私は十四歳の女の子アナ。でも三千年生きています。

天乃川シン

動き始めた運命

第1話 アナ

 私の名前はアナ。

 十四歳。

 知っている事はこれだけ。

 他の事は何も知らない。


 身体からだの特徴から考えると性別は女性。黒い髪の毛は長く胸まで届く。おでこは広く鼻は少し丸い。かまぼこ型の大きなのせいか、楽しくもないのに笑っている様な表情をしている。背はあまり高くない。なぜかいつもセーラー服を着ている。他の服を着た事はない。


「私達は突然この世界に投げ出されている」

「私達は理由も分からずに生きている」


 人間の存在をそう表現しているのを、私はどこかで聞いた事がある。人間は自分の好むと好まざるとに関わらずこの世界に生まれ、生まれた理由も分からずに生きていかなければならないらしい。人間の存在を少し悲観的に捉えていると思うけれど、言っている事は間違っていない。確かにそうだ。

 私も同じ。私も突然この世界に投げ出されて存在している。ただ、私の場合は哲学的な表現ではなく実際に突然存在している。十四歳のアナとして、突然この世界に存在している。私は普通の人間とは少し違った存在だ。

「お母さんの身体からこの世界に生まれ落ち、多くの人間たちと様々な関わり合いを持ちながら成長し十四歳となって今ここにいる」

 私と同じ十四歳の人間達は、そういう当たり前の経験を経たうえで存在していると思う。でも私は違う。十四歳までの過去はない。いきなり、ポンと十四歳の人間としてこの世界に投げ出されている。真空から生成したかの様に突然この世界に現れ出ている。


 存在が始まった頃の私は、果てしなく広がる大海原のド真ん中に突然投げ出されたような気分だった。なぜここにいるのか分からない。これから何をしたら良いのか分からない。私は呆けた様に立ち尽くすだけだった。

 実際、大海原のド真ん中に投げ出されたほうがマシだったのかもしれない。「ここは海の真ん中だろう」と自分のいる場所をすぐに把握出来るだろうし、「泳いで陸を探す」という目的もすぐに設定出来るだろうから。私は自分が海にいるのか山にいるのか地球の外にいるのかも未だに分からない。私の置かれた状況はどう解釈したら良いのだろうか?


「アナ」「十四歳」なぜかこの二つだけは知っていた。この二つの情報だけは当たり前の様に、特に意識することもなく知っていた。なぜ知っていたのかは全く分からない。脳の中に刷り込まれていたとでも言うしかないかな。

 私はなぜ自分が女性だという情報を知らなかったのか? 知っている事になっていなかったのか? 不思議でならない。身体の特徴からして、私が女性だという事は確かだと思う。だって私にちんちんはついていないし胸は膨らんでいる。だから私は女性で間違いないと思う。でも、これは私が自分の見た目から判断したに過ぎない。

 私は見た目からは知ることが難しいアナという「名前」と、やはり見た目からは知ることが難しいと言ってもいい十四歳という「年齢」は知っていた。でも、私は見た目から簡単に判断出来る、女性という「性別」は知らされていなかった。……この違いはどういう意味だろうか? もしかして、ここに私の存在の秘密があるのかもしれないけれど、色々と考えてみても、「私はちんちんのない、胸が膨らんだ男の子かもしれない」という、プッと噴き出しそうなどうでもいい結論に辿りつくだけ。神が存在するのか知らないけれど、名前と年齢しか知らないのは神の気まぐれなのかもしれない。意味なんてないのかもしれない。


 私はなぜセーラー服を着ているのか? この理由ももちろん分からない。

――セーラー服は知っているよね? 長いスカーフと、三角形の大きな襟が特徴的な制服。襟に通したスカーフを、胸の前で「キュッ」と結んでいる制服を見た事があるかもしれない。

 今は九月の下旬、だから私は夏用のセーラー服、「夏服」を着ている。

 ひとえにセーラー服と言っても色々なデザインのものがあると思う。だから私が今着ている夏服のデザインも一応説明しておく。

 まず上半身、ベースになっているのは白い半袖のシャツ。この白い半袖のシャツに、紺色に白い三本のラインが入った襟、胸当て、袖、左胸のがポケットがくっついている。スカーフは単色の紺色。そして下半身は紺色のスカートと紺色のハイソックス。――こういったデザインになる。……当たり前の様に言ってしまったけれど、「胸当て」ってどんな物か分かる? 「胸当て」は胸元に当てる布の事。多分、胸元が露わにならない様にする為の物だと思う。……まぁ、露わになる程、私の胸は大きくないけれど。

 私が着ている冬用のセーラー服、「冬服」のデザインも説明しておく。

 上半身は紺色の長袖。襟、胸当て、袖も紺色だけれど、夏服と同じ様に全て白い三本のラインが入る。スカーフは白。下半身は紺色のスカートと紺色のハイソックス。――こんな感じ。

 因みにもうすぐ十月で衣替えだけれど、十月一日に日付が変わった瞬間、私の着ている夏服は冬服に切り替わる。私が着替える訳ではない、マジックの様に一瞬で切り替わる。そして六月一日になると、再び冬服から夏服に一瞬で切り替わる。

 もう慣れて何も感じないけれど、最初は悪い冗談の様に感じた。神の気まぐれというよりも悪ふざけだ。絶対に大した意味なんてない。それでも自分の存在について謎が多い以上、このセーラー服の切り替わりについても、何か存在の秘密が隠されているのではないかと事あるごとに考えてしまう。


 何が何だか話しが分からない? 妄想に取りつかれている様に思う? 名前と年齢しか知らないとか、セーラー服が勝手に切り替わるとか……。別に妄想でもないし嘘を言っている訳でもないの。自分でも答えの分からない非現実的な話しをしなければいけないから、訳が分からない様に聞こえるのだと思う。でもお願いだから我慢して。そして私の話しを聞いてほしい。だって、これは生まれて初めて私が人に話しをすることだから。


 東京郊外の七王子市。この七王子市のとある閑静な住宅街に、私の存在の基点となる家がある。――変な表現だよね? 「私の住んでいる家がある」って普通に言えばいいところだと思う。でも、この家は私のものではない。勝手に私がいるだけ。それにこの家にいることは多いけれど、住んでいるわけではないし生活しているわけでもない。だから、やっぱり「存在の基点となる家がある」と表現するしかない。

 私の存在の基点となっている家は、七王子市のとある街の住宅街だけれど、私の存在が始まったのはこの家からではない。七王子市にある病院の産婦人科、もっと詳しく言うとこの産婦人科の分娩室だ。

 分娩室と言ってもここで私が生まれたわけではない。いや、ここから私の存在が始まったのだけれど、母体から私が産み落とされたわけではない。私は「無」から、今と全く同じ姿のまま突然この世界に現れ出た。現れ出たのが偶然この分娩室だっただけのこと。

 でも、偶然と言っても全くの偶然でこの分娩室に現れ出たわけではない。私が現れ出たのと全く同じ瞬間、同じ分娩室で黒井ケイコという母体から男の子が生まれた。後にシンと名付けられたこの男の子が生まれた場所だから、私はこの分娩室に現れ出た。シンが駅で生まれていたら私はその駅で現れ出ただろうし、シンが公園で生まれていたら、やはり私はその公園で現れ出たのだろう。

 そう、私の存在は黒井シンの誕生と共に始まったの。黒井シンは、「私の存在を始めた存在」でもあり、「私の存在を規定する存在」でもある。私はずっとシンの傍に存在している。シンが住んでいるから、東京郊外の家が私の存在の基点となっている。

 でも、シンには私の姿は一切見えていない。なぜかは分からないけれどそういうことになっている。シンだけじゃない、私の姿は誰にも見えない。無視されているとか、相手にされていないことをそう表現しているのではない。実際に空気や風と同じで、私の姿は人間の眼では見ることができない。見えていないだけではない、人間は私に触ることも出来ないし私の声も全く聞こえない。本当に私の存在は空気や風と同じ。

 そんなふうに存在している人間がこの世にいるだろうか? 空気や風と同じだなんて。いや、私は空気や風ともまた違っているかもしれない。空気や風は見えないし触れないけれど、そこに「ある」ことが感じられる。誰か私を「ある」と感じる事が出来るのだろうか? 私は確かにここに存在しているけれど、誰も私の存在に気付かない。それって、この世界に存在していないのと同じではないだろうか? 私が存在していようが存在していまいが誰も困らない。

 

 一体……私はなぜこの世界に存在しているのだろうか?

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