4月27日 哲学の日

 やあやあ諸君。

 私の名はいずく。いずくかけると申す者だ。


 諸君らは今日と言う日を如何にお過ごしだろうか。日々は刻一刻と進む二十四時間の連鎖であるが、それは円環ではなく螺旋であり、繰り返しではなく積み重ねである。だがしかし、中にはどうもそれを理解していない者が多い。

 私の話を聞き入れ、今日と呼ばれる日が先人達が積み重ねた如何なる日なのかを知らば、諸君らの過ごす毎日にも色が付くのやも知れぬ。




 哲学の定義は曖昧だ。時代によっては学問そのものが哲学と呼ばれ、日本の広辞苑では世界・人生の根本原理を追求する行動と書かれ、またある者は哲学者の功績そのものを指すと唱える。哲学とはなんなのか。その問いに突き当たった瞬間にはすでに哲学は始まっているのだ。本日、2017年4月27日は『哲学の日』である。


 哲学の日は、紀元前399年、西洋哲学の創始者と言われる『ソクラテス』が、アテナイ、現在のアテネで市民に無知を自覚させようと活動したところ、これが受け入れられず、時の権力者に死刑宣告を受け、脱獄を進める弟子たちを「悪法も法だ」となだめ、毒入りの杯に自ら口を付けた日である。


 ソクラテスと言う名はあまりに有名で、もはや知らぬ人はいないであろうレベルの知名度だが、彼が残した作品を知る者はいない。なぜなら、彼は自身の著作を後世に残さなかった謎めいた人物だったからである。彼の名言を我々が知ることが出来るのは、彼の弟子の功績と言える。


 哲学とは知る事、または考える事。だがソクラテスが残した名言は、その理から真逆を行っていたように思える。ソクラテスは全てを知る事を諦めていた。いや、それが無理である事を自覚していたのだ。

 自分が何も知らない事。それを知っている事が他の人間との違いである。彼の哲学は無知の知として、有力者相手に繰り広げられていく。事実、何も知らないのに知っているふりをする自分以外の人間全てに、討論で負ける事は無かった。


 ソクラテスの問答法はただの口喧嘩で、ただの屁理屈の様にも思えるが、それでも彼が現世に蘇れば、勝てない裁判はないだろう。だが、最後はそれが原因でソクラテスは命を落とすことになった。まさに口は災いの元と言うやつだ。


 今日4月27日は哲学の日であると同時に『悪妻の日』でもある。これはソクラテスの妻、クサンティッペが歴史に名を遺す程の悪妻であったと言われる事から制定された一日であるが、夫のソクラテスは彼女の事をこう語っている。


「なにはともあれ、結婚しなさい。良妻に恵まれれば、幸福になるだろう。悪妻を持てば、哲学者になるだろう」


「蝉は幸せだな。なぜなら、物を言わない妻がいるから……」


「水車の回る音も聞きなれれば苦にならないよ」


 稀代の問答法の使い手であり、答弁にて負け無しだったソクラテスが言い返す気になれなかった妻、クサンティッペ。本当に口喧嘩が強かったのは、彼女の方だったのかもしれない。




 今日は哲学の日、特別な一日である。

 我々は本日を祝福し過ごさねばならないだろう。

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