アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタ
第35話 見知らぬ惑星 断片的な神の記憶
柔らかな風が頬を撫でる。暖かく心地いい風。スカートの中にも暖かい風が入りこんできて、少しくすぐったい。……私は眠っていたみたいだ。思わずあくびが出てしまう。まだまだ眠れそうな感じ……。
陽が当たってお腹が暖かい。背中の方は少しチクチクとする。これは草だろうか? 草の匂いがする……。
私は眼を開いた。……やはりそうだ、私は草の上に仰向けに寝ころんでいる。
……薄緑色の細長い草……たくさん生えている。私はこの草に埋もれる様にして眠っていた様だ。青空に白い綿雲が浮かんでいる。
風が吹く……草が揺れる……たくさんの草が触れ合う音。草に遮られて周囲を見渡せないけれど、ここは広い草原の様……。草が芝生の様に短ければ遠くまで見渡せるのだけれど……。
私は大きなあくびをした。
すると私の頬に何かが飛んで来た。私はそれを指で摘まんだ。――バッタだ。私の知っているバッタとは少し形が違うけれど、緑色の身体をしているし多分バッタだ。
私はバッタの顔を自分の顔に近づけた。
「こんにちは、バッタ君。どこから来たの?」
バッタは間の抜けた顔で私をじっと見つめている。
「さぁ、お家にお帰り」
私はバッタを空に放り投げた。するとバッタはヘリコプターの羽の様なものを背中から出し、それをぐるぐると回転させた。
「不思議な羽……」
バッタは背中の羽を回転させて辺りを旋回すると、そのままどこかへ飛んで行ってしまった。
ヘンなバッタ……本物のヘリコプターみたいに飛んで行った。あんな羽をしたバッタを私は見た事がない。
私は再び大きなあくびをした。
まぁ、バッタでもカブト虫でも何でもいいや……。世の中には私が知らない珍しい昆虫がたくさんいる筈。
私は身体を左に向け左腕を枕にすると、両足を小さく折りたたむ様にして眼を閉じた。
……遠くで、鳥のさえずる様な声が聞こえる。……ここは静かでとっても気持ちがいい。こんなに落ち着く場所に来たのは初めてかもしれない。
私は深呼吸をした。再び眠気が襲ってくる……起きていられない。……もう一度眠ろう。
私はハッとして眼を開けた。
私はなぜこの場に寝ころんでいるのだろうか? なぜこの場にいるのだろうか? 広い草原……私はどこからこの場にやって来たのだろうか? 私はもっと暗い場所にいた様な気がする……。暗い場所。――そうだ、宇宙空間だ。私は宇宙空間にいた! 宇宙空間で私は……私は助けた! 二つの光を放って助けた! ……誰を? 私は、私は――
「私は大宇宙神を助けた!」
私はすっくと立ち上がった。
立ち上がった私は思わず息を飲んだ……。
私の眼前には見渡す限りの大草原が広がっている。なだらかに起伏した草原は、どこまでもどこまでも続き際限がない。草原の所々には濃い緑色をしたドーム状の木や、綿雲の作る黒い影が見てとれる。
やはりこの場所は草原だった。でも草原は私が想像していたよりも遥かに広大だった。
ここは地球なのだろうか? それとも別の惑星なのだろうか? ……分からない。
「そうだ、私の身体……」
私は思い出した様に自分の身体を眺めた。
宇宙空間で私の身体は光り輝いていたけれど、今は光り輝いていない。私はいつも通り夏用のセーラー服を着ている。……なぜ夏用のセーラー服を着ているのだろうか? この惑星が夏だからだろうか? それとも現在の地球が夏だからだろうか? ……やめよう、考えても答えは見つからないだろう。髪の毛は元通りの長い黒髪。私はいつものアナの姿に戻っている。
急に周囲が暗くなり、あっという間に暗闇になった。……一体どうしたのだろうか? 夜になったのだろうか? いや、それにしては変化が急過ぎる。
強い風がセーラー服と髪の毛をはためかせる……。暗闇の中、草の触れあう音が聞こえる。
暫くすると周囲が明るくなり、再び大草原が姿を現した。私は空を見上げた。
「――そんな、まさか!」
私は驚きのあまり思わず声を上げた。それは空に……黄色い斑模様に覆われた巨大な惑星が浮かんでいたからだ。
濃い黄色と薄い黄色の縞模様に覆われた巨大な惑星。さっきまであの惑星は存在していなかった筈。私の周囲が暗闇に覆われたのは、あの黄色い惑星が陽の光を遮った為だ。
黄色い惑星から少し右に離れた位置、そこに地球から見えるのと同じサイズの太陽――いや、恒星が浮かんでいる。黄色い惑星の一部は影になっている為、惑星全体を見渡す事は出来ないけれど、黄色い惑星は恒星の百倍は大きく見える。まさにアリとゾウだ。
でも、実際には恒星の方が黄色い惑星よりも遥かに大きい筈。――要するに黄色い惑星と、今私が立っている惑星の距離が近いのだ。黄色い惑星の方が恒星よりも遥かに大きく見えてしまうくらい、黄色い惑星と私の立つ惑星の距離が近いのだ。もしかしたら二つの惑星の距離は、地球と月の距離くらいに近いのかもしれない。
ん? どうやら黄色い惑星は凄まじい速さで移動している様だ。黄色い惑星と恒星との距離がどんどん離れていく。黄色い惑星はなだらかな坂道を下る様に空の下の方へ移動していく。
黄色い惑星は、あっという間に草原の向こう側に沈んで消えてしまった。……そうか、黄色い惑星が突如空に現れた様に感じたのは、あれほどの速さで空を移動していたからだ。
でも、おかげで一つはっきりと分かった。――この惑星は地球ではない! 地球にそっくりな別の惑星なのだ! 今、私は全く知りもしない惑星に存在しているのだ。
なぜ大宇宙神を助けた私はこの惑星に存在しているのだろうか? そもそも、なぜ私は光を放ち大宇宙神を助ける事が出来たのだろうか? 私の身体は常に光り輝いていたし……。一体、どうして?
突然、身体に電気が走った。――腕が痺れる! 私は自分の掌を眺めた。すると掌が白く光った。その光を見た私の脳内に青い光が充満した。――記憶がみるみる蘇ってきた。
「私は、神だった!」
思い出した! 私の身体が光っていたのは、私が神だったからだ! 私は前世で神だった! 神だった時の私の名前は、名前は――
「アナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタ!」
私は大草原の真ん中で叫んだ。
すると夥しい数の何かが大草原のあちらこちらから飛び出して来た。――虫や鳥だ! 地球でも見かける様な虫や鳥が、草の陰から一斉に空に舞い上がった。この大草原に、こんなにもたくさんの虫や鳥がいたなんて!
私の声の大きさに驚いたのだろうか? それとも叫んだ言葉の内容に驚いたのだろうか? 虫や鳥達は身体をぶつけながら、我先にとばかりに空高く飛んで行く。
上空で虫や鳥達が波の様にうねり陽の光が遮られる。虫の羽音と鳥の鳴き声が混ざった音が辺りを埋め尽くす。
慌てふためいて飛び回っていた虫や鳥達は徐々に一つにまとまると、同じ方向を向いて旋回し始めた。虫や鳥達は、まるで一匹の巨大な生き物となり身体をくねらせて上空を旋回する。――これは巨大な黒い蛇だ!
黒い蛇はどんどんスピードを上げて一定の周回軌道を描く。黒い蛇の身体はスピードが上がるに連れ細く長く伸びる。
細く長く伸びた黒い蛇は、とうとう自身の尻尾に噛みつく。まさに、「ウロボロスの環」だ。
黒い蛇のスピードが更に上がる。……すごい熱風、黒い蛇から熱風が吹いてくる! 虫や鳥達の身体が擦れ、凄まじい熱が発生しているのだ!
黒い蛇は暫く上空を旋回すると軌道を外れ、その勢いのまま真っすぐに進路を取った。
虫や鳥達が「ウロボロスの環」から弾丸の様に飛び出して行く。
弾丸と化した虫や鳥達は、長い尾を引いて空の彼方へと消えてしまった……。
いつの間にか周囲は明るくなっている。
天を仰ぐと無数の虫の羽や、鳥の羽毛らしきものが舞っている。――まるで雪の様だ。
「どうして……あんなに慌てて……」
虫や鳥達は、なぜあんなにも慌てて逃げ出したのだろうか? 皆で協力してこの場から逃げていった。……もしかして、虫や鳥達は私の存在に驚いて逃げ出したのだろうか? 私の存在が恐ろしいから、皆で協力してこの場所から逃げ出したのだろうか? だとしたらなぜ私の存在が恐ろしいのだろうか?
雪の様に空を舞う虫の羽や鳥の羽毛が、あちらこちらで白い光を放って消える。辺り一面、ダイヤモンドダストの様にキラキラと輝く。神秘的で美しいけれど、どこか不吉な感じもする。虫や鳥達は自らの痕跡を全て消そうとしているのだろうか……。
私の肩に何かがぶつかり足下の草の中に落ちた。私は草の中をまさぐり、それと思われるものを手に取った。
――バッタだ。ヘリコプターみたいな羽をした、あの緑色のバッタ。……動かない、既に死んでいる様だ。このバッタは私の顔に飛んで来たバッタ君だろうか? いや、あれだけ夥しい数の虫がいたのだ。そんな偶然があるわけない。
どうやら、このバッタは他の虫や鳥にぶつかって死んだのではない様だ。顔面の半分が千切れてなくなっている。他の虫か鳥に噛み殺されたのだろう。でも、他の虫や鳥の死骸が空から落ちて来たりはしない。全ての虫や鳥は、この場から生きて逃げ去った筈。……このバッタだけが仲間から殺されてしまったのだろうか? やはりこのバッタが、私と関わりを持ったあのバッタ君だからだろうか?
風が頬を撫でる。
私はバッタの死骸を手にしたまま天を仰いだ。
死んだ虫や鳥達が放った無数の光は全て消え、何事もなかった様に青空と綿雲が存在している。
「私は前時代宇宙で神だった……」
私は天を仰いだまま、台詞を読む様に呟いてみた。
私はアナ・ウロングクスヌク・ピエトリ・ユタという破壊の神だった……。それは思い出した。でも、私はなぜ破壊の神と呼ばれていたのだろうか? それが思い出せない。私は何か酷い事をたくさんしてしまったのだろうか? 殺戮や破壊を繰り返したのだろうか?
私はやおらしゃがみこみ、足下にあったソフトボール大の黒い石を持ち上げてどかした。
私はその下の茶色い土に小さな穴を掘りそこにバッタの死骸を埋めると、再びソフトボール大の黒い石を元の場所に戻した。――墓標だ。これはバッタのお墓だ。
私はしゃがみこんだまま黒い石を撫でた。すると、ふっとルカの姿が頭をよぎった。……そうだ、思い出した。私が破壊の神の体内で苦しんでいた時、ルカは私を励ましてくれていた。私が大宇宙神を助けた後、ルカは黒い空間から解放された筈。私は宇宙空間で笑うルカの姿を見た。あのままルカは宇宙空間を漂っているのだろうか? それとも――
「アナ、アナ!」
私は立ち上がった。
どこからか私を呼ぶ声が聞こえる。
「アナ!」
黄色い惑星が沈んでいった方向から女の人の声がする。
眼を遣ると、草を掻き分けて歩いて来る人の姿が見えた。髪の毛は長く、肩にかかっている。やはり女の人の様だ。私を呼んだ声の主だろう。
女の人は私からすぐそこまでの距離に来ると立ち止った。
間近で女の人を見た私は声を失った。鼻筋の通った綺麗な顔、肩にかかる黒髪、青いボーダー柄の白いシャツ、そして首に巻いた赤いバンダナ。――ルカだ。
「アナ」
ルカは私の眼を見て微笑んだ。
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