わたし。

立川港

願いを詰めた箱

 今年2度目の雪に、僕は白い息を吐いた。足元の草がぐしゃり、という音を立てて沈む。きっと昔は賑わっていたのだろう、滑り台やブランコなどの遊具はすべて錆付き、雪の白に埋もれていた。

 3年前もこんな雪景色だった。3年前の11月24日――僕の大好きな幼馴染は、命を落としてしまった。いつものようにこの公園で遊び、雪だるまなんかを作っていたのに――。晩御飯の時に電話がかかり、幼馴染が死んだことを告げられた時は、それが嘘だと思うことしか出来ず、走って彼女の家まで行った。彼女の両親が泣き崩れているのを見て、初めて死んでしまったことが僕の頭に入ってきた。

 さっきまで一緒に遊んでいたのに、どうして。泣いて叫んだけれど、そんなことをしても彼女は帰ってこない。自分を責めきった後、『僕が悪いんです!』なんて口走ってしまった。ただの自己満足だ。子供っぽくて、馬鹿馬鹿しい。その行動でどれだけの人が傷ついたんだろうか。

 そして、僕はなぜここに来ているのだろうか。中学校の卒業式だというのに、この公園に足を運んでいるのだ。どうせ来たって何も変わらないなんてことは、わかっているのに、足が止まらなかったのだ。

 自分の傷を舐めているだけだとしても。

 3年前から今日まで、一度としてここに来たことはなかった。行こうと思うだけで、彼女に責められているような気がして。彼女は僕の頭の中にずっと生きている。僕への恨みの言葉を吐き続けながら。それに対して僕は、いつまでも弁解の言葉と謝罪の言葉を繰り返す。憎い、憎い、と話し続ける彼女と僕は、さながら壊れたブリキ人形のようだった。

 僕は怖くなると同時に、頭の中で彼女と話していると嬉しくなってしまうのは、やはり僕はもうおかしくなっているんだと思う。

 そして僕は、ある場所に見当をつけ、そこで立ち止まる。

 あの日、僕達はタイムカプセルを埋めたんだ。10年後の自分へ手紙を書き、思い出に写真も撮り、箱に詰めて、埋めた。

 自分への手紙に、僕は『恋人はいますか?』なんてことを書いていた覚えがある。この過去に囚われ続けている僕を見て、恋に落ちるような女性なんて、いそうにもないけれど。あの頃は、彼女と結婚する! なんてことを信じていた。ああ、懐かしい。彼女にどういう事を書いたのか聞いたけれど、『秘密!』と言って見せてくれなかった。僕は見せてくれない彼女にむっとしたけれど、彼女のにこっとした無邪気な笑みに、なんだかどうでも良くなったんだっけ。

 そして、僕はその手紙を今掘り返そうとしている。秘密にしていることを探す、なんて罪悪感が湧くけれど、それよりも手紙の内容が気になった。

 ちらりと腕時計を見ると、登校しなければいけない時間まで、もう少しだ。早くしなければいけない。と、2年前の記憶を辿りながら、歩いていく。公園の端っこの、なぜか草が生えておらず、土が露出しているところ。ここに、僕達は時間を越える箱を埋めたのだった。

 さあ、場所がわかったからすぐに掘り出そう。学校指定のリュックから、この日の為に用意した、小さいシャベルを取り出した。朝の太陽の光できらりと光るシャベルが、霜が降りて硬くなっている土に入っていった。

 その時だ。背後から声が聞こえたのは。


「ちょっと、まだ2年しか経ってないじゃない。なんでもう掘り返しちゃうのよ」


 2年前の、響きがした。聞こえないはずのその音が。あの時途絶えたその音が、今、なぜか聞こえた気がした。一瞬、僕は固まったけれど、声の方向へ頭を向ける。そこには。

 幼馴染の、あの子がいたんだ。

 茶色いショートカット。強気な印象を思わせるつり目がちな目を、君は気にしていたね。身長は僕とあまり変わらないくらいで、服装が僕の通う中学校のセーラー服を着ていた。

 そう、もう永遠に見ることができないと思っていたはずの、彼女の――香穂かほちゃんの姿。それが、僕の眼前にあった。


「香穂……ちゃん?」

「うん、あたしだよ。香穂だよ、たける


 あの時みたいに、香穂ちゃんが笑った。太陽のような笑顔に、僕のこの周りの雪のような心も、溶けていくようだった。僕は彼女の姿が見れただけで、僕は生きていてよかったと思える。芯だっていい。


「――でもなんで、ここに? 君はあの時――」


 死んだはずじゃ、と言おうとしたけれど、あの時の光景がフラッシュバックして、声が出なかった。


「うん、死んじゃった。でもね、私、やりたいことがあったんだ。だから、来たの」

「やりたい、こと?」

「そう、やりたいこと」


 僕は彼女の言葉を繰り返すことしかできない。なのに、彼女はそんな僕を嘲笑することなく、あくまで綺麗に笑いながら、言った。

 でも、そこから紡がれた言葉は、笑えるようなことじゃあなかった。


「健に、私のことを忘れてもらいに来たんだ」


 まだ明朝なはずなのに、あの日の燃えるような夕焼けが、彼女に重なって煌めいているように見えた。そんな、笑顔だった。無邪気で、美しくて、明るくて、紅くて、どこかに影が差して見える。紅く輝いているように見えるのに、その内側は紅に見えなくて、ちらちらと黒い何かが見え隠れしていた。


「……忘れて、もらいに?」

「うん。忘れてもらいに」


 やっぱり同じことを言うことしかできない僕。紅く笑う君。いつまで経ってもその構図は変わらないような気がして、時が止まったかのような感覚に陥っていく。


「健が、さ。私が死んだことなんかで悩んでいるのが、嫌なんだ。健は、私のことを忘れて、幸せに生きていくべきだよ」

「死んだことなんかって……忘れるだなんて……。そんなの無理だよ! 忘れたくない!」


 だって君が大好きだから。一緒にいるだけで笑顔になれて、ずっと隣にいたいと思う人のことを、どうして忘れようとすることができるのだろうか。

 そんな僕のことを見透かしたみたいに、彼女はまた笑う。すぐに消えてしまいそうな笑顔だった。


「だよね、そういうと思ったよ」


 困ったように、しかし嬉しそうにも見える笑いを浮かべて、息を吐く。

 彼女に溜息を吐かせてしまうようなことをしてしまったのだろうか。ぞっと悪寒が走って、謝らなくては、という気持ちが腹の底から湧き上がった。


「謝んなくていいよ。これは私の自己満足なんだ」

「……自己満足」

「そう。健も、私に関して自己満足な行為をしたーって自分を責めてたでしょう? 私のやることも、自己満足。だからさ、健は」


 私のことを、責めていいよ。そう、彼女は言った。

 そこからの香穂ちゃんの動きは迅速だった。僕を突き飛ばし、その隙に僕の持っていたスコップを奪い取って、タイムカプセルを取り出した。それの蓋を開き、入っていた手紙と写真を持つ。彼女はスカートのポケットからライターを取り出すと、一瞬ためらうと、その思い出の塊を燃やした。

 ぼうっと、赤い炎が昔の思いを包んだ。焦げた匂いが僕の鼻に突き刺さった。それは鼻だけでなく、僕の心の奥まで深く入り込んでくる。ナイフのようなその炎を見て、僕は立ちつくすけれど、すぐに彼女を問い詰める。


「どうして!? どうして――写真と手紙を……燃やしたの!? あんなに……あんなに、大事な、ものだったのに!」


 煙が目に入ったからか、感情の昂りからか、瞳から雫が溢れ始める。鼻声になっているし、今の僕はみっともない表情をしているのだろう。けれど、そんなことはどうでもいいんだ。それよりも、僕は、僕と彼女を繋ぎ止めていた唯一の鎖を断ち切られてしまったことが悲しかった。

 僕の涙につられたのか、彼女も涙を流しながら叫ぶ。


「私を覚えてしまっていたらっ、君はきっと、罪悪感に押しつぶされてしまう! だから、私が生きていたって思い出を、全部消し去るの! そうすれば、時が経ったら君は私を忘れることができる! 君は、私のことなんて忘れて幸せに! 残りの人生を謳歌していくべきなんだ!」

「なんで! 嫌だよ! 僕は、そんな悲しいことしたくない! 僕は君を忘れたくないんだ……ねえ!」

「ごめんなさい……。ごめんね……自己満足なのはわかってる! でも、でもね、私が死んだことを自分のせいだって責める健を見るのが、辛かったの……。だから! ごめん、これは、私の自己満足なんだ……」


 ごめんなさい、ごめんなさいと彼女は僕を抱きしめながら叫ぶ。僕も、彼女も、抱き合いながら、泣いて、啼いて、哭いた。涙に濡れた瞳で最後に見たのは、あの日の夕焼けのように紅く染まっていく視界だけだった。


 目が覚めると、公園の入口に僕は倒れていた。

 どうして、ここにいるんだろう。今まで、何をやっていたんだろう。思い出そうとするけれど、頭にもやがかかっているようで、何も考えることができない。どうしてこんな公園に……。

 朝、家を出たところまでで、僕の記憶は止まっていた。

 ん、朝?


「ああ! 今日、入学式!」


 急いで立ち上がると、僕は転がっていたリュックを背負い、走り出す。

 足を必死に動かして、学校へ急ぐ。

 何故だろうか。目の辺りが大泣きした後のように、腫れていた。






 『たけるが幸せになりますように』なんてことを、2年前に、書いて埋めた。その日に死んでしまって、彼が自分を追い詰めるのを空から覗いていたけれど、見ていて私も心が痛かった。

 だから、私はかみさまにお願いして、私の生きていた証拠を全て燃やし尽くした。これで、彼は私を忘れて幸せになれる。とても嬉しいことのはずなのに、なんで。

 私はこんなに泣いているんだろう。走り去る彼の背中を見ながら、私は涙を手で抑えた。

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