#02
同じ頃、ノヴァルナはノアと共に、キオ・スー城の私室にいた。二人にとってただただ楽しみなメッセージがNNLによって、久しぶりにムツルー宙域から届いたからだ。
メッセージの差出人はカールセン=エンダーと妻のルキナ、そして二人の間に四年前に生まれた子のネルヴァ。カールセンとルキナのエンダー夫妻は、ノヴァルナとノアにとっての大恩人であり、理想とする善い大人であり、見習うべき夫婦の形であり、そして家族同然の存在だった。
今から五年前、ノヴァルナがまだ十七歳でノアが十九歳の時、初めて逢った二人は事故で、距離にして約五万光年彼方、時間にして三十四年後となる、皇国暦1589年のムツルー宙域まで飛ばされた。その際に辿り着いた惑星アデロンで、見ず知らずの二人を助けてくれたのが、エンダー夫妻だったのだ。
だがエンダー夫妻は、敵に捕らわれたノアを救出するノヴァルナの戦いに巻き込まれ、その結果、二人と共にこちらの世界へやって来てしまった。そして夫妻は、時代こそ違え、住み慣れたムツルー宙域を目指して旅立ったのである。
「おう。再生すんぞ、ノア」
「ちょっと待ってってば」
半円型のソファーに座り、一人でメッセージを再生しようとするノヴァルナに、ノアは抗議の声を上げながら歩み寄って来た。両手にはアイスティーの入ったスクイズボトルを持っている。「ごめんあそばせ」と言って、わざとノヴァルナにぶつかりながら隣に腰を下ろすノア。「おい」と言って顔をしかめるノヴァルナ。じゃれ合いはほどほどにして、ノアはボトルの一方をノヴァルナに渡した。
「いいか?」
「うん」
ノアが頷くとノヴァルナは、手元に浮かぶコントローラーホログラムに、指を触れさせて、メッセージを再生させる。するとノヴァルナとノアの前に、三十代後半の男女と、その前に立つ小さな男の子の等身大ホログラムが現れた。カールセンと妻のルキナ、そして長男のネルヴァである。
やや目尻の下がった温厚そうなカールセンと、目鼻立ちのはっきりしたルキナ。長男のネルヴァはどちらかと言えば、ルキナ似に思える。三人の姿を見て、ノヴァルナとノアは和んだ表情になった。
「やぁ。ノバック、ノア。久しぶり」
右手を軽く挙げて親しげに語り掛けるカールセン。ノバックとはノヴァルナが向こうの世界で名乗っていた名前だ。エンダー夫妻は無論、ノヴァルナが誰であるかを知っているが、地位に関係なく対等に接する間柄だった。
カールセンに続いて、ルキナが右手を小さく振りながら、朗らかに挨拶の言葉を口にする。
「あけましておめでとう。ノバくん、ノアちゃん。元気してる?」
ノヴァルナの事を“ノバくん”と呼び始めたのは、このルキナであった。そしてルキナには“ノバくん”と呼ばれても、怒らないノヴァルナだ。ノアが時たま、“ノバくん”呼ばわりしてからかうのは、実は向こうの世界で、ルキナの言う事だけは素直に聞いていたノヴァルナに対し、内心で嫉妬心を抱いていた名残りなのである。
エンダー夫妻の言葉のあとで、息子のネルヴァがきちんとした姿勢で、「あけましておめでとうございます」と礼儀正しく挨拶すると、ノヴァルナとノアは眼を細めた。するとカールセンがネルヴァの肩に手を置いて、にこやかに言う。
「どうだ。二人とも、仲良くしてるか? 俺達の方は…ま、相変わらずだ」
それにルキナが笑顔で付け加える。
「あたし達は三人とも元気だよ」
頷いて続けるカールセン。
「実はな、去年の秋から、ある事がきっかけで、俺はティルムール様の直属となってな。一応…出世ってわけだ。これもおまえさんが、力を伸ばして来たおかげだ。感謝してるよ」
ムツルー宙域へ辿り着いたカールセンは三年前、同宙域を勢力圏とする星大名のダンティス家へ仕官する事に成功していた。その際に役立ったのが、ノヴァルナがカールセンに発給した旧ナグヤ・ウォーダ家の推薦状だ。
さすがに約五万光年も離れていれば、当時のノヴァルナの悪評もムツルー宙域までは伝わっておらず、純粋に銀河皇国中央部に近いオ・ワーリ宙域の、星大名家の推薦状という価値で、召し抱えられたのである。
するとそのうちダンティス家にも、ノヴァルナ・ダン=ウォーダがオ・ワーリ宙域の統一を成し遂げたという情報が入り、そのノヴァルナと
ホログラムの中でルキナは、そんなカールセンの腕を取って「えへへ」と悪戯っぽく笑って告げる。
「おかげで、カールのお給金も上がって、主婦としてはありがたいお話。ありがとね、ノバくん、ノアちゃん」
ルキナの喜ぶ顔に、ノヴァルナもノアも自然と眼を細めた。隣でカールセンは妻の下世話な言葉に苦笑いする。それも含めて市井とはかけ離れた世界に住む、星大名とその妻のノヴァルナとノアにとっては、二人の姿は得難いものであった。
ただエンダー夫妻のメッセージには、重要な情報も含まれていた。ひとしきり身の回りの話題を続けたあと、カールセンが切り出す。
「…ところでな、例の熱力学的非エントロピーフィールドで、おまえさん達に知らせておきたい事が出来たんだ」
それを聞いてノヴァルナとノアは顔を見合わせた。カールセンが口にした『熱力学的非エントロピーフィールド』とは、宇宙創成のビッグバンが起こる以前の、時空次元全てが存在しない、“完全なる無”の領域の事である。この中を移動する事で、時間のロスもなく数万光年先まで到達する事が可能となる。
ノヴァルナとノアが皇国暦1589年のムツルー宙域飛ばされたのも、緊急回避としてブラックホールの事象の地平上で、イチかバチかの超空間転移を試みた結果なのだ。そして問題なのは、自分達の住むシグシーマ銀河系の中心部からムツルー宙域まで伸びる、この非エントロピーフィールドを、謎の勢力が『超空間ネゲントロピーコイル』を使って、制御下に置いているのではないか、という疑いだった。
ホログラムのルキナが、表情を真面目なものに変えて進み出る。そして傍らにムツルー宙域の星図を展開すると、ノヴァルナとノアに静かに告げた。
「これ見て。現在の惑星パグナック・ムシュよ」
それを聞いてノアはそっとノヴァルナと手を繋いだ。惑星パグナック・ムシュ…それこそノヴァルナとノアにとって、“二人の時間”の始まりの地だったからだ。
ただ分かりづらいのはルキナが映し出しているのは現在、つまり皇国暦1560年の惑星パグナック・ムシュである。そしてノヴァルナとノアが生還した事で、因果の分岐が世界線も変えており、映像内の惑星パグナック・ムシュは、将来的にノヴァルナとノアが不時着する場所となるのかも不明である。
ところがルキナがパグナック・ムシュの映像を、データ表示に切り替えると、衛星軌道上に奇妙な“もや”のようなもの―――空間のゆらぎが出現したのだ。
「これは…どういう事なんですか?」
キヨウ皇国大学で次元物理学を学んでいた経験から、この案件を任されているノアが、双眸に学術的興味の光を輝かせてルキナに問いかける。
「たぶん時空を超えた“量子ゆらぎ”ね」
きわめて庶民的なルキナだが、元は銀河皇国科学局の『ベラルニクス機関』という、新たな恒星間航法の研究を行う研究機関の、研究員の経歴を持っている才女だ。
「時空を超えた“量子ゆらぎ”!?」
驚きの声を上げたノアは、ノヴァルナと顔を見合わせた。
▶#03につづく
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