第1話 お化けトンネルでの事故
飲み会で遅くなった帰り、俺は街灯の少ない道路を歩いていた。
その帰り道には、自殺で有名なトンネルがある。昼間はさして気にならないのだが、今は真夜中近い時間だ。
ぽっかりと穴が開いたような暗闇に、背筋が冷たくなったのは三月の風のせいだけではないだろう。
俺はガタイが良いくせにかなり怖がりだ。だが、とにかく早く家に帰りたい。
大丈夫。まだ丑三つ時じゃねぇし、俺には霊感なんてない。幽霊なんか視えねぇ。
そう言い聞かせて俺はトンネルに入った。
トンネル内は暗かったが、距離としては短いし、点滅しているがランプもある。その光を頼りに、そろそろと慎重に進む。
もう少しでランプの下に出るという時、若い女の声がした。耳元で……。
『ねぇ、そこのお兄さん』
俺は後ろをハッと振り返った。だが、女なんていない。
しかし声はまだ、嘲笑うようにフフフとこだました。
「だ、誰だ!」
声を荒げて言った。その声も、怖さで少し震えてしまう。
『楽しいこと、しましょ?』
俺は女が言い終わらないうちに走り出した。後ろに戻るのは怖いから、前に走る。
女はフフフと笑いながら追ってきた。水なんかないはずなのにピチャリピチャリと音がする。
「ハァ、ハァ、ハァ」
『フフフフ、フフフフ』
なんでだろう。走っても走っても出口にたどり着かない。むしろどんどん遠くなってるような気がする。息が切れて辛くなってきた。
俺は何かに足を掴まれたような感じがして、前のめりにコケた。地面に倒れこんで、頭を守ろうとして腕を強く打ち付ける。
起き上がろうとすると、両手足を強く抑え込まれた。
手首を見てみても、特に誰かが押さえつけてる様子はない。俺は力任せに動かしたが、びくともしなかった。
『ちょっと話しかけただけで逃げるなんて、ヒドイじゃない』
後ろで女が言う。
『さて、どうやって死なせようかしら?』
殺される! そう感じた俺は一層力を込めて足掻いた。それを見て女が言う。
『死ぬのが怖い? そんなの一瞬だけよ。それに、こんな美人と一緒なら、あなたも嬉しいでしょ?』
『確かに、お前さんは別嬪だよなぁ? まぁ、死ぬ前の話だけどな』
今度は前の方から声がした。年配の男の声で、揶揄するように放つ。
それと同時に、下駄ようなカランコロンという音が近付いてきた。
『今となっちゃあ、見る影もねぇなぁ』
『お前ら、昼間の……』
女の声が険しいものになった。俺は男に助けを求めたいのだが、怖くてうまく声が出せない。
俺が前を見ると、何となく人の輪郭が見えた。色や柄はわからないが、着物を着ているように見える。多分女だ。
『おめぇさんもこんな遊び止めて、とっとと成仏したらどうだい?』
『もうすぐ出来るわ。彼と一緒なら』
『今までそうやって何人殺してきたよ。え?』
年配の男がそう言うと、突然女が苦しむような声を上げる。
『うぁ……、あ、あぁ……』
さっきの女とは思えないほど、低くて不気味な声がした。女がいるだろう場所だけ闇が濃くなったように見える。
『まずいな。あれ、あるか?』
「あぁ」
着物女が言うと、袖をまさぐって何かを取り出すような仕草をした。
一つはライターらしく、カチッと音がして小さな火が灯る。
「いくぞ」
「へ? 何を?」
着物女が短く告げると、返事もろくに何かに火をつけた。それを闇の中に投げる。
次の瞬間、弾ける音と一緒に強烈な光が俺を襲った。
「う……」
とっさに腕の陰に隠れる。目をつぶったが、すでに遅かった。瞼の裏でチカチカと光が点滅している。
『ま、まぶしい……。やめろぉぉぉ』
女の声がした。薄目を開けると、驚きに思い切り目を開けてしまう。
光に照らされた女は、見るも無残な姿だった。
何かに轢かれたような、そんな姿だった。
手足はあらぬ方向に曲がり、腹から内臓が見え隠れしている。
顔はつぶれ、目も片方亡くなっている。そして様々な場所から血が滴っていた。先ほどの水音はこれか。
『やめろぉ……。みるなぁ……』
地を這うような声で言う。少し長い髪を振り乱して、怯えた目をして腕を振り回した。次第にまた暗くなる。
『美人が見る影もなしかい。諸行無常だねぇ』
「これは自業自得だろう?」
『確かに、違ぇねぇや』
男がそう返すと、後ろからものすごいスピードで何かが通った。
『やめろぉ……。くるなぁ……』
女が叫んだ。さっきの名残か目の錯覚か、揉み合ってるように見える。
『ほら、逃げねぇでくれよ』
『いやぁぁ、くるなぁぁ』
『っおい、そっちは』
次の瞬間、俺は腹のあたりに衝撃を受けた。
「うっ……」
何かに押し退けられるように、壁に激突する。左側頭部を強く打った。
『鈴音、頼まぁ』
男の声が、どこか遠くで発せられるように聞こえた。俺の上を何かが飛び越えたんだろう。風がひゅるりと通りすぎる。
「おい……、おい……」
着物女が俺の頬を軽く叩く。額から生暖かいものが流れ落ちる。
着物女はキョロキョロと辺りを見回した。
あぁ、ヤバい。目も霞んできた。
「まったく……」
俺の肩をつかむと、着物女が言った。かと思うと立ち上がり、走り去ってゆく。
ちょっと、待ってくれよ。一人でこんなとこに置いてかないでくれ。
ぼんやりとした着物女の後姿を最後に、俺の意識は途切れた。
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