第8話 ふくろう像
池袋駅構内は、広かった。東西南北すべてに出口がある。それ以外にも、地上へと続く出口が案内図によるとあるらしい。これは、広い。
目指すのはふくろう像。わたしはまだ一度も行ったことがないから、頼れるものは案内図と東口方面という大雑把な情報のみだ。
約束の時間には間に合うのだが、駅の中が複雑だ。取りあえず、東口に向かえばどうにかなるはずだと思い歩き出した。しかし、東口は一つではないらしい。なんて駅だとついわたしは思ってしまう。このままで、果たしてたどり着けるのだろうか。不安になってきた頃に、運よくふくろう像への看板を見つけることができた。なんとかたどり着いた。目立たない場所にあったから、危なかった。ふくろう像の周りには、想像以上に人が多い。
近くにお手洗いがあるらしいので、行ってみることにする。思っていたよりも、個室の数が多くて五つあった。列に並びながらそれとなく観察してみると、メイク直しに余念がない女性、お互いの耳にピアスの穴を開けあう女子高生の姿が目に映る。ピアスをこんな場所で開けても大丈夫なのだろうか、わたしには関係がないことなのだが不安になる。
わたしが個室から出てきた頃には、更に混んでいた。いいタイミングで入ったのかもしれない。
約束の時間まであと少しだったが、ふくろう像が立派で写真を撮りたくなった。
もしかしすると、もう着いているのかもしれない。ふくろう像の横に立ち、連絡を取ろうとしたらなんと翔さんが歩いてくる。わたしたちは無事に会えたのだ。
「待ちましたか?」
「いえ、ちょうど連絡を取ろうとしていただけで、わたしもほとんど待っていませんよ」
「じゃあ、早速行きましょうか」
「はい、そうしましょう」
二人は並んで歩き出す。
「池袋に、まるごと書店になっているビルがあるなんて、知りませんでした」
「わたしもテレビで見ていてはじめて知りました。なんだか、図書館みたいですよね」
「図書館とは懐かしい響きですね。小さな書店には行きますが、図書館ほどの品揃えがある場所にはもう何年も行っていません」
わたしたちは、近づいてきた階段を上り、右へ進む。西武沿いに歩いて行って、やがてチェーン店のコーヒーショップが見えてきた。すぐ近くには、目指す書店がある。横断歩道を渡り、書店内に入る。
「翔さんはどんな本が好きですか?」
「そうですね、ホラー系は苦手です。しかし、それ以外ならだいたいどの小説も読みますよ。日本語しか使えないせいか、海外の作家よりも日本の作家の本を読む頻度が高いかもしれないです。読むと言っても、月に一冊くらいなんですけどね」
「月に一冊でも、小説を読むかたは今は珍しいと思いますよ。わたしの場合は、面白そうな本を読んでみたいと思って買うのに、すぐには読まずに、俗に言う積読本にしてしまうことがほとんどです」
「それでも、出版された本を買ってしまうのは、きっと読書が好きなんだと思いますよ」
「そうですね、多分、そうだと思います」
まずは、一番上の階から順に本を見ていくことにした。一人でいることが多いわたしの隣に、翔さんがいるのがまだ不思議だった。
わたしには遠い世界のように感じてしまう専門知識を必要とする本や、絵本、コミックまで様々なジャンルの本がそろえてある。
わたしが一番気に入ったのは、文庫本のコーナーだ。こんなにあったのかというくらい、大量の本が並べられている。通信販売は不要ではないかというくらい、品揃えがいい。文庫本も既刊本と、新刊本とが分かれていて探しやすい。至る所に店員の配慮を感じさせる書店だと思う。ほしい本は何冊もあったが、帰りのことを考えて絞るに絞って二冊にした。翔さんはかごの中に何冊かの本を入れている。かごのある書店は珍しい。わたしも、かごを探してきて抱えていた本を入れる。レジは一階に集まっていて、そこで会計をするシステムのようだ。それぞれのフロアごとでは手間がかかるので、そのほうがありがたい。
一時間半はいたらしい。時刻はおよそ十四時半。
書店から外へ出て、次はどうするかということになった。様々な案が出た。
個人的には文房具や雑貨が好きだ。すると、翔さんはマグカップを割ってしまったらしい。それを探しに、来た道を戻り池袋駅構内に入る。エレベーターに乗って、どこをどう歩いたのかはよく分からなかったが、文房具や実用雑貨などを扱っているお店に着いた。
歩き回って、マグカップを発見。色はベージュでふくろうと、止まり木がプリントされている。翔さんは気に入ったらしくて、なんだか嬉しそうにしている。
「翔さんは、ふくろうが好きなんですか?」
「ふくろうだけじゃなくて、猫や犬も好きですよ。あまり触れ合う機会はないですけど、ぼくは動物ならけっこう好きです」
翔さんが荷物を持っていてくれるというので、素直にお願いして、わたしはお手洗いに行く。ハンカチで濡れた手を拭いて、ショルダーバッグの小さなポケットにしまった。
「良かったら、お茶の一杯でもご馳走させてください」
「ありがとうございます。お言葉に甘えてもいいですか?」
「どうぞ、少し休みましょう」
そういう会話があって、またもやどこをどう通ったのかは分からないけれど、カフェに入った。そこでは、色々な会話を思いつくままに楽しんだ。
「わたしは、今年でもう二十四歳です。来年になったら四半世紀を生きたことになってしまうのです。信じられません」
翔さんは笑いながら、言葉を返してくれた。
「そうですよね、信じられないですよね。ぼくは今年で二十六です。四半世紀なんて過ぎてしまいました。本当に、信じられないことです。弟とは三つ年が離れていますが、ぼくが弟と同じ年齢のときは何をしていたのか考えてみたけど、特には浮かばないんですよね」
「それなら、わたしにもあります。兄弟はいないのですが、知人に昨年は何をしていたのと聞かれても、何も浮かばずにいました。きっと、同じ生活だから答えられないんですよね」
「ぼくだけじゃないって、安心できました」
「わたしもです」
ほどよく冷めたココアを飲みつつ、翔さんとの会話を楽しむ。それは、輪郭が浮き出しはじめた幸せの予感だということに、わたしはまだ気づけていなかった。
「りんさんには、なにか趣味はありますか?」
「趣味というのは書店で購入した本位外にということですよね?」
「そうです。ぼくにはあって、趣味と呼べるかは分からないですけど、音楽を聴くのが好きなんです。だから、音楽番組はつい観てしまうんです」
そういう趣味ならば、わたしにもあると気づいた。
「わたしも趣味になるかどうかは分からないですけど、料理ですかね? 最近はサラダが好きで、よく作るんです」
「サラダはあれば食べますけど、葉物が全体的に高い気がして、最近はほぼ作ってないです」
「そうなんです。葉物が高いから、あらかじめカットされているレタスや、千切りになっているキャベツを利用しています」
「コンビニなどでも売られているあのカット野菜ですね」
「はい、一度に二つ作れるので夜のうちに作っておいて、朝食にすることもできますよ」
「なるほど、その手があったんですね。ぼくは栄養が偏っているから、サラダを作れるようにメニューを考えることからはじめないとダメですね。コーヒーも冷めてきましたし、そろそろ帰りの時間になりそうですね」
「わたしのココアも冷めているので、名残惜しいですが、そのようですね」
視線を落としたわたしに、翔さんが声をかける。
「もし、りんさんさえ良かったら、ぼくと付き合ってください」
それは、わたしが心のどこかで、そっと望んでいた言葉だった。顔を上げれば、翔さんが頭を下げ続けている。
「はい、よろしくお願いします」
わたしもお辞儀をする。翔さんと目が合って、わたしたちは想いが通じた。だから、今日は二人が恋人同士になった記念日ということになる。
それは、ちょっとスパイスの効きすぎた料理みたいに、甘いだけではない関係性だった。
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