第17話 アナとルカの青春 しかし、その後・・・・・・
私が南大川駅の改札前に着いたのは十一時四十八分十二秒。既にルカは私の事を待っていた。
「シン君、何で自転車に乗って来たの?」
ルカはそう言うとゲラゲラと笑いだした。
「え? ウチから自転車で来てもそう遠くはないから。ちょっと暑かったけれど」
私はカゴの中のバッグからハンドタオルを取り出し、顔や首の汗を拭った。
ルカは首を振り笑いながら言った。
「そうじゃなくて、駐輪場に置いてこないで自転車に乗ったまま現れるって! なんかヘン!」
ルカはまだ笑っている。
確かにルカの言う通りだ。私は何で駐輪場に自転車を置いて来なかったのだろう?
「確かにそうだなぁ。……お姉さん、俺の車でデートしないかい?」
私は自転車に跨ったまま、右手の親指で後ろの荷台を指しながら冗談を言った。私も少しは冗談ってやつを言える様になった。
「もう、超ウケる!」
ルカはお腹を抱えて笑った。私も可笑しくなり声を出して笑った。
私達は昨日よりもリラックスしている様に思う。お代場でデートをして付き合う事になり親密度が一気に増したのだ。お互い気負わずにいられる。
今日のルカの服装も昨日とは違ってカジュアルな感じ。青いボーダー柄の白い半袖、デニムのパンツ、――パンツの裾はくるぶしの辺りで細くロールアップしている。素足に履いた赤いデッキシューズ、バスケットの様な茶色いバッグ、そして細い輪の様にして首に巻いた赤いバンダナ……。お代場でデートした時にも思ったけれど、ルカはとっても服のセンスが良い。
「じゃあ、海まで宜しく!」
ルカは笑顔でそう言うと自分のバッグを自転車のカゴに放り込み、私の腰に両手を回して荷台に跨った。
「本当に乗るんだ?」
「いいじゃん、少し走ろうよ! あの帝都大の前まで行って戻って来よう!」
南大川駅のすぐ前には左右に伸びた広い遊歩道がある。改札を出て左に行くとバスのロータリーや交番、デパートの「イトーヨークドー」等がある。
改札を出て右に行き橋を超えると、南フランス風の茶色い建物が左右に並ぶ。アウトレット南大川の建物だ。そこから少し進むと上りの階段とスロープが現れる。階段を上った先は帝都大学の敷地になる。ルカはその階段とスロープのある所まで自転車で行って戻って来ようと言っているみたい。ほんの片道百メートル程のささやかな旅だ。
「シン君、海まで出発!」
「オッケー! お姉さん、振り落とされるなよ!」
私は照りつける太陽の下、ルカを後ろに乗せフラフラとしながら走り出した。
なかなか自転車の二人乗りっていうのは難しい。シンは中学時代に友達とよく二人乗りをしていたけれど、もっとスムーズに綺麗に乗っていた。ルカは「真っすぐ走って!」と声を上げながら笑っている。
私は数メートル進むと真っすぐ走れる様になってきた。でも今日は夏休み最初の土曜日、家族連れやカップル等、人通りも多いので慎重に自転車を漕いだ。
「私達、本当に付き合っているのね」
ルカが私の背中で呟いた。
「あぁ、付き合っている」
私は前を向いたまま答えた。
「私達が出会ったのって奇跡かもね!」
ルカはそう言うと、荷台に跨ったまま両足を前後にぶらぶらとさせた。
「お、おい。危ないから!」
私は自転車が進んだり止まったりする度にバランスを崩しそうになる。
「ごめんね!」
ルカはカラカラと笑った。
「奇跡か……」
私は白い入道雲を見上げながら呟いた。
ルカは奇跡って言った。奇跡……確かにそうかもしれない。人と人との出会いは奇蹟なのかもしれない。宇宙が出来てから確か百三十八億年……とても長い時間。その長い時間の中の今、この瞬間に同時に存在していなければ人と人は出会えない。
時間が一致するだけでは駄目。さらに広大な宇宙の同じ場所に同時に存在しなければならない。同じ天の川銀河の、同じ太陽系の、同じ地球の、同じ国の、同じ場所に同時に存在しなければならない。時間と場所がまさに天文学的な確立で偶然に一致しなければ人と人は出会えない。
それでも、人は生まれて死ぬまでの間に多くの人と出会う。人と人は日々、地球上の至るところで出会っている。私達は奇跡に囲まれている。私達は毎日奇跡を経験している。……もしかしたら、私達一人一人が奇跡そのものなのかもしれない。
何だか体の内から力が湧いてきた。万能感ってやつかな? 何でも出来そうな気がする。同時に妙に可笑しくなってきた。私は笑いだした。
「どうしたの、シン君?」
ルカが首を伸ばして私の顔を覗きこもうとしている。黙っていた私が急に笑い出したから不思議に思ったのだろう。
「いや、俺がルカに出会えたのは本当に奇蹟だなって思ってね」
「シン君、なんかヘンよ?」
ルカは笑いながらそう言うと、「そりゃ!」と声を出し荷台から飛び降りた。急に自転車の後ろ側が軽くなったので、私はバランスを崩しそうになり片足を着いた。
「あ、もうここまで来ていたのか」
私は思わず呟いた。
私のすぐ眼の前には帝都大へ上って行く階段がある。私は既に百メートル程自転車を走らせていたのだ。考え事をしていたから全然気付かなかった。
「シン君、そこどいて」
ルカはそう言うと、私の体を無理矢理サドルから下ろし自分がサドルに跨った。
「今度は私の番! お兄さん、乗って」
ルカは前を向いたまま左手の人差し指で何度も荷台を指している。今度はルカが自転車を運転するらしい。荷台に乗れと命令している。
私は荷台に跨った。
「大丈夫かぁ? 後ろに人を乗せて走るのは結構難しいよ?」
「大丈夫! やってやれない事はない筈だから」
確かに、そうかもしれない。やってやれない事はない。まぁ、バランスさえ取れたら難しくはない。
「……私、自転車に乗れないけどね!」
「え?」
「私は自転車に乗れないの! 運転出来ないの!」
「じゃあ、無理でしょ! 自転車に乗れないのにましてや二人乗りなんて――」
「――普通に考えればそうかもね! でも、何だか出来そうな気がするの。……何かね、私の人生の色々な事が良くなっていく気がするの」
「何それ? 今の人生は何か問題でもあるの?」
私はすぐに「しまった」と思った。ルカの家庭は冷え切っているのだった。人生の色々な事ってその事だろう。ルカはその話しをしたくない筈。
「……私の両親ね、とっても仲が悪いの。毎日毎日喧嘩ばっかり。原因はお父さんの仕事かな? よく分からない。お父さんは毎日イライラしているし、お母さんは家にいない事が多くなったし。だから、色々とキツイの……」
ルカはそこまで話すと黙ってしまった。
ルカが初めて家庭の話しをした。今までルカは一切家庭の話しをした事がない。前の世界でも一切話した事なんてない。どうして今、その話しをしようと思ったのだろう?
ルカは咳払いをすると、私の方へ振り返って笑った。
「そんな話しされても困るよね! でもね、これからは全てが良くなっていく気がするの! だから自転車も乗れるし二人乗りも出来る筈!」
私は複雑な気分になった。前の世界だと両親の仲が良くなる事はない。それどころか父が家に火を放ちルカは死んでしまう。
……でも、それは前の世界の話し。これからは全て良くなっていくと思う。いや、そうしなければならない!
今、この先数十メートルはほとんど人も歩いていない。人にぶつかったりする危険は少ない。二人乗りをするには良いタイミングだ。
「ルカ、出発!」
私はルカの腰に両手を回した。……細くて温かい腰。ルカの背中は少し汗ばんでいる。私は汗が嫌いだ。でもルカの汗は全然嫌じゃない。
「うん。出発!」
ルカは右足をペダルに乗せ、ぐっと力を入れて踏み込んだ。
「ルカ、左足もペダルに乗せろ!」
ルカはフラフラとしながら左足をペダルに乗せた。自転車はカクカクと左右に大きく蛇行し始めた。
「駄目! 転んじゃう!」
「大丈夫だ、漕ぎ続けろ! 姿勢を真っすぐにしてハンドルをしっかり握れ!」
ルカは背筋を伸ばしてバランスを取りながらペダルを漕ぎ続けた。
ルカ頑張れ! ルカが自転車に乗れたら、私の全ても上手くいく様な気がする!
「そうだ! そのまま行け!」
自転車は何度も倒れそうになる。ルカはその度に体勢を立て直す。
暫くすると自転車はスムーズに真っすぐと進みだした。
「シン君、真っすぐ走っている!」
「乗れたじゃん、しかも二人乗りで!」
「乗れた、乗れた! やったー!」
ルカは私を乗せたまま軽快に自転車を漕いで行く。
私達は大きな声で笑った。白い入道雲が浮かぶ夏の青空に、私達の笑い声が吸い込まれていく様な気がした。
突然、女性の悲鳴や子供の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。南大川駅の方からだ。
「……何だろう? 何かあったのかな?」
ルカは自転車を停め、サドルに跨ったまま首を伸ばして南大川駅の方を見ている。
すると南大川駅の方から赤いバイクが走ってきて、進行方向にいる歩行者を跳ねていく様子が見えた。
「やだ! 人が倒れていく!」
ルカはバランスを崩しそうになり自転車のサドルから降りた。私も転びそうになりながら荷台から降りた。
赤いバイクは真っすぐ私達の方へ向かって来る。……嫌な予感がする!
「ルカ! こっちだ!」
私はルカの手を掴んだ。そしてバイクが向かって来る方向とは反対側、帝都大へ上がって行く階段に向かって駆けだした。後ろからはバイクの「キュイーン!」というエンジン音が聞こえてくる。
この音、聞いた事がある! ……まさか!
私は足を止めて後ろを振り返った。
「どうしたの!」
ルカも手を握ったまま足を止めて振り返った。
赤い大型バイクがほんの五十メートル程のところまで迫って来ている。サーキットで走る様な赤いバイク、赤いヘルメットのライダー……。――このバイクは峠でシンを跳ねたバイクだ! パンクしたロードバイクを直そうとしていたシンを跳ねたバイクだ! なぜ、今この場所に現れるの! 体内ブラックホールの仕業?
「逃げないと跳ねられちゃう!」
ルカが私の手を引っ張る。でも、私は体の力が抜けて動けない。
すぐ眼の前までバイクは迫って来た。ルカの「シン君!」という叫び声が聞こえる。
私は上半身を屈めると片手で顔を覆った――
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