22、地下牢
鍵を掛け、誰も入れない
カールン警備兵士団ジャギルスは、全裸のまま暖炉前の
突然、何者かが居間の扉を叩いた。
その音に、ぐったりと
「誰だ!」
情事のあとの心地よい気だるさを邪魔され、やや不機嫌ぎみにジャキルスが声を上げる。
「メ、メイドのサリアです」
廊下から女の声がした。
「ルニクとおっしゃる方が、お見えになりました……」
それを聞いてアルマが不審げに
「ルニク? 何者です?」
「なに、最近雇った『用心棒』だ。心配いらん」
答えながら、ジャギルスが椅子の背もたれから身を起こす。
「しかし、こんな夜中に、公邸に何の用だ? ……ああ……そうか……今夜は〈
カールン警備兵士団長は、椅子から立ち上がり、服を着始めた。
帝国の紋章が
興味津々に居間の中を
アルマが部屋の中から鍵を掛ける「カチャリ」という音が響いた。
「ルニクは
メイドと一緒に玄関ホールへ向かう。
ホールに出ると、晩秋の深夜だというのに上半身裸の少年が寒がりもせず立っていた。
「これは、これは……
「
「そう焦らずに……ひとつひとつ行きましょうよ……まず『お
「何っ! それで貴様はこの公邸に何をしに現れたのだ? 昨日予定していた子供に逃げられて、ザック様は丸一日空腹を我慢しておられるのだぞ!」
「まあ、まあ……」
ルニクが警備兵士団長を
一年前まではカールンの暗黒街で非合法組織の親玉だった、四十代半ばの筋骨たくましい男を前に、この十代前半の痩せた少年は緊張の
「パン屋の奥方には逃げられましたが……実は今夜、意外な『大物』が網に引っ掛かりましてね」
「大物?」
「元警備兵士団の副団長、〈
「何ッ! それは本当か!」
ジャギルスの問いには答えず、少年は、芝居がかった仕草で指をパチンッと鳴らした。それを合図に、入り口近くに立っていた兵士が玄関の扉を開ける。
二人の男に抱えられ、玄関の外からホールに入って来たのは……正しく……
「おお! 正しく、〈
女を担いできた兵士らは、硬直して人形のように直立している女剣士をジャギルスの目の前に置いた。
「……で、どうします?」
少年が警備兵士団長に
「フム……そうだな……どのみち今夜のザック様のお相手になるのだろうし、な……地下に
ジャギルスが、マルティーナを担いできた二人の兵士を見て言った。
「〈
警備兵士団の団長はマントを
* * *
「なーんか、薄気味の悪いところだなぁ……まさか公邸の地下にこんな場所があったなんて……」
薄暗い石造りの廊下を歩きながら、ルニクが
「なんだ、貴様でも怖がることはあるのだな? ここは、かつて拷問部屋のあった場所だ。気味が悪いのは当然だ。……まあ、
団長は、廊下の奥から二番目の扉の前で立ち止まり、鍵穴に大きな鉄の鍵を差してガチャガチャとやりはじめた。
そのとき、一番奥の部屋から「おなか……すいた……」という声が聞こえてきた。
「ジャ、ジャギルスさん……あ、あれは……ひょっとして」
一番奥の扉を指さして、ルニクが
「……ああ……お前の考えている通りだ」
ジャギルスが答える。
「
「ひええ……」
ルニクが半分おどけたような調子で怖がって見せる。
その後ろでマルティーナを担いでいる兵士たちは、本気で怖がっているようだった。
「なんだ……お前、〈妖魔〉使いのくせに、〈妖魔〉に取り憑かれた男が怖いのか?」
ジャギルスがルニクを振り返って言った。
「そりゃあ、〈妖魔〉もいろいろだからね……ぼ、僕は、その中の、たった一種類を
「ふん。そうかい……」
その時、鍵が外れる「ガチャリ」という音が地下の廊下に響いた。
「開いたぞ、女を中に入れろ」
何百年前の物かも分からないどす黒いしみの付いた石壁の部屋だった。
壁の上の方には、ロープや
「よし、そこの二つの
ジャギルスの命令通り、兵士たちが硬直したマルティーナを立たせた。
ルニクが、二本のロープをそれぞれマルティーナの左右の手首に縛り付け、反対の端を天井近くの
このまま兵士たちがロープを引っ張れば、女剣士の両腕は二つの
無理に引けば、女剣士の腕は骨折するか筋肉が裂けてしまうだろう。
「いいか、僕がこの長針を使ってマルティーナの硬直を解くから、合図とともに力いっぱいロープを引くんだぞ!」
二人の兵士に命令し、ルニクが女の肩に針を突き刺す。
一瞬、マルティーナの体がビクンッと痙攣した。
「よし、いくぞ、いち、に、さん」
少年が針を一気に引き抜く。
同時に兵士たちがロープを力いっぱい引き、別の
両手をやや開き気味に上方へ引っ張られ、女は、体を
「どうだい? 気分は? けっこう長いあいだ硬直状態が続いたからね。全身の筋肉に疲労が蓄積されているはずだ……硬直を解かれた今は逆に力が入らなくなって、立っているのがやっとなんじゃないかな?」
優しげに問いかけたルニクを、眼球を動かせるようになったマルティーナがギロリと
「おっほー、怖い怖いっ。そんなに
少年が、お
「おい、ルニク……ひとつ聞き忘れていたが……おまえ、まさかこの女に……」
「しちゃいないさ。……
「……本当だろうな?」
「ああ。本当だよ。この女には指一本……いや、多少は
「そうか。なら、良い」
その時、地下室の扉が乱暴に開けられた。
音に驚いて一同が振り返ると、
アルマは、拘束されたマルティーナの所へつかつかと歩いて行き、いきなりその頬を平手で力いっぱい張った。
パァーンという肌と肌が激しくぶつかる音が牢屋の中に響いた。
「この
返す手の甲で、マルティーナの反対側の頬を張る。
再び、パァーンという音が響く。
「お前のせいで! お前のせいで! 息子は、あんな化け物になり果てて!」
さらに、もう一回、頬を張った。
「お前が、息子の申し出を素直に受けていれば!」
さらに、もう一回。
「いいや、そもそもお前が、息子をたぶらかさなければ!」
さらに、もう一回。
「お前が、息子の前に現れなければ!」
さらに、もう一回。
「殺してやる! 八つ裂きにして、殺してやる!」
そこで、やっと我に返った警備兵士団団長ジャギルスが、夫人を後ろから
「やめろ! アルマ! この女を殺す気か! この女は、その大事な息子の今夜の食事なんだぞ! あんたの息子は『生きたエサ』しか食わねぇじゃねぇか! もうやめろ!」
しかし、夫人は既に錯乱状態に入っていて、見境が無くなっていた。
「おい、ルニク! 手伝え! アルマを地上に運び出す!」
「あ、ああ……」
「おい、お前ら!」
拷問部屋の出口まで夫人を引きずっていったジャギルスが、呆然としている二人の兵士に言った。
「その女を……マルティーナを見張っていろ! 目を離すんじゃねぇぞ!」
そして、ジャギルスとルニクは、錯乱して「殺してやる! マルティーナ! 殺してやる!」と泣き叫ぶ
「殺してやる! マルティーナ! 殺してやる!」というアルマの声が、地下牢に反響しながら遠ざかって行く。
静けさが戻った地下牢で、マルティーナの両横に立つ二人の兵士が同時に「ほっ」と胸をなでおろした。
* * *
……そのころ、隣の拷問部屋では、怪物の頭を持った男が「まるてぃーな……まるてぃーな……まるてぃーな」と小さな声で何度も何度も
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