#03
ナグヤ=ウォーダ家の別荘は幾つかあるが、ダクラワン湖畔に建てられているそれは、蔦の這うベージュ色の石壁が趣を醸し出す、古風な館であった。
この周辺は湖南部の巨大都市ナグヤとは違い、手付かずの自然が広がっている。緩やかに傾斜する山の裾野に茂る森では、無数のラゴンミミズクゼミの鳴く声が、今が我が世と騒がしい。
しかし騒がしさでは、ノヴァルナも負けてはいなかった。
「イェルサス!いるかぁー!!??」
出迎えの使用人の案内も待たず、玄関の大扉を蹴破りそうな勢いで開き、館の中に入るのと同時にノヴァルナは叫んだ。その傍らにはフェアンがおり、後ろではマリーナが立っている…やや口元を引き攣らせて。
「イェルサーーース!!!!」
再び叫ぶノヴァルナに、マリーナは口元の引き攣らせ具合を大きくし、歩み寄る。
「兄上。そのようにお叫びなさらずとも、インターホンがありますれば…」
「イェルサーーース!!!!」
「くっ!」と歯噛みしたマリーナは、ノヴァルナの隣にいるフェアンを睨む。その眼が“貴女、何とかしなさい”と言っているのに気付き、フェアンは“あたしも無理”と困惑した笑顔で首を振る。
するとその直後、廊下の奥からこちらに向かって、バタバタ駆けて来る足音が聞こえだした。
やがて姿を現したのは、丸顔で少々ふくよかな金髪碧眼の少年…ミ・ガーワ宙域星大名、トクルガル家嫡男のイェルサス本人である。丸い眼が柔和そうで、背もそれほど高くはない。
「こ、これはノヴァルナ様ーー。ようこそおいで下されましたーーー!」
走るイェルサスがその台詞を言い終えるのと、ノヴァルナ達の前に到着するのは同時であった。そこからさらに、ノヴァルナの二人の妹に挨拶しようとする。
「ようこそ、イチ様」
「うす」
無邪気に敬礼するフェアンに、イェルサスも笑顔を返すが、その顔はマリーナを向くと一気に赤らみ、緊張が増した。どうやら彼女に対し一方ならぬ思いがあるらしい。
「こっ…こっ…こっ…」
言葉に詰まるイェルサスを見て、ノヴァルナはニヤニヤし、要らぬツッコミを入れる。
「なんだイェルサス。『コッコッコッ』ってお前、いつからニワトリになった?」
「………」
話の腰を折られ、しょぼんとなるイェルサス。それを見たマリーナは、少しきつい調子で兄を叱った。
「兄上、またそのように…イェルサス殿が、お可哀相でしょう」
「アッハッハ!」
注意されようが、お構いなしに高笑いするだけのノヴァルナに、マリーナは諦めたように小さなため息をついて、イェルサスに向き直る。
「お久しぶりですね、トクルガル殿」
「は!は!はい!」
上擦らせ気味の声で返事するイェルサス。星大名の子と言っても、まだ15才の少年である事に変わりはない。むしろ市井の少年より純朴さか滲み出て、一つしか歳が離れていないというのに、マリーナの方がかなり大人に見えた。
そこにまたノヴァルナの高笑いが、「アッハハハ!」と割って入る。
「わかりやすいヤツだな、イェルサスは!だがまぁ、今日も俺が四回呼ぶまでに出て来たのは、褒めてやる!」
そう言葉を続けたノヴァルナに、イェルサスは苦笑いを見せた。その様子から、どうやら館に押しかけたノヴァルナに、いきなり呼び付けられるのは、イェルサスには日常茶飯事の事らしい。
さらにノヴァルナは調子づいて告げる。
「よし、じゃ行くぞイェルサス」
「はい?」
キョトンとするイェルサス。
「行くとは、どこへ行くのですか?ノヴァルナ様」
するとノヴァルナは、さも当たり前のように言い放つ。
「決まってんだろ、ベシルス星系の惑星サフローだ。マリーナのやつが、サフローの虹色流星雨が見たいって言ってたもんでな。夏休みだし、みんなで行くのさ」
「ええっ!!!???」
驚きの声を上げたのはイェルサスだけでなく、フェアンも、そして当の本人のマリーナもだった。誰も何も聞かされていなかったのだ。
「明日出発するからイェルサス。お前も今から城に来い。すぐ支度しろ」
平然と言ってのけるノヴァルナに抗議したのは、イェルサスではなくマリーナである。
「あ、兄上。お気持ちは嬉しいのですが、いくら何でも急過ぎると…トクルガル殿も戸惑っているでしょうし」
しかしノヴァルナはいつもの如く、どこ吹く風だ。
「マリーナが嬉しいんなら、それでいいじゃねーか。いいよな?イェルサス」
そう言って振り向くノヴァルナに、イェルサスはニコリと笑い、「はい」と応える。
「はい決定ー!」とノヴァルナ。
「ちょっと、いいのですかトクルガル殿!?あまりにも常識というものが…」
あっさり承諾してしまったイェルサスに、マリーナは不満そうに言う。それを宥めたのはフェアンであった。
「マリーナ姉様、ノヴァルナ兄様に常識を言ってもダメだと思うよ~」
「おう!さすが、よく分かってるじゃねーか。フェアン」
フェアンの言ったのは、褒め言葉でもなさそうだが、ノヴァルナは気にしなかった。
「常識なんてのは、平凡に暮らしてる奴が、平凡に暮らすための方便だぜ。いつ敵と戦う事になるかわからねぇ俺達にしたら、敵の奇襲よりか、遊びに出掛けて楽しいぶん、マシってもんだろ?」
「………ええ、まぁ」
正しいような正しくないような、微妙な理屈を展開するノヴァルナに、マリーナは不承不承頷く。
フェアンほど頻繁には、ノヴァルナと顔を合わす事のないマリーナだが、それでもこの兄が、一度言いだしたら聞かないのはよく理解していた。
「そうと決まれば、イェルサス。俺達はここで待つから、さっさと支度しろ!『兵は巧遅より拙速を尊ぶ』だぜ!」
「はい!」
尻でも叩きそうな口調で言うノヴァルナに、イェルサスも勢いよく返事して、廊下に向かって駆け出す。相変わらずの傍若無人ぶりだが、それを押し付けられるイェルサスは、あまり嫌そうには見えない。
ナグヤ=ウォーダ家の人質となっているイェルサスの立場上、次期当主のノヴァルナに追従してもおかしくはないが、二人にはそういったものとはまた別の、奇妙な信頼関係があるようだった。
それを理解したマリーナは、胸の内で少し嘆息する。本来なら兄とこのような関係を築かなければならないのは、血を分けた本当の弟であるカルツェのはずなのだ。
ノヴァルナとカルツェの仲は悪くはない。だがそれは単に“悪くはない”という、言葉通りの中身しかない間柄であった。
そしてそれを最も取り持つべき、兄弟姉妹の実の母親であるトゥディラは、その愛情をあからさまに、スェルモルに同居する弟のカルツェにのみ偏らせ、離れたナグヤに住む兄のノヴァルナとは、年に何回か儀礼的な言葉を交わす程度だ。
父ヒディラスにしても、家督をノヴァルナに譲る事を明言して、武人としての評価はしているようだが、果たして兄弟の仲にまで配慮しているかと言えば、そのようにも思えない。
これがありきたりの平民家族なら、一家の問題で済むだけである。だが事はオ・ワーリ宙域に生きる者全てに、影響を及ぼしかねない、星大名一族の問題なのだ。
館のエントランスに腕組みして突っ立ち、イェルサスの旅支度を待つノヴァルナの背中を眺めるマリーナは、もどかしさで唇を軽く噛んだ………
イェルサス=トクルガルを連れ出し、ナグヤ城へ戻ったノヴァルナ一行は、約半年ぶりに訪れた長女のマリーナを歓迎する意味もあって、普段より盛大な夕食会を開いた。
ここでもノヴァルナは傍若無人だったが、それでもマリーナ、フェアンの姉妹にイェルサス。そして自ら集めた親衛隊の『ホロゥシュ』と、同世代の心を許した相手ばかりだと、傍若無人ぶりも普段と違う、和やかな感じであった。
やがて宴も終わり、明日の惑星サフロー行きに備えて、姉妹とイェルサスが宛てがわれた客室へ退くと、ノヴァルナだけは居間に入らず、城主の執務室にいた。
明かりを落とした執務室の自分の席で、ノヴァルナは幾つかのNNL(ニューロネットライン)のホログラム画面を周囲に浮かばせ、正面に並ぶ四人の人物を見渡す。
四人はいずれも『ホロゥシュ』 で、マリーナとフェアンの出迎えには参加しておらず、ウォーダ軍の軍装姿であった。
一人はラン・マリュウ=フォレスタ。先日の傭兵の奇襲事件の際、フェアンを守るために戦った、フォクシア星人の21歳の女性だ。
そして、トゥ・シェイ=マーディン。ノヴァルナより2つ年上で、高身長の美丈夫。武術にも優れるが、それ以上に情報処理や分析に秀でた、『ホロゥシュ』筆頭。
さらにナルマルザ=ササーラ。こちらはノヴァルナと同い年で、ガッチリとした筋肉質タイプ。眉の位置が突き出た角質のガロム星人で、格闘術においては『ホロゥシュ』のトップである。
四人目はヨリューダッカ=ハッチ。ノヴァルナより一つ年下で、どんな事でもそつなくこなす万能タイプだった。四人のうちハッチは、例のノヴァルナがナグヤの街のスラム街で探し出して来た、元不良少年だ。
「四人が揃った…という事は、この前の襲撃事件の情報が揃ったか」
そう切り出したノヴァルナの口調には、普段の型破りな荒々しさは聞かれない。座席の上に左膝を立て、行儀こそあまり良くないが、その目に宿る光の冷静さは、理知的と評判高い、弟のカルツェ以上だった。
「はい」と応じるマーディン。
「ミディルツ・ヒュウム=アルケティ殿から転送された、データを分析した結果だけを言えば、最も可能性が高いのは、シヴァ家ですが…」
そう続けたのはランである。このミディルツのデータは、さらにキオ・スー城に転送されたものの、その日のうちに消失したと言われていたものだ。
ノヴァルナは自分のBSHO『センクウNX』に転送されたこのデータを、中身も見ずにそのままキオ・スーに転送し、機体側のデータは面倒臭いから消してしまった!と放言して回った。
無論、常識的に考えれば、本当はデータをコピーしているはずである。しかし人間の心理とは妙なもので、普段から傍若無人、いい加減な人間と認識されているノヴァルナが言えば、それもあり得ると思ってしまった者が多かった。
事実、キオ・スーに転送されたデータの消失が発覚した時、関係者がノヴァルナの機体を調べたのだが、機体側のデータも消去されており、キオ・スー城以外への送信記録もなかったため、ノヴァルナの言葉を裏付け、「やはり殿下は『カラッポ殿下』だ」などと、雑言の回数を増やしただけであった。
そして当のノヴァルナは事件以後も、表向きはのんべんだらりとした、これまでと変わらぬ日々を送っており、次第に誰もやはりノヴァルナがデータを保持しているとは、考えなくなっていた。だが実際はラン達、腹心中の腹心に内偵を命じていたのである。
「結果だけを言えば…か。その言い方だと、データを調べた場合、シヴァ家に疑いがいくように仕掛けてあったって事か?」
そう言ってノヴァルナは、自分の周囲に浮かぶ複数の画面から、二つを選んで人差し指の先で触れた。その二枚は拡大され、シヴァ家のサーバーを使った傭兵との連絡記録や、事件前にあったシヴァ家名義の、不明瞭かつ高額の金銭支出記録が、ノヴァルナの正面に移動する。
シヴァ家とは、かつてこのオ・ワーリ宙域を治めていた星大名家で、ウォーダ家も元はその家臣であった。しかしその衰退に乗じ、ウォーダ家が星大名の座を纂奪したのだ。
そして今では一応、家系は存続しているが、ウォーダ家に保護される身へと転落、キオ・スー家のあるアイティア大陸の一画に、領地を与えられているのみである。
確かにウォーダ家に恨みがないとは言えないシヴァ家であり、隣国ミノネリラの旧星大名、トキ家とも懇意だったため、その繋がりでミノネリラのサイドゥ家と裏で手を組み、何らかの条件と引き換えに、オ・ワーリ支配の復権を謀ってもおかしくはない。
「まぁ、そう考えりゃあ、この前のミノネリラ侵攻の時から、何か企んでた…と思えなくはないがな。逆に合点がいき過ぎるってもんだ…で、おまえ達の判断は?」
と、部下に尋ねるノヴァルナ。
意見を求めるノヴァルナに、マーディンは僅かに眉を寄せ、「確証があるわけではありませんが…」と前置きして言葉を続ける。
「傭兵達の雇い主、イル・ワークランではないかと」
イル・ワークランとは、ノヴァルナ達の住むオ・ワーリ=シーモア星系から約2.5光年離れた、オ・ワーリ=カーミラ星系を本拠地とする、もう一つのウォーダ家であった。
キオ・スー=ウォーダの兄筋にあたり、両家の合議制によって、オ・ワーリ宙域国は統治されている。先日の傭兵事件の際、ウォーダの氏族会議にも全権使者を派遣してはいた。
マーディンが言った事が事実なら大問題だが、ノヴァルナはさしたる驚きも見せず、「ふーん…」とだけ声を漏らし、左腕を座席に立てた左膝に回す。
「例の傭兵達が使っていた仮装巡航艦。皇国管制局に記録調査を依頼した結果、超空間ゲートを使わず、恒星間航法でこの宙域へ侵入したようです」
そう言ったのはササーラだ。筋肉質の体に相応しく低めの声質である。
「奴らが傭兵惑星と呼ばれるサイガンから、ゲートを使わず来たのなら、イル・ワークラン側の領域から入って来るはず、申告した積み荷が何かは不明ですが、実際に搭載していたのがミノネリラ軍のBSIである以上、意識的に見逃さない限り、税関検閲に引っ掛からない事はありません」
続いて発言したのはハッチだった。元がスラム街出身のため、敬語に慣れておらず、少々砕けた物言いだ。
「それに、プラント衛星の設備を手っ取り早く利用するにゃ、星大名家…つまりウォーダの認証コードをブチ込むのが、一番ッス。そのコードさえありゃ、この宙域国じゃなんでも即決ッスから。ま、ウォーダ家が滅びない限りは…ッスけど」
最後に余計な事まで言い、元からウォーダ家臣下の出であるあとの三人に、もの凄い眼で睨まれたハッチは顔を引き攣らせた。
ただランはその顔をすぐにノヴァルナに向き直すと、案じる表情になる。
「いずれにせよ、イル・ワークラン側の領域は、我々からは分からない部分が多いです。明日殿下や妹君が向かわれる惑星サフローも、イル・ワークラン側領域とオウ・ルミルの国境付近…あまりお勧め出来ません」
しかしノヴァルナは、いつもの不敵な笑みで応じるだけだ。
「いや。向こう側の様子を直接探るいい機会だ。妹達についちゃ、おまえ達も一緒だから心配してねぇよ。守ってやってくれ………」
▶#04につづく
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