#01
ところが三時間後、事態は急転する―――
別動隊が到達した“サイジョンの大空隙”に、ウェルズーギ軍の艦隊は一隻の駆逐艦も存在していなかったのだ。
「ど…どういう事だ!?」
第7艦隊旗艦に座乗するバルバ=バルヴァは、黒く太い眉の間に、深い皺を刻んで疑問を口にした。艦橋前面の光学映像には、周囲を星間ガスに包まれた、空っぽの大空間だけが広がっている。
バルバの言葉に艦隊参謀の一人が、自身も戸惑いを隠せない表情で応じる。
「わかりません。前哨駆逐艦からは、大量の残留重力子を検出した旨の報告が入っておりますので、ここに艦隊がいた事は間違いないと思われます」
「では、このもぬけの殻は…移動したという事か」
独りごちるバルバのもとへ、同僚の“タ・クェルダ四天王”の一人、第9艦隊司令のシン・マス=コーサックから通信が入る。ホログラムスクリーンが展開されて、コーサックの渋面が映し出された。
「バルヴァ。これは我等の作戦を、見抜かれたのではあるまいか?」
「我等の接近に気付いて、逃げられたのか!?」
「いや。残留重力子の消滅率を解析したところ、我等別動隊が動き出した頃には、すでに移動を開始していたらしい」
「という事は予め、タイミングを合わせていた!?」
こちらの作戦を逆手に取られた罠の存在を感じ取り、主君シーゲンの本隊の危機を予想したバルバの表情は強張った………
そして同じ頃、バルバの脳裏に
「ぜっ!…前方に艦隊! ウェルズーギ軍です!!」
「総数は…1500隻を超えています!」
艦橋中央の戦術状況ホログラムに、
「ケイン・ディン…相変わらず喰えぬ奴…いや、女だぜ」
シーゲンは怒りとも笑いともつかぬ表情で、ウェルズーギ艦隊の拡大映像を真っ直ぐ見据え、ズシリと重みを感じさせる声の命令を発した。
「全艦第一級戦闘態勢。砲雷撃戦用意、艦載機発艦準備!」
一方、そのタ・クェルダ軍本隊を、絶好の位置で待ち伏せる形になった、ウェルズーギ軍の総司令官で当主のケイン・ディンは、総旗艦『タイゲイ』の艦橋で、僅かながら笑みを零した。侮りの笑みではない、計画通りにタ・クェルダ軍本隊と遭遇した、安堵の笑みだ。百戦錬磨の宿敵シーゲン・ハローヴ=タ・クェルダに、裏の裏をかかれる可能性もあったからである。
「全艦隊、合戦準備」
淡々と命じるケイン・ディンは、最近まで周辺宙域国で男性だと思われていた、いわゆる“男装の麗人”だ。黒髪のベリーショートとハスキーボイス。そして生まれついての立ち居振る舞いから、女性と知ったシーゲンはひどく戸惑ったと聞く。
「タ・クェルダ艦隊。距離、7万5千」
オペレーターがそう報告すると、白髪の参謀長がケイン・ディンに向き直る。大きく頷くケイン・ディン。参謀長は艦橋の各部署に対し、事前に組まれた戦術の発動を命じた。
「これより、“カートホイール・タクティクス(車懸りの陣)”を行う。第5艦隊司令カークザック様に連絡、先鋒を務められたし!」
総旗艦『タイゲイ』からの下令に、第5艦隊の司令官を務めるカイエス=カークザックは奮い立って、前のめりで命令を出す。ケイン・ディンの重臣の中でも中核を成す、“七手組”の一人であるカークザックは勇猛果敢が売り物だ。
「全艦全速前進。先鋒は武人の誉れである!」
筋骨隆々といった容姿のカークザックは、艦橋の床を蹴るように勢い込んで、配下の艦に下令する。それに従ってウェルズーギ軍第5艦隊は、86隻の宇宙艦が一斉に、重力子ノズルを輝かせて加速を始めた。
その動きを見て、ケイン・ディンは司令官席を立つ。
「私の『ホウショウ』を準備しろ」
ケイン・ディンに指示に、「はっ…」と応じた副官の若い女性士官は、『タイゲイ』のハンガーデッキに連絡を入れ、ケイン・ディンの専用BSHOである『ホウショウDD』の発艦準備を命じる。パイロットスーツに着替えるため、深緑の軍装の第一ボタンを外しながら歩くケイン・ディンの背後で、『タイゲイ』の艦橋のメインドアが閉じられた。
「ウェルズーギ軍は、“カートホイール・タクティクス(車懸りの陣)”を開始する模様!」
オペレーターの報告にタ・クェルダ軍総旗艦『リョウガイ』の艦橋に、緊張感が走る。ウェルズーギ家の“車懸りの陣”は、ヤヴァルト銀河皇国で広く知られた、複数の艦隊がリング状に連なって回転し、次々と正面の敵に火力を浴びせるという、ウェルズーギ軍が最も得意とする戦術だからだ。
チッ!…とウェルズーギ軍の動きを見詰め、タ・クェルダ軍の総司令官シーゲンは舌打ちをした。濃密な星間ガスに満ちたガルガシアマ星雲の中で、ウェルズーギ軍が“車懸りの陣”を行うだけの、広域の展開面を必要とする広大な空間は、このハティ・マンバル原始恒星群ぐらいなものだった。そこにまんまと引きずり込まれた、自らの迂闊さを呪ったのである。だがまだ、勝機を失ったわけではない。
「前方に来る敵部隊に集中砲火。『騎兵団』は出撃待て!」
そう言ってシーゲンは司令官に座ったまま、拳を握り締めた。肩透かしを食らった形の別動隊だが、これが戻って来るまで粘ればまだ勝ち目はある。タ・クェルダ軍自慢の『騎兵団』は、その時の切り札として温存しておくべきだという、シーゲンの判断であった。
▶#02につづく
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