を捏ねた様に曲がり、

真っ赤な目だけが爛々と光り翡翠を見つめていた。


「久々のお仲間の味だ。たっぷり可愛がってあげるよ」


それは翡翠が初めて味わう。

捕食者に見つめられる恐怖と言う感情だった。

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