第17話 オレの名は

「……痛み止めです。飲めますか?」


 まず指示に従う形で、教会のベンチにネンさんを運び、拘束を解いて水と粉薬を差し出す。王子とお姫様が誓いの杯を交わしてしまった今、この人にもう危険性はないだろう。


「すまない」


 素直にコップを受け取って一息に飲む。


 そしてそのまま、ベンチに身体を預けてゆっくりと呼吸した。表情には出さなかったけど相当な苦痛のはずだ。


「いいえ、これから本当によろしくお願いします。立場はお互いに色々と違いますが、殿下にはガルテ様が必要なようですから」


 わたしは言う。


 形式的な意味では上役は継続されるだろう。乳母であることを見せたということは、王子もその辺りは信頼しているのだと思う。


「そうであればいいが」


 ネンさんは目を瞑ってつぶやいた。


「それは……」


「少し、眠る」


「……」


 わたしの質問を遮った。


 わかってる。


 プロポーズの際に王子が見せた二面性、ガルテ様を人質にしている状態なのは事実だ。天才と称される少女の論文、そこに利用価値を認めたから本気で口説いたのかもしれない。


 本気という意味で、それは本心だと思う。


 でも、八歳の少女が結婚相手に求める本心かどうかはわからない。すれ違いはすでに存在している。王子は、客観的だった。ネンさんがガルテ様に抱いた気持ちをすぐ見抜いて、そしてそれを利用するために自分に惚れされた。流れとして見ればそういうことだ。


 そこに感情は込められていたの?


 込められていたとして、偽物か、本物か。


「……」


 わたしは、ちゃんと見守ろうと思う。


 羨んでいる場合じゃない。


 暗殺されそうになった記憶がある。その言葉の意味はそのことが頭から離れたことがないということだ。母に命を否定された。ずっと考えていたんだ。否定される意味を。否定されて、それでも生きて、王になる意味を。面会を拒絶され、母乳に執着して、客観的におかしいことは自覚してるだろうけど、そんな自分を受け入れて、なにか未来を描こうとしている。


 良い未来であって欲しい。


 エレ・エネンドラにとって、国民にとって、ガルテ様にとって、王子にとって、王にとって、なにより、トーア・エレ・エネンドラという人にとって良い未来を描いて欲しい。


 わたしは見守ろう。


 偽物でも本物でも恋愛感情の話だ。


 そんなの死ぬきっかけにしかならない。


 たぶん、わたしがここに転生してきたのは、そういうことなんだと思う。殿下を見守れる。一度死んだ人間として、前世のシズキの実らなかった人生を噛みしめたからこそ、ちゃんと人の幸せを願えるようになった気がするから。


「……」


 ガルテ様は祭壇に祈りを捧げていた。


 きっと殿下の無事を祈ってる。


「……」


 わたしもその後ろで祈る。特に神様を信じてはいないけど、本当に信じてる人が報われるべきだとは思う。結婚を誓った直後に相手に死なれるとかそんなのを許すなら神なんて鬼畜だ。


 告白した直後に転落死も大概。


「シズキ」


「はい」


「余に聞かぬのか? トーアの切り札について」


「よろしいのですか?」


 もちろん聞きたかったけど、祈りの邪魔をするのはこの世界でもかなりのマナー違反だ。使用人生活で身についた性分で遠慮していた。


「余は、神を信じぬ」


 ガルテ様の一言はかなり意外なものだった。


「へ?」


「エネンドラに生まれ、かようなことを言えばかつての時代なら殺されたであろうが、ツエは、革命によって絶やされる兄弟を見て、神より与えられた王の地位を捨てた一族、信心など形式的なものしか持ち合わせてはおらぬのじゃ」


 ガルテ様は振り返り、祭壇に腰掛けた。


 脚も開いている。


 スカートが長いので中は見えないけど。


「……」


 わたしは苦笑いする。


 なかなかに大胆な行動だ。不良チックですらある。王国において、信仰は絶対、尊き神は尊くて、それを侮辱すれば子供でも鞭打たれる。信じる信じないはともかく、モラル的にとても教育に悪くて見せられないお姫様の姿である。


 なんか悪ぶってて可愛いけど。


「そんなツエでも、余の論文を世に出すことは許さなんだ。聖典に背くのじゃと。くだらぬ考えだが、しかし、大陸の民のほとんどは神を信じておる。これが新たな革命の火種にならぬとは言えぬ。ツエは怯えておる。王位を捨ててなお、貴族の地位さえも民が脅かすのではないかとな」


「……」


 わたしは頷いた。


 前世の歴史的には、たぶん貴族という地位もほとんどいつかは消えてしまうだろう。ということは口にする必要もないと思う。ガルテ様はおそらく察している。そしてこの政略結婚の真の意図も今の話でわかった。娘に王妃という盤石の地位を与えたい。そういう願いがあるのだろう。


「シズキは意外と肝が据わっておるの?」


「そうでしょうか?」


「人獣だからかの? 余がこのようなことを口にすれば、ネン以外の使用人は、罰を覚悟で口を塞ごうとしたものじゃ。それで、罰を与えたから、結果的にはネンしか残らなかったのじゃが」


 自嘲気味に含み笑い。


 残ったのがスパイじゃね。


「母や兄なら止めたと思います。このような言い方をすると気分を害されるかもしれませんが、シズキは殿下で色々と慣れていますので」


「うむ。確かにの」


 ガルテ様はわたしの言葉に深く頷いた。


「勿体をつけたが、落ち着いて聞いてくれるのならば話そう。むしろ余もだれかに話したくてたまらなかったのじゃ。論文というのは……」


 ブロロロロロ。


 その音は遠くから響いてきた。


 ドルルルルル。


「!?  あの獣じゃ」


 ガルテ様がハッと立ち上がる。


「獣?」


「賊の乗り回す獣じゃ。近づいてくる!」


「……」


 獣って、どう聞いてもエンジン音。


 エンジン音?


「どうしてここがわかったのじゃ? 城の構造を熟知した何者かがやはり手引きをしておるのか? シズキ、ネンを運んで、シズキ?」


「……」


 この世界にエンジン音はまだ存在してない。


 はず。


「シズキ!」


「ガルテ様、お逃げください」


 わたしは口走っていた。


「賊が隠し通路を知っているのなら、教会の中へと向かってくるはず。その隙に裏口から街へ。地図を書きますので、そこへ向かってください。メイという女がいます。友人で、人獣の鍛冶屋で、屈強です。並の兵士より頼りになる」


 エプロンドレスから仕事で使っているメモ用の薄い木片を取り出して書きつける。この状況、賊の狙いもなんとなくわかってきた。手引きした人物がわたしの予想通りなら。


 極めてマズい。


 王子の切り札が凄いものでも役に立たないかもしれない。だとしたら、わたしに出来ることはともかく目の前のお姫様に生き延びてもらうことだ。朝までに決着するという言葉を信じて。


 朝まで。


 あと、どれくらい?


 教会の窓から見える空はまだ星空。


 グロースを囲む山々の頂に朝の気配はない。


 でも、朝なんてすぐ来る。


 明るくなったと思ったら、すぐ。


「なにを言っておる。そなたは戦えぬであろう? 余と一緒に逃げるのじゃ。ここに残ったところでなにが出来る。許さぬぞ? トーアにとってそなたは大事な……」


「行きましょう。ガルテ様」


 わたしの腕を掴もうとするお姫様の身体がひょいと持ち上げられる。腫れ上がった脚を引きずるように片足で歩く執事。抜け目がない。眠るといいつつ、しっかり警戒していたのだ。


「ネン!」


「お願いします。ネンさん」


 書き込んだメモをガルテ様に握らせて言う。


「言われるまでもない」


「ですよね」


「シズキ! 死んだら許さぬぞ! そなたは余とトーアの誓いを見届けたのだからな! エレ・エネンドラの国王夫婦の結婚なのじゃぞ! 語り継ぐ責任があるのじゃぞ!」


 抱き抱えられて、教会の裏口に向かうガルテ様は叫んでいた。エンジン音がなければ静かにしてもらうところだろうけど、うるささではちょうどいいぐらいだと思う。


「畏まりました。必ず」


 わたしは笑顔で見送った。


 見守って語り継ぐ。


 責任重大だなあ。


「……」


 ごめんなさい。


 ウソつきました。


 わたし、使用人失格です。


 エンジン音は教会に近づいてくる。


 城からまっすぐ来れば、城下の街を横切った端、教会の裏口から出て防壁伝いに移動すればメイちゃんの鍛冶屋までの寂れた街に気を止めることはないと思う。ネンさんがスパイとしてのスキルを持ってるなら、たぶん隠れ通す。


 ガルテ様さえ生きれば、殿下はたぶん大丈夫。


「二回目、か」


 死にたくはない。


 でも、二回目だからそんなに怖くない。


 三回目もあるかもだし。


「時間を稼ぐぞ!」


 ぐっと拳をにぎって脇を締める。


 賊。


 たぶん男だろう。


 ならば、遂にわたしの切り札がヴェールを脱ぐ時がきたということだ。前世十五年、今世十五年、苦節三十年、あるだけでそっちにはまったく役に立たなかったこのおっぱいが。母乳を製造する機械と化していたこのチャームポイントが、男を誘惑する本来の役割を果たす時が。


 優勝カップの威力、思い知らせてくれる!


 ドルルン。


 教会の扉の前でエンジン音が変わる。


 ウウンゥウウウン!


 ふかしてる。


 獣。


 そう表現されるということは。


 オオオオンッ!


 バン、閉ざされた扉の閂を突き破って、バイクが突っ込んできた。ヘッドライトは前世の記憶より鈍い光だったけど、内部を一気に明るく照らし出す。教会の階段をそのまま駆け上がった勢いで前輪を上げたそれには二人の人影が乗っている。前の男と後ろの、髪の長い女。


「やっば」


 わたしは思わずつぶやく。


 女連れとか、誘惑通じないかも。


 切り札不発?


「トーア・エレ・エネンドラはいるか!」


 バイクの男が叫ぶ。


 吹き飛んだ扉が教会の壁に当たって砕けた。


「オレの名は……! オレの名は……?」


 男の視線がわたしに向いた。


「……」


 わたしは驚いた風を装って、ぺたんと床に座り込み、すがるような目を意識して男を見つめる。胸元のボタンを少し開けて、谷間はしっかり視線に入ってるはず。大丈夫、このおっぱいだよ。パスなんかさせない。二度と。


「オレの名はダイスケ、オマエはシズキ?」


「え?」


「シズキだよな? おい?」


「どこかでお会いしましたか?」


 だれ?


「は? なに言ってんの? 顔は変わってねぇじゃん。オレだよ。オマエが告白したダイスケ、告白してすっ転んで死んだシズキだろ?」


「……!!」


 言葉が出なかった。


 名前なんかすっかり忘れてたと思う。でも、その男は、確かにわたしの胸をパスした彼だった。なんかすっかりワイルドな髪型になって、獣の皮を着こなす山賊めいたスタイルだけど、勢いで死ぬぐらい好きだった当時の顔をしてる。


 同じ十五歳ぐらい。


 が、賊?


「あなたの知り合いなの?」


 後ろの女がつまらなそうに言う。


「ああ、前世の知り合い……くっ、ふふ。こりゃ、傑作だ。地獄に堕ちたのはオレだけじゃなかったんだなシズキ。ははっ、うれしいぜ、こんなところで会えてよ?」


 カッコつけたように顔を押さえ、天井を仰いで笑う。こんなキャラだったっけコイツ。お調子者っぽいところはあったけど。


「地獄?」


 そんな中二っぽいことを言うタイプじゃ。


「これから地獄になるのよ」


 そう言って、女はバイクから降りた。


 真っ白い肌が印象的な金髪の。


「……」


 わたしは絶句していた。


 会ったことはない。


 すでに肖像画も城内には存在していなかった。だけど、毎日見てきた顔とよく似ている。似すぎている。将軍の娘ですら聞かされていない城の隠し通路を把握している時点で予想はしてたけど、まさか賊と一緒に行動してるなんて。


「トーアが、地獄に変えるわ」


「お……王妃様っ」


 わたしは声を振り絞った。


「呼ばれてるぞ。ゾンネ」


 ダイスケが茶化すように言った。


 ゾンネ・エレ・エネンドラ。


「十五年も幽閉しておいて王妃様もお日様もないものだわ。みんな口先ばっかり、心から尊敬なんてしていない癖に。女好きの王を上手くたらし込んだぐらいにしか、でしょう?」


 カツ、とヒールが石の床を叩く。


「……!」


 わたしはその美貌に気圧された。


 王子の整った顔立ちのほとんどはこの人から来てる。その意味では親しみを覚えてもおかしくないのだけど、白い身体を見せるかのような身体のラインを出した透けるドレスを身にまとったそれは、まるで幽霊のように生気がない。


 怖い。


 年齢で言えばもう五十近いはずなのに。


 なにか少女のような雰囲気もある。


 そしてなによりわたしを恐怖させていたのは、王妃の胸がわたしより大きいように見えることだ。張りはさすがにないから垂れてるということなんだとは思うけど、それは熟れきった洋梨のように魅惑的な形になっていた。


 殿下、どこまで覚えてたんだろう。


 マザコン度が急上昇!


「でも、死んだのよね。あの人は」


 無感情な声で、王妃は言った。


「ああ、殺した。間違いなく。隠し部屋で」


「ダイスケ!?」


 わたしは彼を睨んだ。


 じゃあ、城に戻った殿下は。


「人獣に転生したのか? それにその姿、メイド? 苦労したみたいだなシズキ。ここの王国に仕えてたのか。そういうのなんて言うか知ってるか? ストックホルム症候群って言うんだぜ? でもまぁ、今日オレに会えたのは幸運だったな。連れて行ってやるよ。オレの国へ」


「なにを言って……」


「いや、前世では悪かったと思ってる。反省したよ。シズキが死んでから、オレいじめられてさ。なんだかんだで自殺に追い込まれた」


 ダイスケもバイクを降りて語る。


「それで地獄送りさ。親不孝ってヤツ? 確かに、あの頃のオレは他人への共感が足りなかった。いや、正直に言えば恨んだよ? 勝手に転落死したボケ女のせいでなんでオレがこんな目にって、でもまぁ、地獄に転生して、色々とわかった。胸もそんなに悪くないってな」


「……はぁ」


 わたしは拳を握った。


 ぜんっぜん反省してないなコイツ。

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