12月9日  フライデー襲撃事件

 やあやあ諸君。

 私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。


 諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。

 私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。




 本日2017年12月9日は『フライデー襲撃事件』である。


 フライデー襲撃事件とは、1986年にビートたけしら12人が週刊誌『フライデー』の取材方法に抗議し、講談社に押し掛け暴行を働き全員逮捕された事件の事である。

 翌、1987年6月10日、たけしに懲役6か月、執行猶予2年の判決が下された。


 日本のお笑い界で頂点と呼ばれるビッグ3。東のたけし、西のさんま、地方のタモリと言われているが、私はなかでもビートたけしが一番好きで、その理由の一つがこのフライデー襲撃事件にある。勿論、暴力を肯定するわけではないが。


 ビートたけしは当時、21歳の専門学校生の女性と付き合っていた。飛ぶ鳥を落とす勢いだったビートたけし。熱愛報道は記者の特ダネである。

 そこでフライデーの契約記者が女性の通う学校の校門付近でたけしとの関係を聞こうと声をかけたが、それを女性が避けて立ち去ろうとしたため、記者が前方に立ちふさがってテープレコーダーを彼女の顔に突きつけ、手を掴んで引っ張るなどの行為に及び、頸部捻挫、腰部捻傷で全治2週間の怪我を負わせた事が発端となる。


 これに怒ったたけしは、フライデーの発行元である講談社に電話をかけ、強引な取材に抗議した上、「今から行ってやろうか」と通告し、翌12月9日の午前3時過ぎ、たけしはその弟子集団であるたけし軍団のメンバー11人と共謀して、タクシー3台にそれぞれ4人ずつ分乗し東京都文京区音羽にある講談社本館のフライデー編集部に押し掛ける。

 当初たけしは手を出さないよう軍団メンバーに言っておいたものの、当時の編集次長による「自分は空手が得意である」旨の発言をはじめとした、編集部員の挑発的言動が原因で暴行に至った。


 たけしらは、「ブチ殺すぞ、この野郎!おれは刑務所行きも覚悟している!」などと怒鳴りながら、粉末消火器を噴射した上、同誌の編集長及び編集部員らに室内にあった雨傘や拳で殴打したり蹴ったりして、肋骨骨折などで1ヶ月から1週間の傷害を負わせた。たけしらは住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、大塚警察署によって現行犯逮捕された。

 事件で連行される際、たけしは軍団員に対して、 「悪かったな、おまえら」「おまえらの面倒は一生見るから」、「おれ、ドカタしてでも、おまえらを絶対食わせるからな」と語ったとされる。

 たけし自身は「一発殴って終わりにして、編集部員も含めてみんなで飲みに行くつもりだった」と自著に記した。


 交際相手に手を出されてやり返せる人間は今の日本にどれほどいるだろうか。たけしのこの行動には一人で行くべきだった。暴力で解決してはいけない等の問題は勿論あるが、だが、いかにも物語の主人公らしい。


 たけしは後に「基礎から勉強し直そう」と思い立ち、小・中学生が解くようなドリルを使って勉強したという。その際に、たけしは大人・芸人としての知識や常識と義務教育で習得し、その後もどこかで役立っているはずの「一般常識の基礎」とのギャップに気付き、事務所やテレビ局に番組原案として出したことがあの『平成教育委員会』発案のきっかけとなったと言われている。


 事件については賛否両論だが、私は人の為に怒れる人間でいたいと、つくづく思わされた。

 たけしは周りから殿と呼ばれている。今では珍しいその愛称は、理想の上司への信頼関係を込めての呼び名なのかもしれない。




 今日はフライデー襲撃事件、特別な一日である。

 我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。

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