第28話 絶望のアナ 神との決別





――暗い。     

……何も見えない。 



……私は死んだの? 体が動かない

    

 


……私はうつ伏せに倒れている様だ。暑さも寒さも何も感じない……。そうだ、きっと死んだのだ。体が何も感じないのはその為だ……。

 シン……世界は今どんな感じ? ルカと会って幸せに暮らせている? モノノリとアオノリはどうなったかな? コタッツ銀河はどう? マルクナールは平和?



……大丈夫だ。全部上手くいった筈。体内ブラックホールは消えた。私の胸の辺りはすっきりして何も感じない。


……安堵感。

……さぁ、神様? 私はどうなるの? 煮るなり焼くなり好きにして。






……何も起きない。……なぜ?


 それに待って……死んでも思考は続くのかしら? 全て無にならないの? なぜ、私はこうして何かを考え続けているのだろうか?

 

 眼の前が少しずつ明るくなってきた。……私は気を失っていただけ? ……もしかしたら体も動く? 右手――動く! 左手――動く! 他の部分も全て問題なく動く! 私は死んではいない! 

 

「……なぜ? 一体、なぜだ!」


 誰かの叫ぶ声がする。神様の声ではない……

「どうしてこのままなんだ!」

――この声はシンの声! 私の声ではない、アナの身体に入り込んだシンの声ではない、シンそのものの声だ!

「何も変わっていない! 何も変わっていないじゃないか!」

 シンは泣き叫んでいる。……一体、何が起きたというのだ? 

 私は思い切って立ちあがった。――大丈夫だ、問題なく立ち上がれる! 

 シンはどこ?

「あ!」

 私は思わず声を上げてしまった。シンは体育座りの様な格好で頭を抱えている。いや、それ自体は別に大した事ではない。そうではない、シンはシンそのものの姿をしている。私の――アナの姿ではない。白いTシャツに黒い七分丈のズボン――さっきまでと同じシンの姿だ! 

 私の姿は――アナだ! 夏服のセーラー服を着ていて髪の毛も長い! 「あーあー」……うん、声も女の子の声。

 私とシンは元の姿に戻った! 良かった……のかな? うん、良かった! ……でも、そうするとシンは一体なぜ泣いているのだろう? 「変わっていない!」って言うけれど変わったじゃない。元の姿に戻ったじゃない。

「シン……シン!」

 シンを呼んだけれど一切返事はない。

「シン!」

 私はシンの肩に触れようとした。――瞬間、私はシンの体をスリ抜けて転倒してしまった。シンは私に気付く様子はない。……なぜ? 私の姿は再び見えなくなってしまったの? 声も聞こえないの? 

 私は立ち上がり、「シン」と呼びながら再び肩に触れようとした。でも、手はスリ抜けてしまう。私の声も聞こえていない様子。そんな……何もかも前の私に戻ってしまったの? 嫌だ、せっかく普通の人間らしくなれたのに! また独りぼっちの世界に戻ってしまうの? あぁ、頭がヘンになりそう! 

 ……駄目、駄目! 焦っちゃ駄目、冷静になろう! まず、今、自分がどこにいるのか確認しよう。どこ、この場所は? ……あれは南大川駅、その先にはバスのロータリー、イト―ヨークドーもある。――ここは南大川駅のままだ! 駅前の遊歩道だ! 私とシンは別の時間、別の場所にタイムスリップすらしなかった。一体、どうしてなの!

「ルカ、なぜ……ルカぁ!」

 シンはふらふら立ち上がると私をスリ抜けて行った。……やっぱりシンは私をスリ抜けて行く、腹立たしい! 

 私はシンの方へと振り返った。――え? ……まさか! まさか、そんな……。

 両手を開いて歩くシンの背中の向こう、そこにはあの巨大な黒い空間が浮かんでいた。帝都大やアウトレット南大川の一部を含んだ黒い空間……。まるでそこにあるのが当たり前だと言わんばかりに黒い空間は存在している。

「くっそぉ! くっそおおお!」

 私は両足を何度も蹴りあげる様にして喚き散らした。

 体内ブラックホールは消えなかったの? ホワイトボールで体内ブラックホールを消し去る方法は間違いだったの? ……でも、神様の声が聞こえたから間違ってはいない筈。それにホワイトボールは確実に体内に入り込んだ! じゃあ、あの黒い空間は一体どういう事?

……いや、もしかすると体内ブラックホールは消えたのかもしれない。でも、あの黒い空間だけが残ったのかもしれない。……そうだ、そうかもしれない! 世界は救われた! ルカはどこかその辺りにいるのかもしれない!

「ルカ、返事をしてルカ!」

 でも、ルカの姿はどこにも見当たらない。……あぁ、分からない! 意味が分からない! くそ、何がどうなっているの! 神様、教えて! 返事をして神様!

「モノノリ、アオノリ、アナ!」

 シンは辺りを見回して叫んだ。

――そうだ、モノノリとアオノリはどうしたのだろう? そう言えば二人の姿が見当たらない!

 すると、「ニャーニャー」と鳴きながら二匹の白い猫が歩いて来た。毛むくじゃらの太った猫と毛の短い細い猫……。二匹の白い猫は、白い布の様な物を身に纏っている。まさか、この二匹の猫って……。

「お前達、まさか?」

 シンも二匹の白い猫に気付いた様だ。二匹の猫は差し伸べた私の腕をスリ抜けてシンの方へ歩いて行く。

 シンはしゃがんで両手を広げた。細い猫はシンの足にまとわりつくと、ゴロゴロと喉を鳴らした。太った猫は大きな口を開けてあくびをしている。

 シンは二匹の白い猫を抱くと、二匹が身に纏っている白い布を交互につまんだ。

「……お前達はモノノリにアオノリだな? こんな、普通の猫に……」

 シンは二匹の猫を抱いたまま泣き崩れた。

 シンの言う通り、この二匹の猫はモノノリにアオノリだろう。なぜ、普通の猫の姿になってしまったのだろうか? 

「……ルカも帰って来ない。アナもどこかに消えてしまった。やっぱり、体内ブラックホールは消えなかったんだ……」

 シンは胸に抱いた猫の頭の間に顔を埋めた。

「モノノリ、アオノリ……体内ブラックホールは近いうちに世界に現れる。そして地球も天の川銀河もコタッツ銀河も全て飲み込んでしまう。モノノリ、アオノリ……俺達の全ては失敗した!」

 シンは肩を揺らして泣き始めた。

 ……そんな、失敗だなんて。嫌、そんなの! 私達の努力は水の泡だったと言うの?

 シンはよろよろと立ち上がると黒い空間に背を向けて歩きだした。

「シン、待って!」

 私はシンの正面に立った。

「他にも体内ブラックホールを消し去る手段があるかもしれない! ――いや、実は体内ブラックホールは既に消えているのかもしれないし!」

 私はシンを制止する様に両手を広げた。でも、シンもモノノリもアオノリも私の体をスリ抜けてしまった。

 シンは倒れた自転車のところまで歩くと足を止めた。シンは路面に転がったルカのバッグをじっと見つめている。

 シンは俯いて首を振ると、自転車には乗らずにロータリーの方へ歩いて行ってしまった。

「駄目! せめてルカのバッグくらい持って帰って!」

 私は倒れた自転車のところまで走りルカのバッグを拾った。ルカはきっと帰って来る! だから、ルカのバッグは持って帰らないと駄目!

「シン、シン!」

 私はシンの背中に向かって叫んだ。でも、シンは振り返らずに歩いて行ってしまった。

 

 私は呆然と立ちすくんだ。これからどうしたらいいのだろうか? シンの言う通り、体内ブラックホールは近いうちに体外に飛び出し、全てを滅茶苦茶にしてしまうのだろうか? それとも体内ブラックホールは既に消えているのだろうか? あぁ、わからない! 

……神様、これは何かの試練? わざと私を苦しめているの? ねえ、一体――

――あれ? 私は二匹の猫を抱いて歩くシンの横に立っている……。なぜ……? そうか、私の視界からシンが消えたからだ! 私はシンの傍に瞬間移動したのだ! あぁ、煩わしいこのルール! 私が持っていたルカのバッグも消えている。ルカのバッグがシンの眼に入る位置にあったからだ。ルカのバッグは倒れた自転車のカゴの中に戻ってしまったのだろう。私は物を扱う事が出来るけれど、世界に影響を与える事は出来ない。

 全て元に戻ってしまった。私は再びシンの傍で生きていかなくてはならないのだ。誰にも見えず、多くの制約に縛られ死ぬ事も出来ずに……。


「協力しなさい。世界を変えてはならぬ」


 神様の声だ! 神様の声が聞こえる! 神様の声が……。神様……。 

「協力しなさい」か……。いつものセリフ、「協力しなさい」……。

 何だろうかこの気持ちは? 煮えたぎった何かが体の奥底から湧いてくる。――怒りだ! 激しい怒りだ! ……駄目だ、気持ちを押さえられない!


「もう、あなたの言葉なんて聞きたくない!」

 

 私は天を仰ぎ、神様に向かって叫んだ! 

「いい加減にして! あなたの言う通りに色々やってきたけれど全然報われないし!」

 私はイライラとして頭を掻きむしった。――そうだ、本当にそうだ! 偉そうにしやがって! なぜいつも私に試練を与えるのだろうか? ――いや、これは試練ではない! 気まぐれだ! このセーラー服と同じ気まぐれだ! なぜ、いじわるばかりするのだろうか? ……ていうか、こいつは神なのだろうか? 本当は悪魔ではなかろうか? 

 そう考えると私のはらわたは更に煮えくり返ってきた!

「もう、お前のヒマつぶしには付き合えない、二度と私の前に現れるな!」

 私は天に向かって唾を吐いた。 


 あぁ……私は再び元の存在に戻ってしまうのだろう。

 結局、私は体内ブラックホールを除去する為に存在していたのではない様だ。それは大きな、薄甘い勘違いだったらしい。私は一体、なぜ存在しているのだろうか?

 神よ……許さない。こんな仕打ちってあんまりだと思う。私に起こった全て、それはあなたの気まぐれだった訳ね。何の意味もないのだ。


 もう、私は神を信じない。絶対に神を信じない……。

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