しのび、ふたり

タウタ

第1話

 下限の月がかかっている。京の町は夜に沈み、日中うるさい京雀たちも寝静まったが、花街にはまだ赤いぼんぼりが灯されている。粗方の客が女を選び終えた刻限、ある女郎屋の二階で影が絡み合っていた。一階は中流の女郎屋だが、二階は女を買わずとも寝泊まりができる。

「や…ぁっ」

 腰を引き寄せられ、飲み込んだものが肉を抉った。階下から聞こえていた嬌声が遠くなる。爪先が痺れるほどの快感に、紅丸は歯を食いしばった。組み敷いた影が冷たく笑う。どんな女も振り返る美貌は汗にぬれて余計に艶めいていた。手をのばし、青白い頬に触れる。伊都乃いつのはその手を取って指を舐り始めた。股の薄い皮膚を舌がかすめるたび、得体の知れない感覚が背筋を伝う。

 手に飽きたか、伊都乃は紅丸の髪をかきまぜ、そこら中に唇を落とした。すでに存分に乱れた単をさらに割り開く。器用な指が胸と言わず脇腹と言わず巧みにくすぐるのだからたまらない。

「んっ、はあ……あ…っ」

 爆ぜそうなほど膨らんだ雄が痛い。なんとか快楽をやりすごそうと身をよじると、腰を強くつかまれた。

「もう少し辛抱しろ」

 耳元のささやきすら秘部を潤ませる。耳朶を甘く噛まれ、声を抑えられない。背に腕を回したら、脚を抱えられ揺さぶられた。

「ひぁっ…あ!」

 微妙に中枢を外されてもどかしい。快楽を追って腰が揺れる。伊都乃はやんわりと紅丸の腕を解き、両の手首を頭上で抑えた。口を吸われて頭に靄がかかる。伊都乃の手はしばらく紅丸の腕の内側を撫でていたが、するりと敷布の下に潜った。

 ぎゃっという叫びと共に、天井裏の気配が去った。伊都乃の投げた小刀が天井板に刺さっている。

「逃がした」

 長い髪をかき上げ、伊都乃は気だるげにつぶやいた。

 日が沈む前から見張られていた。仕掛けてこないので放っておいたが、短気な伊都乃は業を煮やし、嫌でも行動を起こしたくなるようにしてやろうと言い出した。男は達する瞬間が一番無防備になる。突如始まった房事に面食らっただろうが、監視者は目の前の餌にまんまと引き寄せられた。

「徳川かな」

「大坂だろう。伊賀は一人では動かない」

 伊都乃はもっともらしく言ったが、彼自身が一人で動く伊賀者だ。

「徳川なら、囲んでくる」

 そうだ。今までもそうだった。しかし、本当に大坂方の忍だったらまずいのではないのだろうか。大きなくくりで言えば味方だ。同胞を攻撃したことになる。

「いずれにせよ、考えるのは明日だ」

 深く穿たれ、紅丸は嬌声を上げた。散々焦らされた体は戒めをなくして貪欲だった。内壁がとろけ、与えられる欲の塊を食い締める。弱いところを擦られ、びくん、と腰が跳ねた。二人の呼吸が重なったり離れたりする。

「あっ…あっ、いつの……!」

 今度はこらえるためではなく、達するためにしがみついた。この瞬間は何度経験しても怖い。自分の体が思い通りにならなくなる。抽挿が激しくなり、急激に昇りつめていく。

「…やだ…ぁああっ……――ッ」

 瞬間的に何も見えず、何も聞こえなくなる。声すら失いながら、紅丸は達した。なおも奥を突かれ、絶頂をくり返す。快楽の余韻は長く尾を引き、やがて倦怠感に変わった。

 もう動きたくない。

 いつもこうだ。ぐずぐずになってしまう。

 襲いくる眠気に抗えず、紅丸は意識を手放した。



 一六〇〇年、徳川家康は関ヶ原で石田三成を破った。

 一六〇三年、家康は将軍宣下を受け、江戸に幕府を開いた。

 一六〇五年、嗣子の秀忠が将軍職を継いだ。家康は豊臣秀頼と秀忠の会見を望んだが、豊臣方が拒否したため実現しなかった。

「大坂に豊家がある限り、このままでは終わらぬだろう」

 佐田(さた)仁(ひと)孝(たか)は目前に控えた紅丸と伊都乃の頭を越えたところへ視線を飛ばしていた。仁孝はいつもあらぬ方向を見ている。真横を向きながら話すこともある。

「まあ、せがれがあれでは」

 海老茶の小袖をさっぱりと着ている。今年四十四になった。独身だ。薄くなってきた髪では髷を作りにくいとぼやいている。年よりも随分とじじむさい物言いをする。おっとりとした人柄だが、加賀谷家の忍をすべて差配し、陰から主君を支える存在だ。

「お館様はあの通りのお人だし」

 加賀谷は瀬戸内の小大名だ。さかのぼれば古いらしい。やせ細った猫の額ほどの土地を後生大事に守っている。仁孝の言う「あの通りのお人」がどの通りのお人なのかはわからないが、切れるという話は聞いたことがない。関ヶ原で西軍について取り潰しを受けずにすんだのも、その後の仁孝の献策によるところだと、もっぱらの噂だった。

 仁孝はふうと息をつく。

 関ヶ原の合戦以降、京・大坂の勢力図は一息に塗り替えられた。あのとき西軍について存続を許された大名は加賀谷を入れてもそう多くはない。今後は徳川におもねるしかないと思うが、仁孝はそうは考えていないらしい。

「さて」

 障子は開け放たれていた。加賀谷の城は山の斜面に埋もれるようにして建っている。仁孝の屋敷は城の北東にあった。城からは離れているが、出丸のような位置取りだ。裏手はすぐに山なので、名残りの蝉の細い声もよく聞こえる。

 仁孝の配下は市中に潜伏している者、他国へ出向いている者、士分を得て自らの家を持つ者、この屋敷に詰めている者と様々だ。紅丸と伊都乃は屋敷に詰めており、任のないときは畑を耕したり、炊事や掃除をしたりしている。

「お前たちふたりは知れておるが」

 例の献策の際、紅丸は駆り出されて方々飛び回った。伊都乃は徳川の傘下にあったところを抜けたため、伊賀の裏切り者として知られている。

 そうでなくとも、伊都乃の容姿は人目を引いた。肌は白く、目元は涼しく、鼻梁が通っている。長い髪はいつも頭の高いところで結っている。赤茶けた猫っ毛で色も浅黒い紅丸とはかなり違う。

「他におらぬしなあ。いや、おらぬわけではないのだがなあ」

 仁孝の話のほとんどは独り言だ。紅丸も伊都乃も慣れたもので、下手な相槌は入れず黙って座していた。

「京と大坂の大名の動向を探ってくれ」

 ここでようやく、二人に向き合った。

「それから、東へ」

「どこまででございましょう」

 伊都乃の声は宵闇のような青みを帯びている。

「そうさな、お前たちふたりならば、江戸まで」

 仁孝の目に星が灯る。「他におらぬ」という言葉が誇らしい。

「謹んで」

「探るだけでよい。手出しは無用だ。道中はのんびりせよ。ひとりにはなるな。ふたりでいろ。それから、」

 仁孝は紅丸と伊都乃を交互に見た。欠けた前歯を見せ、柔和に笑う。

「仲良くな」

 それが一番難しい。伊都乃がきれいな顔を歪めた。紅丸はうんともすんとも言えず、黙って頭を下げた。

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