第18話 平等と母性

「……国って?」


 わたしは目的を思い出す。


 時間を稼ぐ。


 賊になったダイスケとの再会は予想外でビックリしたけど、これは好機だ。少なくとも相手はこちらに敵意を抱いていない。王妃様を含めて知らないから。わたしが王子の乳母だなんて、知りようがないから。


 転落死したボケ女だと思ってる。


 命を救われて、母や兄を得て、王子の成長を見続けて、それで、わたしがこの国を好きになってて、楽しく生きてて、前世にもう未練なんてなくて、エレ・エネンドラを大事に思ってるなんてことわからないから。


「日本に帰れるの?」


 落ち着いて、なにか喋ればいい。


 前世みたいに。


「帰れる訳ないだろ? ここは地獄だぜ?」


 ダイスケはわたしをバカにしたように笑う。


 前世はそういうとこも好きだった。


 お調子者で、でも実は賢いところもあって、本とか沢山読んでて、話題が尽きなくて、喋ってて楽しくて、ずっと一緒にいたいと思った。一緒の高校に受かったから、告白したんだ。


 でも、それももう失われた前世でしかない。


「オレの国は、オレの国さ」


「どんな国?」


 今のわたしが考えるべきことは。


「……」


 王妃様。


 バイクの後ろに跨がったまま、教会の祭壇の上にある尊き神の像を見つめている。その視線は虚ろで、やはり生気に乏しい。儚げで、少し目を離したら本当に消えてしまいそうな姿を、殿下に見せたくない。


 まだ殺すことを諦めてなかったなんて。


 知ってもらうわけにはいかないから。


「簡単に言やぁ、そうだな。文明を転生させるための国だな。日本には帰れねぇけど、日本みたいな国にしたい。オレの推測が正しけりゃ、日本よりも進んだ国になるかもしれねぇ」


「文明を転生?」


 よし、好きにしゃべり出した。


 あとは適当に相槌を打って、それから。


「バイク。驚いただろ?」


 ダイスケは自慢げに愛車をぽんぽんと叩く。


「うん、どうやって作ったの?」


 それについてはわたしも驚いていた。


「まさか、存在は知っててもオレには作れねぇよ。これも地獄に堕ちてきたのさ」


 勿体をつけるような言い方も前世と変わらず。


「落ちてきた?」


「一緒に転生してきたってことだ。過去の時代に転生したヤツの持ち物だろう。つってもオレが見つけた訳じゃねぇ。大陸の片隅で、地面の中から発見されたのがご神体になってたんだ。で、そのオリジナルを元に、この世界の技術者がコピーしたのがこの馬威駆だ。道が悪いんで乗り心地は最悪だが、まぁこの通り圧倒的に強ぇ」


「過去の時代に転生って?」


 自慢話は割とどうでもよかった。


「え? オマエ気づいてなかったの?」


「なにが?」


「あのなぁ? この世界で何年生きてんだよ。冷静に考えろ。なんで異世界で日本語が公用語になってるのか、不思議に思わなかったのか?」


 心底バカにした声でダイスケは言った。


「耳が対応したのかと、この世界の言葉に」


 ちょっと怯んで答える。


「そりゃ不思議を不思議で誤魔化してるじゃねぇか。マジか? マジボケなのかシズキ? この世界じゃそこそこ歴史ある王国で暮らしてたんだろ? 過去の文献とか読んだか? 辞書とか見ただろ? まず文字だろ?」


 信じられないという風に首を傾げ、ダイスケは畳みかけてくる。前世からそうだった。わたしがアホなのかもしれないけど、アホを許せないという雰囲気を出してくる。そういうとこは鬱陶しい。


 もったいつけないで結論言えよ。


「過去に転生した日本人が持ち込んでんだよ」


「過去に」


「ああ、辞書とか読んだことないんだな。オレは手に入れるのにどんだけ苦労したか、信じらんねぇ。女ってマジそういうとこあるよな。現状にすぐ馴染むっつーか、ストックホルムだよ」


「……」


 反論できない。


 わたし個人の問題としてはともかく、それを女全般みたいに言うのは男の悪い癖だと思うけど、ここでケンカして怒らせても得はない。


 耐えよう。


 陛下が殺されたと確認したら、王子は戻ってくる。居場所さえ知れば、兄や近衛兵たちもやってくる。わたしが時間を稼いだ分だけ、この賊の男をこの場に釘付けにできるということなんだ。でも、その前に王妃様を引き離したい。


 殿下を動揺させるのは間違いないから。


「聖典があるだろ? それと同時代に石版に彫られたいくつかの文字があるんだが、それは割とオレたちの前世の時代に近い日本語だった。言語の伝播の研究まではまだ手がついてないけど、これがどういう意味かはわかるだろ?」


 ダイスケは説明する。


「ごめん」


 なに言ってるのか本当にわからない。


「タイムトラベルしてる訳じゃねぇとは思うんだ。要するにオレたちの前世の世界から転生するときに、この世界のどの時代に生まれるかはランダムというか、転生の条件にもよるが、前世の時間の流れとこの世界の時間の流れが平行に存在してる訳じゃねぇみたいな、これはまぁ、歴史の研究を待たないといけねぇんだが」


「……」


 よく喋るなあ。


「あ、オマエ、退屈してんだろ?」


「そんなことないよ。わたし、考えたこともなかったから。他に転生してきてる人がいるなんて。でも、そっか、わたしたちより未来の人が転生してなにか持ち込んでたら未来の技術も手に入る可能性があるってことね」


 わたしは取り繕う。


 もうちょっと時間を稼がなきゃ。


 やっと頭の中で考えがまとまってきていた。


 ダイスケがバイクから降りて、王妃様と離れるような状況になれば、人獣としてのわたしの運動能力だけでも王妃様を捕まえて逃げられるかもしれない。バイクのスピードには勝てないかもしれないけど、教会の周りの街はよく知ってる。細い路地を走れば、優位に立てるはず。


 あとはタイミングだ。


 できれば兄や近衛兵が到着する直前に。


「わかってんじゃん! それだよ!」


 ダイスケは大きな声を出した。


「!?」


「実はさぁ。オレが調べただけでもこの世界にはすでにそれっぽい伝承がいくつかあるんだよ。空を飛ぶ薬とか、光を放つ大砲だとか、不老不死ってのもあんぜ? そういうのを集めて、オレの国を発展させるのが、オレの目的。そんで、邪魔なのがエネンドラって訳だ。かなり古い文献とかも独占してるし、なにより土地。遺跡を発掘しようものなら怒ってくる。尊き神? 知らねぇっつーの。それもたぶんただの転生者だろ?」


「!」


 鋭い視線にわたしは気づく。


「……」


 生気のなかった王妃様の目が、ダイスケを見つめている。憎しみと言うには冷たく、哀しみと言うには熱い、そんな瞳で見つめている。


 そしてわたしと視線が合った。


「その一環でトーアを殺すのでしょう?」


 見計らったかのような一言。


「お、そうだった。悪ぃ、昔馴染みの顔をみてつい懐かしさに話し込んじまうとこだった。シズキ、メイドの身分で知ってるかどうかわからねぇけど、この教会は城と繋がってるんだ。トーア・エレ・エネンドラ。ここに来てないか?」


 ダイスケが当初の目的を思い出す。


 ヤバい。


「来てな……」


「その娘を殺しなさい。嘘を吐いてる」


 わたしの言葉を遮って王妃様が言った。


「!」


 視線が泳いだかもしれなかった。


 王妃様に見つめられて、わたしの胸からは母乳がとっくに染み出ている。身体の反応が正直すぎることは自覚してる。母子そろって抜け目がないのは遺伝なのかな。だけど。


「は? ゾンネ、なにを」


「ダイスケぇっ!」


 叫びながら拳を握る。


 わたしの方が覚悟決めてたよ!


「しっ!?」


 バイクまで一瞬で飛び上がって、油断しきった男の顔面に拳を叩き込む。躊躇はなかった。陛下を殺した。王妃様を連れだした。どちらもわたしの王子を苦しめることだ。


 好きだった男じゃない。


 賊。


 ただの賊だ。


「ずぐぁっ……が」


 油断してたダイスケの身体はバイクから転げ落ち、教会のベンチを粉砕、バウンドして壁へと叩きつけられた。建物が振動する。


 いける。


 暴力として人獣の力を使ったのははじめてだけど、わたし、強いじゃん。こっちの拳がすでにジンジン痛いのはともかくとして。


「王妃様っ」


 この人を捕まえて、逃げる。


「先に行くわ」


 すっ。


「?」


 白くて長い脚が目の前に振り上げられたと思った直後に、わたしの視界に鮮血が散る。穿いていたヒールの高い靴の先から、刃が出ている。左の頬から額へ、じわっと熱を持った。


「っ!」


 思わず顔に手を当てると血が出てる。


「本当に、この国の空気は吐き気がするわ」


 王妃様は独り言のように喋る。


「馬威駆なんてなくても追いつけるでしょう? あなたの力なら。きちんとトーアを殺しなさい。そうしたら、可愛がってあげるわ」


 ドルン。


 エンジン音。腰を滑らせ、二人乗りの大きなバイクのグリップを握ったかと思うと、王妃様は急旋回で教会を飛び出した。慣れてる。とっくに仲間だったんだ。


「待っ! このっ」


 わたしは前のめりに飛んで、掴もうとするけど、その長い金髪は指先からするりと抜けて星明かりに輝いて消えた。逃がした。


 絶対に逃がしちゃいけなかったのに。


「……」


 左目を押さえながらわたしは膝を突いた。


 王妃様が強いなんて聞いてない。


「シズキ、オマエ、またオレを殺そうってのか」


「ダイスケ……」


 背後の声に右目で見ると、あれだけの衝撃にそれほど堪えた様子もない賊の男が立ち上がっている。いくらなんでも、無傷なんて。軽く首ぐらい引っこ抜けそうな勢いだったのに。


 前世のわたしなら間違いなく死んでた.


「メイドらしく、ダイスケ様と呼べ。ボケ女。ひざまずいて靴を嘗めて命乞いをしろ。オマエが原因でオレは死ななきゃならなかったんだぞ? それを寛大に接してやったのに、どういう了見だ。良心ってもんがねぇのか? はっ、人間としちゃ半人前なんだろうな。だから人獣に転生したんだろ。やっぱ地獄だな、ここは」


「良心? ふざけないで」


 わたしは言う。


 立ち上がらなきゃ。


「この世界は地獄なんかじゃないし、この世界の人たちはこの世界の営みでちゃんと生きてる。それを殺しておいて、自分が殴られたらひざまずけ? 前世の時はわたしの目が節穴で気づかなかったけど、そういう性根の腐ったところを見抜かれていじめられたんじゃないの? いじめが悪いのは当然だけど、いじめられる側にも悪いところはあるんだよ、当然! 人間だからね。もっかい死んで、頭冷やしたら?」


「ああ! あーあーあーあーっ!」


 ダイスケは耳を塞いで叫んだ。


「嫌いだよ。オマエのオフクロみたいなところ」


「母性に満ちあふれてるので」


 わたしは胸を張った。


 張らなくてももうパンパンですけど。


「殺すだけじゃ足らねぇ!」


 ダイスケは見るからに激怒した。


「シズキ、テメェは必ずオレに服従させてやる! 服従させて、オレなしでは生きられない身体にして、それからなぶり殺しだ! 甘く見るなよ! 前世のオレじゃねぇ! 前世のオレじゃねぇんだからな!」


 獣の皮をジャケットのようにした服、それが風もない建物の中でふわりと広がる。荒々しいセットの赤味がかった髪の毛も波打って立っていた。なにかの力が働いてる。


「はいはい。ダイちゃんは偉いねえ?」


 わたしは煽った。


 前世の母親の口調を真似て。


 こうなった以上、相手の力を浪費させる。


「……」


 教会の床がめくれあがった。


「!?」


 直後、相手の姿を見失ったわたしは首に腕を回されるまで身動きひとつ取れなかった。ロックされて、床から持ち上がり、吊される。


「首吊りだった」


「っむ」


「自殺の方法だ」


 ダイスケの声は冷酷になっていた。


「部屋のカーテンレールにビニール紐を束ねてかけた。遺書を残してよ。後悔してる。いじめたヤツらの名前をちゃんと書かなかった。不思議だろ? 復讐心がなかったんだ。責任を感じてた。シズキ、テメェみたいな女が死んだことに!」


「かっ」


 首が締まっていく。


「このまま楽に死ねると思うなよ?」


 そう言って、力を緩める。


「えはっ」


 息が、苦しい。


 血が、頭に溜まってる感じ。


「ほれ」


 びり、とエプロンドレスの胸元が破られたのはその直後だ。片手で首を抱えたまま、もう一方の手で乱暴に乳房を掴んでくる。


「おーおー、ずいぶんと大きくなって。牛じゃん。牛の人獣じゃん。それに、ぬるぬると白い。なんだこりゃ。母乳か? おい。シズキ、子供いんのかよ?」


「スケベ」


 声を絞り出す。


「けっ……きょく、パスできてないじゃん」


「あ?」


 ぎゅぎっ、おっぱいを掴む手に力が込められた。ぶじゅ、と母乳が滲むのもかまわず、ちぎり取るかのように引っ張って持ち上げて見せつけてくる。


「子供いんのかって聞いてんだが?」


「いたら、なに?」


 わたしは強がる。


 殿下とガルテ様って乳兄妹になるのかな。


「そいつも殺さなきゃならねぇって話だ。おかしいと思わなかったか? オレの強さ、頑丈さ。人間を越えてるだろ? テメェはこの世界の人間も生きてるとか生意気言ったけどよ。違うんだぜ? オレがここを地獄だと言うのも、ここで国を建てるのも、転生者が特別だからだ」


「……」


 なにを言ってるんだろうコイツ。


「この世界に言葉を持ち込み、この世界に文明を持ち込み、この世界を支配する。そういう世界の運命を握ってんだよ? そういう特別な力を与えられてんだよ? 平等じゃねぇ。わかるか? 平等じゃ、ねぇんだ」


 そういいながら、ダイスケは乳首を摘んだ。


 母乳と血が目元で混ざる。


 ヤバい。意識が遠ざかって。


 ダン!


 銃声が鳴り響いたのはそのときだった。

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