第45話

 ベリオール・ベルは特殊な都である。ペクメル王国に属する大公都。人口は十四万。主要な産業は娯楽。それは賭博であったり、風俗であったり。シスター・アルモニカが直面したら失神してしまいそうな欲望と淫蕩とが詰め込まれた街。それが、ベリオール・ベルという都の内情であった。

「この街には首長っつーシステムがねえ。代わりに暴力で社会の裏側を牛耳って、治安を維持する組織がある。全部で三つ。まあ、もう二つだが」

 繁華街の内、食事処が立ち並ぶ通りに、その隠れ家はあった。ある店と店との間、気を付けていなければ通り過ぎてしまうような暗い隙間には、地下へと続く階段がむりくり差し込まれたように続いている。屋号の看板はなく、さりとて侵入を咎めるような注意書きもない。人口十四万の中でも、この狭苦しい階段の存在に気付いている人間はきっと、百人もいはしないのだろう。この、怪し過ぎてかえって目立たない階段の下にあるのが、元ベリオール・ベルの元締め“ハンドベル”の隠れ家だった。

 正確には、その残党が使っているだけの、人を容れて話すぐらいしか機能のない地下室である。俺は、粗大ごみ置き場から拾ってきたみたいなぼろぼろのソファーに座らされて、いかつい顔の男と話していた。さすが、暴力組織の構成員。上から下まで顔の怖いやつばかりである。人の目を見て威嚇することに何の躊躇もない。

 いかついと言っても、俺と話している男は、震えながら教会までやって来た気の毒な男とはまた別の人物であった。アレよりもずっと堂々としていて、身体はそれほど大きくないのに威圧感がある。身なりは小奇麗で、アクセサリーの趣味は決して良いとは言い難かったが、攻撃的に過ぎるという風でもない。ただ、その人のまとっているオーラ、存在の熱が対する相手を自然と萎縮させてしまうたたずまいは、なるほど、ハンドベルの現リーダーと言われれば納得する他にない偉容だった。

「ハンドベル。ウィンドチャイム。ゴング。……あー、ここら辺の話は聞いてるんだったか?」

「何となく。アールエンはあまり、この手の話が好きじゃないみたいで、詳しくは話してくれなかったんだ。ただ、一年前に抗争があって、チンピラの集まりみたいだったゴングが他の二つの組織を圧倒した、ってのは知ってる」

「ま、それ以上でもそれ以下でもない」

 自分の組織が打ちのめされたという話だから、ハンドベルのリーダー足る男は当然おもしろくなさそうではあったが、素直に俺の仕入れていた知識を肯定した。半分、諦めがついているようにも見える。潔く事実を認め、諦めているのだ。今更蒸し返されたところで激昂したり、当時のことを思い出すと怒りに狂いそうになる、という様子ではなかった。むろん、俺を相手に怒鳴られたってどうしようもないので、当事者が冷静でいるのは、話を聞く身からすればこの上なく良い状態だった。

「ゴングってのは、万年最弱だった。おまえの言う通りチンピラの集まり、組織として成り立ってすらいなかったようなやつらだ。雑魚の集まり。吹き溜まり。ハンドベルもウィンドチャイムもろくに相手にしちゃいなかった」

「らしいな。けど、教会に来たのはチンピラってレベルじゃなかったぜ」

「最初はそうだった、のさ。力が強いだけの人間。まともに生きられなくて喧嘩やってるようなクズども。ま、俺たちが否定できた義理じゃねーが……そいつらが一年前、急激に力をつけた」

 アールエンの言葉を借りるなら、“ネズミを追い払っていたところに巨大な猪が突っ込んで来たような変わり様”だったのだと、男は深く息を吐きながら話してくれた。今になって思い返してみても、“強くそう”なったゴングとの初めての戦いは、それまでから考えれば冗談のようだったという。とはいえ、ゴングのチンピラ連中がネズミから猪に昇格した最初の頃は、まだ現実的な振れ幅であり、ハンドベルやウィンドチャイムとも対等であった。言ってみれば、その時点までは“人間同士の抗争”であり、ゴングの構成員たちが急激に強くなった理由はともかくとして、渡り合えるなら関係ないと、それ以上でもそれ以下でもなかったのである。だが、それから一か月後にはもう、ハンドベルもウィントチャイムも圧倒されていた。敵の戦力がもはや人間ではなくなっていたのだ。人間ではないものに、ただの人間が勝てるわけもない。人間対魔者、と例えると大げさだが、当時はそれに近い隔たりを感じたものだと、リーダーと周りの人間が口を揃えて当時の異常を肯定した。

 そうして、ハンドベルとウィンドチャイムが壊滅した。どちらの組織もかろうじて全滅は免れたものの、単純な人数でさえゴングに追い抜かれてしまった彼らには、哀れな敗残兵として街の暗がりに身を隠す以外に生き残る道はなかった。ベリオール・ベルを代表する二大勢力ツートップの陥落は、当時のベリオール・ベルに大きな衝撃を与え、同時に治安の悪化などの諸問題を引き起こす引き金にもなった。

 ……というのが、ベリオール・ベルの最近の歴史。およそ一年前にあった抗争の全体像である。

「まあ、良くある話に聞こえるけど」

 ある街の裏で日常的に繰り広げられていた組織と組織の抗争。一定以上に都が大きければ、いくつかの反社会的組織が跋扈し、彼ら同士で様々な理由から争っていることなど別に珍しくもない。これが、ある一方の勝利によってついに決した……たったそれだけの話である。

「戦いに負けたことは認めるしかなかった。だが、俺たちにはその敗北が、どうにも気味悪く思えて仕方がなかった。弱小だったゴングがたったの一か月で俺たちを超える、その理由が不透明なままだったからだ」

 幕が下りたことで一見、話は終わったように見えるけれど、その緞帳はいかにも不気味で、向こうからは隠しようのない異臭がただよって来ている。元は単なるチンピラ、統治のとの字も知らないような化け物どもが君臨することにるベリオール・ベルの不安定化も避けられず、負けたとはいえ、ハンドベルもウィンドチャイムも、都のことを思えば素直に舞台から降りられはしなかった。彼らは非合法で暴力的なギャングには違いないが、ベリオール・ベルを切り盛りしてきたのは自分たちであるという自覚があり、自負があり、故に愛着もあったのだ。事実ベリオール・ベルは、その主要産業が賭博や風俗である……都市全体がそういうもので成り立っているという特異な性質でありながら、今日まで破綻することなく運営されてきた。この特異で希な歴史が訳の分からぬ内に崩壊していく様を座して見届けられるほど、彼らは諦めの良い人間ではなかったのである。

 そこから、彼らはそれぞれの残党をまとめ上げて、活動を再開した。

 直接ぶつかっても勝ち目はない。だからまずは、自分たちが敗北を喫した抗争の秘密を暴いてやろうと考えた。この秘密を辿ればゴングを引きずり落とす手がかりに繋がるかもと、そういう魂胆だったのである。

 暴くべき秘密、つまり問題点は三つ。

 一つは、万年最弱だったゴングが不自然なまでに急激に強くなったこと。

 二つは、そのゴングが実質的にベリオール・ベルの実権を握った後で、シスター・アルモニカの教会を執拗に攻撃し始めたこと。

 最後に、抗争から一年も経った今になって、二大組織の残党狩りを始めたこと。

「ゴングについては、一年経っても分からなかった。裏にいるかも知れない人間は分かったが、証拠も出て来なかった。うまくやってるんだ、やつらは」

 糸を引いているやつがいるが、それを表に引きずり出せない。どこかで聞いたような話である。ただ、ベリオール・ベルとアルマリクでは都市そのものの構造が違うので、一概に同じであるとも言えなかった。曰く、ベリオール・ベルの中で本気で身を隠してしまえば、それを他人が見つけることは非常に困難になるのだ、と。

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