#04

 



ミノネリラ宙域国首都星系ミノネリラ―――



その第三惑星が星大名サイドゥ家の本拠地、バサラナルムである。


 惑星バサラナルムは、陸地が惑星の六割以上を占める上に、南半球に海が集中した特異な姿をしている。そして北半球には海がない代わりに、広大な湿地帯が点在して、見た目に海の青色より陸の緑色の多い星となっていた。


 空には極方向に、低軌道で細い氷のリングが回っており、澄み渡った晴天の中でリングが太陽の光を反射した際は昼夜を問わず、北から南へ流れる氷塊の帯がキラキラと美しく輝く光景を、地表から見る事が出来る。それは幻想的ですらあって、ヤヴァルト銀河皇国第一期植民団がこの惑星に降り立って以来今日まで、空を渡る氷の帯を詠った詩は枚挙に暇(いとま)を与えない。


 サイドゥ家当主ドゥ・ザン=サイドゥは、イナヴァーザン城の天守中央を縦に伸びた、高さが五メートルはある大窓から氷のリングを見上げ、自身のスキンヘッドを右手でツルリと撫でた。痩身の六十代前半ではあるが、空を見上げた背中からはいまだ壮年期の活力を感じさせる。

 ドゥ・ザンのスキンヘッドに反発するように反り返った見事な八の字髭と、些か大きすぎる鷲鼻の組み合わせはユニークなものの、その猛禽類を思わせる鋭い眼は、小心者であれば睨まれただけで気を失いかねなかった。


 城に訪れた早春の風の香りを鼻腔に吸い込んだドゥ・ザンは、視線を眼下に広がる平野に移した。イナヴァーザン城はミノネリラ宙域国首都イグティスの中央にある、標高は低いが峻険なキンカ―山全体を敷地として建てられている。

 市街地は、この城から蜘蛛の巣状に広がる大通りで、規則正しく区画割りがされており、その遥か向こうに見えるの緑の地平は、大湿原帯の一つであった。


 ドゥ・ザンはこの惑星とミノネリラの宙域を父親と二人だけで手に入れた。しかも父親は士官学校を出たわけでも、元から武人の誰かに仕えていたわけでもない、イグティスで食用油を中心に取り扱う、食品流通会社の経営者だったという。

 そこから、当時ミノネリラ宙域国を支配していたトキ家の家臣の配下として武門に入り、二代にわたって権謀策略の限りを尽くして立身出世、ついには主君トキ家を追放し、星大名の座に就いたのである。

 

「ドゥ・ザン様」


 後ろから呼び掛けられたドゥ・ザンはおもむろに振り返り、背筋を伸ばして応じる。


「ドルグか」


 そこに立っていたのはドルグ=ホルタ。五十代半ばの背の低い男で、ドゥ・ザンに古くから仕える家臣であった。このような家臣は他人を押し退け、踏み台にして成り上がったドゥ・ザンには珍しく、それだけに寄せる信頼も厚い。重要な事案にはこのホルタを必ず任じている。


「これより、ノア姫様をお迎えに出立致します」


「うむ。頼んだぞ」


 ドゥ・ザンの娘ノア・ケイティ=サイドゥは皇都キヨウで暮らし、『キヨウ皇国大学』に通う十九歳の長女であった。


 その皇都キヨウは現在、隣接宙域にまで進出して来たアーワーガ宙域星大名、ナッグ・ヨッグ=ミョルジとその支持勢力と、現皇国宰相ハル・モートン=ホルソミカとその派閥貴族達との対立による政情不安に揺れており、開戦の気運すら高まっていた。

 かつて、星帥皇の後継者を巡って貴族間で起こった『オーニン・ノーラ戦役』では、皇都惑星キヨウまでもが戦場になり、一部地区では降下部隊による市街戦を皮切りに、空爆や衛星軌道上からの艦砲射撃まで発生し、一般市民にまで多数の死傷者が出たのである。


 この悪夢が甦り皇都中が戦々恐々とする中、皇都に住む貴族や星大名の一族から、領地の宙域国へ脱出する動きが出て来ていた。開戦して皇都が再び戦闘に巻き込まれた場合、戦火から逃れるためもあるが、それ以上に重要だったのは、いずれかの勢力の人質に取られかねないという、戦略的な理由だ。

 無論、人質の命を盾にいずれかの陣営に加わるよう要求されたとしても、それが戦略にそぐわなければ最悪切り捨てても構わない。だがそれでもそういう事態は出来るだけ避けたいのが、心情である。血で血を洗う争いを続ける星大名や武闘派の貴族も、やはり人の子なのだ。


 その点では“マムシのドゥ・ザン”と恐れられ、“梟雄(きょうゆう)”と呼ばれ、自分で自分を“国を盗んだ大悪党”と言い放つドゥ・ザンであっても、市井の父親と変わるところはない…はずなのだが、実際の心情は少し違う。

 娘のノアが可愛い事に間違いはないが、それと同時に“使いどころなく死なせるのは惜しい”という、醒めた算段があるのだ。


 貴族や星大名にとって、娘とは第一級の戦略材料であった。他の有力な貴族や星大名や領域内の独立管領と婚姻させ、親戚関係となる事で時には外交の安定を図り、時には国力の上昇を目論むのである。

 当然このような事を民主主義国家で行えば非難の的になる。人権の尊重は民主主義の拠って立つところの一つだからだ。しかし新封建主義が先祖返りし、中世的政治体制となったヤヴァルト銀河皇国では、仕方のない事とされていた。そもそも謳歌出来るかは個人の資質によるが、自由恋愛が許された庶民にとって、貴族や星大名の子女の婚姻など、芸能人の婚姻と同列と言っていい世界の話に過ぎない。


 そして戦略的価値を高めようとするならば、論ずるまでもなく、時間と資本と労力と教育が必要であった。そうして手塩に掛けた娘という手駒を、政略結婚に利用出来ないまま失ってしまうのは、なんとも惜しい話だとドゥ・ザンは考えるのだ。そのためもあってドゥ・ザンは、娘のノアを皇都から早々に引き上げさせたのである。


 ただ皇都からミノネリラ宙域までの航路は決して短くはない。銀河皇国と各星大名の間で締結された『ヤヴァルト銀河協約』によって、星帥皇室に召し出された場合を除き、星大名とその一族及び関係者は超空間ゲートの使用が禁じられていた。

 そのためノア姫と彼女を世話する使用人は、通常空間をDFドライヴを繰り返して帰還しなければならない。そこでドゥ・ザンは腹心のドルグ=ホルタに、小艦隊によるノア姫一行の出迎えを命じたのだった。


 出発の挨拶を終え、ホルタが立ち去ると、それと入れ違いにきらびやかな衣装を着た、身長が二メートルはある、四十前後と思われる大男が向こうからやって来る。すれ違いざまにホルタが深く頭を下げるが、大男はおざなりに軽く頷くだけだった。大男は名をギルターツ=サイドゥ―――ドゥ・ザンの長男で、サイドゥ家次期当主候補の一人である。


「ホルタをノアの出迎えに行かせたか、ドゥ・ザン殿」


 ギルターツは自分の父親を、他人行儀に“殿”と呼ぶ。


「何用じゃ? ギルターツ」


 返答するドゥ・ザンも“殿”こそ付けないが、ギルターツ以上に他人行儀であった。するとギルターツは嘲るような苦笑を浮かべて応じる。


「これはご挨拶な…俺とてノアの兄だ。妹が可愛い事に変わりはない」


 ギルターツの言い草にドゥ・ザンは「ふん」と鼻を鳴らした。口ではああ言っているが、ギルターツもまた…いや、自分以上にノアを政略の道具と考えているのが分かるからだ。


「では参考までに聞こう。おぬしはノアを嫁がせるは誰が良いと思う?」


「さてな。ノアの惚れた相手なら誰でもよかろう…当人が決める事だ」


「ほう」


 思いがけないギルターツの言葉は、ドゥ・ザンの眉を跳ね上げさせる。


「おぬしがノアをそのように思っておったとは、意外なことじゃ」


「言ったであろう。俺とて妹が可愛い、と」


「これは、今日は雨じゃのう。せっかく朝から晴れておったというのに、勿体ない話よ」


 冗談めかして言い放ったドゥ・ザンは、ギルターツに背中を向けて再び青空を見上げる。だがその表情は硬く、息子の言動にいつもと違う何かを感じ取っていた。無論、他の誰が見ても気付くような差異ではない。そしてそれは親子であるからというものでもなかった。どちらかと言えばこれまでの人生で権謀策略を繰り返して来て磨かれた、観察眼によるところが大きい。




“ギルターツ。おぬし…何を考えておる?”




 胸の内でそう問い掛けるも、そこはマムシの異名を持つドゥ・ザン=サイドゥ。隙を窺うつもりか何喰わぬ顔で振り返り、飄々と息子に告げた。


「せっかくと言うなら、そうじゃ、ティルサルガ星系産の、良いウイスキーを手に入れておる。たまには親子で朝酒といかぬか?」



▶#05につづく

   

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