第69話

 死とは何か。死なない俺が考えても仕方のないことだったが、こうも完膚なく破壊されると考えたくもなる。肉体は消滅し、意識までもが断絶された。しかし、眠りから目を覚ますように意識が戻って来ると、何事もなく俺が在った。死に場所、ヴィントの魔法が放たれた地点のすぐ上空に意識が残留し、ゆらゆらと煙のごとく漂っていたのだ。

 思い返せば身の毛もよだつほどの、痛烈な死だった。これまでに迎えた死に方の中でも一番に悲惨だったと自信をもって断言できる。光に喰われて消えるのではなく、自分自身が光に染められて弾ける感覚。ヴィントの魔法がどのようにモノを破壊していたのかを身をもって知りつつ、その経験を保存する間もなく自己が自己を保ったまま消えなかった時は、さすがにだめかと思ったぐらいだった。

 死とは多分、そういう冷たい喪失の限界点のことなのだろう。残念ながら、それでも俺を殺すには至らなかったのだが。

「さて」

 しゅるしゅるしゅる。アールエンのものと思わしき砕けた鎧が転がる爆心地に自らを下ろす。何百人とのデッドヒートを繰り広げた思い出のコース、そのゴールは見るも無残に破壊されていた。巨人が執拗に足踏みでもしていったみたいに、更地になっている。周りには結構な数の野次馬がいたが、この戦闘の跡の中にまで入り込んでいる者はそれほどいなかった。そんな数少ない野次馬たちも、俺が出現すると、ぎゃあ、と悲鳴を上げて方々に散っていった。化け物に相対した人間の反応としては至極真っ当、平常である。

「皆は外かな」

 見渡してぱっと目につく内に、ティアフたちやヴィントの姿は見えなかった。いるのは戦場跡を囲む野次馬の壁と、その中にベリオール・ベルに潜んでいると噂のセイバーらしき人間の影である。だが、セイバーらはこちらを睨みはしても、手を出してくる様子はとんとなかった。表立っての行動を避けているとは聞いていたが、あからさまにマイナーが現れても動かないとは大した沈黙振りである。事情はともかく、邪魔が増えないに越したことはないのだし、彼らの好意に甘えてこちらも沈黙を守るとしよう。

 一瞬、甘えついでに取っ捕まえて気を失っていた最中のことを聞き出す策も脳裏を過ったが、その物騒な手は使うまでもないようだった。

 足元に赤い印があるのを見つけたからだ。べっとりと、ベリオール・ベルの郊外へ続く血痕である。

 まるで、血液をたっぷり吸った毛筆を一直線に流したような軌跡。何人分かの足跡らしきものも伺えるが、そのほとんどが大量の血液で上書きされて正体は不明だった。これだけの出血が途切れずに彼方まで続いている。普通の人間なら数歩も歩かずに事切れている量だろう。ティアフやシスター・アルモニカは言わずもがな、いくらセイバーと言ってもヴィントにだって耐えられはしまい。

 必然、この出血でも無事でいられる頑丈な人物は限られてくる。

「まあ、とにかく急ごう」

 それが予想通りアールエンであるにせよ、本当はそうでないにせよ、この出血の仕方では長くは持たないはずだった。幸い、痕跡は血で印された一本の線だけ。これを辿れば誰かしらには辿り着くということだ。採るべき行動が一つだけと少なければ、残された時間もわずかなようだった。

 街の灯りと野次馬の好奇に背を向け、暗闇に呑まれる血を辿って走り出す。俺はすぐに、もう一つの幸福に感謝した。もし、ティアフやアルモニカの死体があるとすれば、あの爆心地からそう遠くない場所だと踏んでいたが、それらを見つけることはついぞなかったからである。

 ベリオール・ベルは広い。眠らぬ都と称される通り、日が変わっても街から灯りが絶えることはない。しかし、そうやって賑わっているのは都の中央に構えられた繁華街だけであった。昼間の太陽に比べれば下品とも言える色の強い魔法の灯り。街全体を誘蛾灯のように着飾った繁華街を離れてしまうと、眠りを忘れて目を光らせるベリオール・ベルは影を潜める。

 中央の繁華街に対し、がらりと色を変え夜の帳に沈む外円部を単に市街と呼ぶ。この市街の内、都の角に追いやられ整備さえされなくなった区画が旧市街に当たるが、繁華街から真っ直ぐ都を出入りするだけなら市街を通るだけで良かった。奇しくも、俺が向かっているのは北側、ティアフを背負ってアルマリクからやって来た方へと戻っている。わざと道を逸れ、シスターとアールエンの根城である教会に寄ることも考えたが、血痕がそちらを指していなかったので方向は変えなかった。やがて、俺はべリオール・ベルから外、夜風の奔る草原へと出る。

 足元を埋め尽くす草原は途中から見上げるばかりの森へと姿を変え、夜空を飲み込んでいた。ぎらぎらと灯りを焚く都の中からでは気にもしなかった星々が虚空に瞬き、大きな半月がこちらを見下ろしている。間に合わなくなるぞ、と急かしているようにも、まだ大丈夫だぞ、と励ましてくれているようにも、もう全てが終わったぞ、と告げているようにも見えた。

 血は更に向こうへと続いている。草花を塗り、大地へと滴っている。細長い雲から紅い雨でも降ったよう。少しして、俺はその終着点へと辿り着く。

 果たして、星と月が俺に語りかけていた言葉の何が正しかったのか。最初、終着点にあったそれは、草原の最中に唐突に、無造作に立てられた墓なのだと思った。細長い木の枝のようなものが二本、大地に突き立っていたのだ。縁起でもない、と近づいてみると、それが墓などではないとすぐに分かった。

 だが、理解はできなかった。一望しただけでは、星と月の告白のどれが正解だったのかの見当もつけられなかった。

 木の枝と思われたものは槍である。槍に刺されて横たわるのは二人のセイバーである。片方の槍は心臓を貫き、片方の槍は喉を貫いていた。その、喉に槍を突き立てられた方へと駆け寄って、声をかける。

「アールエン、無事か?」

 我ながら気の利かない言葉を選んだな、と後悔するも、吐き出した言葉は呑み込めない。“無事か”って? 首を刺され、身体のそこかしこに穴が空き、今もなお出血の止まらない人間のどこが無事に見えるというのか。

「――――」

 鎧を脱いでなお俺の何倍も大きい、その山のように頑強な巨体は何も答えなかった。眠るように沈黙する端正な顔つきが、月明りに映えてぞっとするほど美しい。抉られた脇腹の怪我など、今の彼女の悲惨さに比べればかすり傷にも等しかった。

「アールエン」

 答えはない。喉を潰され声が出ないのは当然としても、その伏した身体のどこもが石のように固まっていた。揺さぶろうかとも思ったが、動かして身体に障っても困る。全身穴だらけ、そんな心配をする段階はとうに過ぎていたようにも見えたが……ともかく、俺は声だけをかけた。

 返ってくるのは沈黙である。

 間に合わなかったのか。星と月と草と花とが風に揺れて嗤う。彼らは明確な答えを寄越さなかったが、代わりに、アールエンの物言わぬ威風が、今にも流れ尽くそうとするゆるやかな出血が何よりも雄弁に語っていた。

 おまえは遅かったのだ、と。

 天を仰ぎながらため息を吐く。認める他になかった。

「けど、この槍はどこから?」

 状況から、アールエンとヴィントとが揃って力尽きていることを認めるのは難しくなかった。いや、そう理解する他になかった。しかし、二人に突き刺さった“槍”の存在だけがどうにも不可解だった。例えば、二人で相打ちになったのだとしても、槍の出て来る幕はどこにもないのだ。二人の獲物は剣である。どちらも槍は使っていない。

 あるとすれば、第三者が二人を殺したという可能性。セイバーとはいえ、ここまで這う這うの体でやってきた二人に止めを刺すぐらいなら、ティアフにだってできそうなものだった。あくまで例えであって、アールエンまで殺す理由などないが、だとすれば……。

「ゴングか?」

 それも考えにくい。第一に、ヴィントが俺たちを追いかけてきたということは、風俗店のホールでの戦闘を終えたから、ということになる。敵となったゴングを全滅しない理由はヴィントになく、故に彼と戦っていた数十のチンピラどもは残らず殺されたと見るべきだった。ヴィントを追って新たな追撃がなかったことからも、それは明白だ。

 俺たちを追っていた数百の連中についても同様である。その上で、第二に、あれだけの数が居て槍を握った構成員は一人といなかったのだ。万が一生き残りがいたとしても、その獲物は剣か斧か、その辺りのはず。二人に止めを刺したらしい槍の出現は、どうしても唐突な感が否めない。

「何がどうなってやがる……」

 他に手掛かりはないかと草原を見回してみる。ここまで俺を導いてきた血の導線はやはりアールエンのもので、彼女が浸る彼女の血の池に合流し、その先はなかった。何かしらの戦闘があったのか、周囲に血液が飛び散ってはいるものの、こうも雑多では道標にはならない。

 手詰まりだった。ベリオール・ベルを走って抜けるのに手は抜いていない。だから、意識のない俺にはどうしようもなかった復活までの時間が明暗を分けたのだ。どうやら、俺が復活するまでにはかなりの時間を要したようだった。彼らの傷の具合を見る限り、歩くのもやっとだったろうアールエンやヴィントに全力で走って追いつけなかったのだから、俺が寝過ごした遅れは一分や二分ではない。

 下手をすれば十分でもきかないはず。その時間がなければアールエンを救えたかも知れないのに……救う? そうだ、そういえば、もう二人はどこにいった?

「ティアフ!! シスター!!」

 あまりに予想外の光景に呆気にとられていた。慌てて、声を上げる。人工の灯りがなくとも、雲一つない星空に覆われた大地は十分に明るく、見通すのには困らなかった。その穏やかな緑の海の中に人の影は見当たらない。目視に違わず、声は虚しく肌寒い中空に消え、返っては来なかった。

 目がだめなら、せめて音はしないか。耳を澄ませても、草花が風にそよぐ音ばかりが聞こえた。あからさまに危機を感じさせる音がしていないだけマシだが、この静けさはかえって異様でもあった。二人を殺した何らかはどこへ行った? ここにいない二人はどこへ行った? 身を隠し、息を潜めているのなら良い。しかし、そうでなかったら……。

「くそ」

 闇雲に探し回るしかないだろうか。意を決して駆けだそうとした瞬間、俺の目の端で動くものがあった。

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