#03

 

 その夜、ナグヤ城のヴァルツの居住区―――


 控え目な間接照明が柔らかに照らし出す、寝室に置かれた広いベッドの上で、カルティラは分厚い胸板に柔らかな頬を添わせていた。その胸板の主は不倫相手のマドゴットではなく、夫のヴァルツである。


 ヴァルツはキオ・スー家を甥のノヴァルナに奪い取らせ、自分達もナグヤ城へ移り住んだのを機に、なるべく妻との時間を持とうと思った。嫡男のツヴァールはモルザン星系に残しており、これまでの人生を顧みて、今更ながら独りにしてしまう事が多かった妻との時間を、取り戻そうというヴァルツだ。


 ただその寝室に、良からぬ侵入者が潜んでいる。マドゴットが放った、羽虫型の監視・盗聴ロボット達だ。全長1センチにも満たない機械の虫は、ヴァルツとカルティラが寄り添って横になっているベッドの脇、そして天井の火災検知機の陰に潜んで、知り得た情報をNNLを経由して、キオ・スー市内のホテルに滞在するマドゴットの元へ送信していたのだ。


 二人だけの会話のはずが盗聴・監視されているとも知らず、ヴァルツは穏やかな口調で妻のカルティラに尋ねた。


「どうだ、カルティラ…こちらでの生活には慣れたか?」


「ええ。日常の方もつつがなく。今日もパーティーなど開かせて頂いて、楽しく過ごさせて頂いております」


「そうか、それは安心した。慣れぬ地でこのところまた独りにしてしまい、不安でおるのではないかと、案じておったのだ」


「まぁ…お優しいのですね、嬉しい…」


 夫の気遣う言葉にカルティラは甘えた声で応じ、胸板に頬を摺り寄せる。ヴァルツは惑星ラゴンに来てから夫婦仲が良くなった事を実感しながら、妻の栗色の髪を撫でるうち、ふとある事を思い出して口にした。


「ああ、独りに…と言えば思い出した。おまえのモルザンでの政務補佐官だった、サーガイという男だがな…」


「え?…」


 秘密の情夫の名を夫から出され、一瞬、ギクリ!と目を見開くカルティラ。だがその顔はヴァルツからは死角になっていて、変化を知られる事はなかった。何も知らないヴァルツは、寝室の天井を見ながら言葉を続けた。


「先日…わしがイル・ワークランに備えて出陣する直前、そのサーガイから直接NNLメールが届いてな。自分をこのナグヤ城へ転属させる話はどうなっているのか…と尋ねて来たのだ」


「!!…」


 思わぬ話にカルティラの表情はみるみる強張った。まさかマドゴットがナグヤ城へ転属出来ない件を、当主である夫に直接問うて来るとは、思っていなかったからである。


 だがヴァルツはここでも、胸板に頭を乗せる妻の表情の変化に気付かないまま、不思議そうな口調で言葉をさらに続ける。


「どうなっているのか…と言われてもな。儂もそのような事は初耳なうえに、政務補佐官辺りの人事まで、儂が口出しするような話でもあるまいに。サーガイという男もそれぐらい、はじめから分かりそうなものを…」


 ヴァルツが困惑するのも当然だった。マドゴットは、自分もカルティラ付きの政務補佐官のままナグヤ城へ転属させて欲しい…カルティラから夫のヴァルツに上手くとりなして欲しい、とずっと懇願し、カルティラは、夫には告げたが返事待ちという答えを繰り返していたのだが、実はカルティラはマドゴットの転属の事など、一度もヴァルツに相談してはいなかったからである。


 理由は前にも述べた通り、マドゴットをモルザンに残す事で、情夫に対して混濁してしまった、自分への愛情の重く感じる煩わしさと、一度会ってしまうと相手を求めてしまう執着心といった気持ちを整理し、カルティラの方でコントロール下に置こうという考え。そして何より、勝手の分からない惑星ラゴンで密会を繰り返し、誰かに二人の関係を知られる危険性を考慮しての結果だった。


「おまえはサーガイから、何も聞いておらんのか?」


 ヴァルツに問い質され、カルティラは素早く表情を隠すと、素知らぬ顔でヴァルツを見上げて応じる。


「いいえ…私も初めて聞くお話で…」


 ぬけぬけと嘘をつくカルティラに、ヴァルツは再び髪を撫でてやりながら、優しく話しかける。


「そうか。モルザンではなかなか良く、おまえに尽くしてくれたようだからな…おまえが望むのであればそのサーガイ、儂の方から人事へ言って、手を回してやってもよいぞ」


 するとカルティラは事も無げに、若い情夫の願いを切り捨てる言葉を口にする。


「どうぞお構いなく。政務補佐官ならこの城の方で充分です…このシーモア星系の事でしたら、地元の文官に任せるのが一番でしょう?」


 そしてカルティラは、「それもそうだな」と同意する夫の胸板から肩、そして首筋へと指を素肌の上に妖しく滑らせ始めた。


「そんな事より、殿…ねぇ、あなた…」


 艶っぽい視線を送る、女盛りのカルティラの上気した肌が熱を帯び始め、彼女と肌を重ねるヴァルツも自身の高まりを感じて、妻の髪を撫でていた手を肩から脇へと差し入れ、抱き寄せる。


「殿…私、殿の新しい子が欲しい」


「カルティラ…」


 深く口づけを交わし、互いの手指が火照る相手の肌を求める中、カルティラは熱い吐息と共に思いのままを告げる。


「今度は…姫が…欲しいですわ…男の子が増えて…他の…ウォーダ家のような…世継ぎ争いが…起きるのは…もうたくさん…そう…姫を作って…ノヴァルナ様の…お子と…結婚させ…ましょう…そうすれば…私達の…栄華は一層…ああ!…ヴァルツ様っ!!………」


「カルティラっ!………」



******―――



 ヴァルツとカルティラの音声と映像のこの記録は、捕獲した羽虫型ロボット―――スパイ・インセクターのデータから回収し、今回の一件の捜査責任者のナルガヒルデ=ニーワスも確認するところとなった。


 一方その三日後、ノヴァルナがトゥ・エルーダ星系から帰還する途中で発生した、ヴァルツ=ウォーダと妻のカルティラの殺害事件の犯人マドゴット・ハテュス=サーガイが、この盗聴・監視情報をホテルの一室で、どのような心境と表情で見聞していたかは、想像するしかない。


 ただ、もともとカルティラの火遊びの相手に過ぎなかったマドゴットが、本気でカルティラを愛してしまったのが、この悲劇の最大要因であったのは確かだ。


 人妻であるカルティラを、自分のものと考えるようになったマドゴットにとって、盗聴と監視で知った、ナグヤ城転属の根回しの話が最初から嘘であった事、そしてカルティラが望むならナグヤ城転属を叶えるといったヴァルツの言葉を、そのカルティラが拒否した事、そして何より夫婦の営みと、カルティラが自分より夫のヴァルツを愛している事を見せつけられ、ひとりよがりな思考で裏切られた気持ちになったのも無理はない。


 しかしこの時点でマドゴットの恨みは、殺意にまで発展していたわけではないように、ナルガヒルデには思われた。というのも特段その殺害の道具となるような物も持たないまま三日後、ヴァルツがナグヤを離れた機を狙って、カルティラの元を訪れたからである。



******―――



 ここからはまたナルガヒルデが確認した、羽虫型情報収集ロボット、スパイ・インセクターのデータからの引用となる。


「なぜ!…どうして私を蔑ろにするのです!? 私を愛して頂いていたのではないのですか!! カルティラ様っ!!!!」


 居住区のソファーにカルティラを押し倒し、馬乗りになりながら激しく詰るマドゴットの姿があった。盗聴・監視されていると知らず、再び任務を装い、ナグヤ城で婦人会議の帰りを待ち伏せしていたマドゴットに驚き、前回同様居住区に招き入れて宥めようとしたカルティラに、マドゴットが強い態度で臨んだのだ。


「痛いっ! やめてっ、マドゴット! 酷い事しないでっ!!」


 必死に抵抗するもカルティラは、両手首を力任せにソファーに押さえつけるマドゴットの体を、跳ねのける事は出来はしない。


「答えなさい! どうして私を騙した!?」


「騙すつもりなんてなかったの! ただ少し、お互いに冷静になった方が…」


「私を愛してないのか!!」


「そんな!…あなたを愛してるわマドゴット! 愛してる!!」


「またそんな嘘を!!」


 カルティラの不用意な言葉に、かえって怒りを滾らせたマドゴットは、カルティラに馬乗りになったまま、彼女の頬に二度、三度と平手打ちを喰らわせた。


「ひいいっ!!」


「私は全部知ってるんだ! もう騙されないっ!!」


 さらに容赦なく加えられる平手打ち。


「アッ!!…うぅ…」


 打ち続く暴力に赤く染まった頬を晒したまま、ぐったりとなるカルティラ。するとその時、力なく横たわるカルティラの姿にマドゴットは、原始的とも言える凶暴な征服欲が、心の中で頭をもたげて来るのを感じた。誰がおまえの支配者なのか思い知らせてやるという、人間が持つ暗黒面と言っていい。カルティラの着ている、見るからに値が張りそうなシルクのワンピースの胸元を両手で鷲掴みにし、力任せに引き裂いて、露わになった白い胸の谷間にむしゃぶりつく。


「いやぁあああっ!!」


 反射的に拒絶の悲鳴を上げるカルティラ。ところがこの時の彼女の頭の中では、持ち前の魔性が頭をもたげて来ていた。肌さえ重ねれば、若いマドゴットならどうとでも籠絡出来るという、したたかな計算だ。


「だめっ…マドゴット…こんな…」


 口では拒絶の悲鳴を上げながら、情夫の好みを知り尽くした肉体は、相手の求めるものに応じて深く罠を仕掛けてゆく。抗っていた両腕の力を抜いてマドゴットの背中に回し、体の緊張を解いて思いのままにされるのを受け入れ始めたような素振りを示すと、ほどなくしてマドゴットはカルティラの計算通り、自らの行為に溺れ始めた。


「カルティラ!…貴女は私のものだ!…私のっ!…」


 そう…あとはマドゴットの熱く滾る怒りごと、全てを吸い尽くし、気持ちの収まった情夫を宥め、これからの事を二人で考えてやる振りをすればよい―――そしてこの場さえ、切り抜けられれば…


“この子はもう駄目ね…”


 カルティラの頭の中に現れた、魔性の自分が冷めた目で囁く………





▶#04につづく

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