幽霊警察とお姉ちゃん、それと牛

ssshizu

現行犯逮捕

第1話 幽霊警察とサングラス男、それとおじさん 1

 車の中は灼熱地獄になっていた。

 私はワゴン車から逃げるように降りると、両手をメガホン代わりにして、言った。


「幽霊警察ですっ!!」


 言い放った声は何もない空間をすぐに通り過ぎて行って、私たちを取り囲む山々に跳ね返った。十秒ほど相手からの返答を待ったけど、何度か自分の声が返って来ただけだった。ついでなので、やっほー、とも叫ぶと数回ヤッホーと返事をしてくれる。


「誰もいないんですかー?」


 全く反応がないのでちょっとだけ何もないかもしれないことを期待した。そんなことはないんだけど。 


「いや、いるぞ。感じる。霊が巣食っているのは間違いないが……本当に言うほどのやつなのか? あんまり強くなさそうだぞ」


 いつの間にか車を降りていた牛村うしむらさんが後ろから声を掛けてきた。


「だが、正確にどこにいるかまではわからない。この橋全体が奴のテリトリーのようだな。準備をしておいたとはいえ、常に周囲に気を配っておけ」


 やっぱり牛だなあ。


 黒毛和牛というかバッファロー?みたいな、角の生えた黒い牛を二本足で立たせて、特注のタキシードを着せたらこうなるという見本。何故タキシードなのかは不明。


 牛村さんは苗字の通り牛だ。というか牛だったので牛村と言う苗字にした。初め牛田さんにしようと提案したけど安直過ぎるからと言うことでほんの少しいじって妥協した。名前は野牛からとって柳生やぎゅう


 そして幽霊だ。牛村さんは既に死んでいる。警部や車掌さん曰く牛の霊じゃなくて牛の姿になってしまった人の霊らしい。よくわかんないけど牛だ。


 いつも牛村さんをみると笑っちゃうけど、今この場で笑うと怒られるので、にやつくくらいで我慢した。


 山奥のダムの方に向かって行く途中に十年前にできた大きな鉄橋がある。そこに私たちは来ていた。季節も真夏に近づいてきて、まだ蝉は鳴いてないけど、木々は青々として蜻蛉が辺りに飛び回っている。半そでがいい時期。


 山というか土というか木というか川というか、それが全部混ざって独特の匂いで満たされていた。一息大きく吸い込む。私はこれが嫌いじゃなかった。昔は外で遊びまわるタイプの子供だったのかもしれない……ただ単に田舎の子だったのかもしれないけど。


「や、やっぱり私は車の中で待機してます……」


 クーラーの効かない車の運転席で恐田おそれださんが額にかいた汗を拭いながら言った。その汗は夏日の気温によるものなのだろうけど、幽霊がいることに対しての冷や汗のようにも見えた。


「だめですよ! 車に乗ってたほうがダメです!」

「そうなんですか……?」

「車ごと谷底へ落ちて行きたいのなら乗ってても構いませんけど。ポルターガイストで動かされたらブレーキは利きませんよ」

「……私も降りていきます」


 恐田さんは服がはち切れそうなほどに張ったおなかをぼよんと揺らして車から降りた。


 鉄橋の端で車を降りて、私たちはとりあえず中央へ向かって歩き出した。


 片側一車線の橋で通行量はほとんどない。少なくともこの十分間は一台も車が通らなかった。ぱっと見で百から百五十メートルといった長さの橋で、高さは……三十メートルくらい。高いところが苦手という訳じゃないけど、ここが自殺の名所でよく霊が現れるという情報を加えると少し鳥肌が立った。


 もし、ここから落ちたら。川が真っ赤に染まるのかもしれない。


 ……ちょっといやな事を思い出したので首を振った。振り払った。


「どうした」

「なんでもなーい。ダイジョブ」

「車の中で『集中しろ、かなり危ないから』といったのは雪だぞ。本人が注意散漫でどうする」

「ごめんなさいなー」


 橋の中央付近に着いた。事故でもあったのか欄干に大きく傷が入っている。でも特に変わった感じは受けない。ここにいるかもしれないという霊の姿も見えなかった。


「おーい、ごめんくださーい」


 欄干に手を置いて下を覗き込みながら言う。それでも霊は現れない。やっぱりすごく高い。下に川が流れてるといっても深くなさそうなので落ちたらやばい。


 ふと、強い日差しが雲に隠れて、橋に影がかかって薄暗くなった。


「わあっ」


 辺りをきょろきょろと挙動不審に見渡していた恐田さんが後ろを振り返って変な声をあげた。私と牛村さんもその声につられて後ろを振り向く。


 私たちがやってきた方向に一人の男性が立っていた。よれよれのスーツにバーコード頭のおじさんが五メートルほど後ろに。こちらを恨めしそうに見つめながら猫背で何かぼそぼそと呟いている。


「出たな! こちらは幽霊警察です!」


 私はそのおじさんが幽霊だと勝手に確信した。警察手帳でもあればここでばばんと水戸の黄門様よろしくやれたのに。


「いや、待て……何かおかしい。あの人がここの霊だとして、どうも辺りに立ち込めている気配とは別な気がするのだが……」


 牛村さんはおじさんに警戒して私の前に立った。牛の姿をしているだけあってよくわからない威圧感があった。


 私は耳はあんまりよくないのでおじさんが何を言っているかは聞き取れなかったけど、恐田さんはその言葉を聞き取ったようだった。


「……ごめんなさい?」


 恐田さんが呟いた瞬間、右足に痛みが走った。強い力でくるぶし辺りが締め上げられている。咄嗟に飛びのこうとして、右足がその場に張り付いたように全く動かなかったのでしりもちをついて倒れてしまった。


「なんだこりゃあ?」


 右手で私の足を掴み、足元のアスファルトの中から這い上がるようにしてもう一人の男性が現れた。上半身が地面にめり込んで、いや、地面を透過している……この人は幽霊だ。そして僕の足を握り締めたまま離さない。痛い。


「なんで乗っ取れねえんだ?」

「痛いから離してください!」

「なんだこいつ、やっぱ俺らが見えてるのか!」


 サングラスをかけてワックスでつんつんに立てた頭をしている男性だった。首元にきらりと金色のネックレスをしていて、外見はすごくちゃらい。偏見だけどバンドのボーカルでもやってそうだと思った。


 手をいい加減に離してくれないので、驚いている男を左足で蹴り上げる。けど勢いよく外した。外したというよりは透過されたので当たらなかった。そしてよくよく考えると相手の目線的にスカートの中が見えてるのに気がついて両手で押さえた。


「この変態!」

「股をおっぴろげたのはてめーだろーが」

「とにかく離して痛いから!」

「ああ? 命令できる立場にいると思ってん……」

「離せといっているだろうが!」


 僕に気をとられていたサングラス男の霊は牛村さんの胴より短い足の回し蹴りを回避できなかった。顔面に直撃して吹っ飛ばされた男は反対側の欄干に頭をぶつけて止まった。顔と後頭部を押さえてもだえ苦しんでいる。


 物質を好きにすり抜けられるとはいってもそれは自分の意思で能力を発動させる必要があるので、不意うちだったり透過が間に合わないほど速いものにぶつかったりすればダメージがあるらしい。なので人間も殴ろうと思えば霊を殴れる。まず見えてないといけないけど。人ごみの中に入って不可抗力でボコボコにされた霊を見たこともあるし。


「くっそ、意味わかんねえ牛がいると思ってたら、マスコット的なやつじゃねーのかよ。くっそいてえし、あああ、むかつくぜ」


 と言ってサングラス男はゆっくりと立ち上がった。牛村さんは戦闘体勢のまま私の傍にいてくれた。

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