短篇小説「どこでもないここで」
トオルKOTAK
どこでもないここで(1/8)
1
また、ソゲさんの夢を見た。
場所は、わたしが通った女子大のそばだった。街のパーツをでたらめに組み合わせた風景で、マツキヨの駐車場にキャッシュ・ディスペンサーがあって、ソゲさんはその前で赤いブルゾンを着て立っていた。坊主頭でのっぺりした目鼻。わたしが「ソゲさん?」って訊くと、シャボン玉のように弾けて消えた。
頭がズキズキしている。こめかみを小突かれる感じ。
土曜日だから昼まで寝てていいけど、このまま時間を無駄にしたらもっと後悔するだろうし、今日の夕方は朗読会がある。「えいっ」と気合を入れて体を起こし、枕元のペットボトルに口をつけた。
ソゲさんが夢に現れたのは、ノリコとお酒飲んで、ケンカしたせいだ。
神経の昂りを抑えるため、わたしの防衛本能が「非日常」を求めたんだと思う。学校でそんな講義を聴いたことがある。
そもそも、わたしはソゲさんと知り合いじゃないし、現実世界で見かけたこともない。ノリコから聞いただけの人物で、「首から上がかなり小さく、プロレスラーふうの体格で、昔、近所に住んでいた」という情報だけ。
「頭がとにかくめちゃくちゃ小さかったわ」
10年以上前、まるで河童や雪男にでも遭遇した口調でノリコが言ったのを覚えている。
「そんなに小さい頭だったの?」
わたしが問うと、「グレープフルーツくらいだったわ」とノリコは真顔で答えた。
「その人と話したことは? だいたい、ソゲってどういう字を書くのよ?」
立て続けの質問に、彼女は神妙な顔つきで古い記憶を手繰ったものの、どうやら一度も話したことがないらしく、正確な名前も年齢も覚えていなかった。
いくらなんでもグレープフルーツサイズの頭なんて……そう冷笑したわたしに、「本当にそういう人がいて、みんながソゲさんと呼んでたわ」と、世の中全体を憐れむような眼差しを向けた。
それから、ノリコは繁華街で小顔の人を見かけたり、体の大きな男とすれ違うたび、ソゲさんの話を繰り返した。
こめかみを親指で押しながらテレビに集中しようとしたら、胃の下の方がモワッとした。最悪な気分でスマホのチェック。
当然、ノリコからメールはない。ほっとしたような、ガッカリしたような……まあ、あれだけ酔ってたから、今頃は爆睡中だろう。バツイチでフリーター……まったくお気楽な身分だ。
わたしは気持ちを切り替えて、新しい一日の始まりにインスタントコーヒーを飲む。レースのカーテンを黄色く染める陽射しは夏の余韻で、温かい飲み物は季節外れだけど、二日酔いには熱いブラックがいちばん効く。
ブックマークした占いサイトが読書での気分転換を薦め、「朗読会」が今日で良かったと少しだけ前向きになれた。
そう、週末のわたしには「気分転換」が必要だ。
ただでさえ、仕事に追われ、疲れ果てているのに、昨日はタクシーを降りて、マンションのエントランスで猛烈な吐き気に襲われた。運転手の話に相づちするうち、消化したアルコールが体の中ででんぐり返ししたわけ。
会社の飲み会でも、誰かと一緒のときはシャンとしてるのに、ひとりになると一気に酔いが回るから不思議だ。
どうにか吐き気を抑えて、朦朧とした意識の中でも、脱いだ靴下とブラジャーを洗濯カゴに入れていたのでギリギリセーフ。まぁ、アウトかセーフか以前に、飲まなきゃいいって思うけど、「あと一杯のワインを飲んだら潰れる」「招興酒とビールのちゃんぽんは止めよう」……そんなふうにブレーキとアクセルを楽しむ自分がいるのもたしかだ。
でも、昨日は明らかにレッドゾーンに突入した。
あんな口論になったのはわたしが酔ったせいじゃなく、ノリコがふっかけてきたからだ。
「前から言おうと思ってたんだけど」って前置きされて、「あなたが結婚できないのはプライドが高いせい」「男を品定めする態度がダメ」「いつまでキャリアウーマンぶるつもり?」……言われたことを一語一句、全部覚えている。
もともと、「イケメン紹介」にそそのかされ、2対2の合コンに臨んでみたものの、相手は二人ともバツイチで……その時点で「アウト」だった。バツイチ会みたいに勝手に盛り上がり、まぁそこそこのイケメンだったけど、マッチョな体育会系男とグッチ大好きブランド男はわたしの趣味に合わなかった。
……で、彼らとあっけなく別れたら、ノリコが凄んだ目で「さぁ、反省会よ!」って、わたしの腕を引っ張り、近くの居酒屋で「前から言おうと思ってたんだけど」って始まったわけ。
(2/8へ続く)
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