家出少年と絵師の飯

P.sky

牛丼(ネギ卵トッピング)

「……あー、お腹空いたなぁ」

 シャッターの閉まった商店街を通りながら、朝から何も食べていないことを思い出した。

 人間とは不思議なもので、今まで全然気にならなかったことが、一度それを意識し始めると途端にそのことしか考えられなくなってしまう。

「……でも、戻れないしなぁ」

 僕は一週間前、家出してここにやってきた。家出の理由? まあ、ありきたりな感じだ、うん。両親の不仲で家を飛び出して……そこまでは良かった。こっそり持ちだした今年のお年玉を手に、電車に乗った。とにかく遠くに行きたかった。終点に着いたら、また一番遠くへ行けそうな電車へ乗る。その不毛な行為の繰り返しで手に入れたのが、どこかわからない場所へ来た、というこの状況と、猛烈な空腹感。我ながら情けない。

「とりあえず、公園を探さないと……」

 何も食べないでいてもある程度は生きられるけど、水分を補給しなければすぐに死んじゃうって聞いたことがある。あくまで僕は家出少年だ。自殺願望者じゃない。

「あー、君? こんな夜遅くに何してるんだい?」

「え? あ、えっと」

 ふと前を見ると、懐中電灯を持った警察の人が声をかけてきた。

 警察の人は、悪い人を逮捕するためにパトロールしている。今の僕は家出少年。

 家では悪いことだ。と、言うことは?

(まずい、逮捕される!)

「近頃は物騒だから、一人でいるのは危ないぞ?」

「だ、大丈夫なんで、じゃあ僕行きますね」

「おい、ちょっと!」

 とにかく逃げようと後ろを向いて走りだした瞬間、何か柔らかいものにぶつかった。

「うわあっ!」

「……大丈夫?」

 上を向くと、長い髪が目に入った。

「君、この子の保護者?」

 警察の人は、ちょっぴり疑ったような目でその女の人を見た。

(頼む、話を合わせてくれ……!)

「……………………ソウデス」

 僕の願いが届いたのか、髪の長い女の人は、明らかに棒読みでそう言った。

「……ふーん。この辺近頃物騒だからね。きちんとお子さんを見ててよ?」

「ワカリマシタ」

 警察の人は、そうお姉さんに注意すると、パトロールに戻っていった。

 残されたのは、棒読みで嘘をついたお姉さんと、突然のことに呆然としている僕。

「……………………」

「……………………」

 ……沈黙が、とても気まずい。

(でも助けてもらったんだから、きちんとお礼を言わなきゃ)

「あの! ありが(グギュルルルル……)」

「……………………」

 お礼の言葉より先に、僕のお腹が悲鳴を上げた。

「す、すみません!」

 なにもこのタイミングで……。自分の腹を思わず睨みつけてしまう。

 再び、沈黙が続く。それを破ったのは、お姉さんのさっきより優しい声だった。

「ちょうど良かったわ。ついてきて」

 そう言うとお姉さんはツカツカと歩き出した。僕は何も考えられずに、ただそのヒールの乾いた音とすらっとした大きな背中についていくしかなかった。




 やがてお姉さんはある一軒の店の前で止まった。

「ここは…………牛丼屋?」

「ええ、そうよ? ……もしかして、君、ベジタリアンだった?」

「いえ、そんなことはないんですけど……」

 正直、目の前にいるパンツルックがよく似合う綺麗な女の人と、この牛丼屋が、どうにもミスマッチに感じてしまう。役不足、っていうんだっけ。

「さ、行くわよ」

「は、はい」

 店の中には、お客さんはほぼいなかった。まあ、夜が遅いし当然なんだけど。

 二人でカウンターの席に座る。お姉さんはメニューを一瞥したあと、僕に渡した。

「好きなもの頼みなさい、お金のことは気にしなくていいから」

「で、でも……」

「いいから」

「じゃ、じゃあお姉さんと同じやつをお願いします」

「わかったわ。……すみませーん、牛丼、特盛つゆだく、ネギ玉子トッピングで二つ」

「アリガトウゴザイマース」

 …………今、特盛って言ったのか?

「私、結構大食いなのよね」

 そう言って、お姉さんは少し照れくさそうにニコッと微笑んだ。


「オマタセシマシター」

 5分くらい経って、店員が湯気の立つ大きな丼を二つ運んできた。牛肉と玉ねぎがこんもりと盛られたそれは、空腹もあいまってすごいご馳走に感じた。

「はい、ネギと卵よ、好きなようにして食べなさい」

 お姉さんはそれらが入った小鉢を二つこっちによこしたと思うと、テキパキと自分の卵を割り始めた。卵の殻を使ってうまく黄身だけを取り出して、白身をネギと少しの醤油と混ぜあわせ、牛肉の上にかける。それから取っておいた黄身を肉の上に作った窪みに落とす。すっかり手慣れた感じだった。

「ほら、見てばっかいないで、食べなさい」

「は、はい!」

 端でよく煮えた牛肉とタレの染みたご飯を箸で一気にかきこむ。

「…………はぁぁ、生き返る……」

 空腹は最大の調味料というが、本当にそのとおりだった。今まで食べた牛丼の中で一番おいしい。空きっ腹に、ガツンと来る感じ。

 こうなるともう止まらない。僕はすぐ二口目を口にしようと箸を動かそうとする。

「ネギ卵、使わないの?」

 お姉さんの声でふと我に返る。せっかくお姉さんが薦めてくれたんだから、使わなきゃ申し訳ない。そう思った僕は慣れない手つきで卵を割ろうとする。

「そうね、せっかくだから私とは違う食べ方で食べてみなさい」

「えっ?」

「だって、全部私と同じ食べ方だとつまらないじゃない? 私、結構他人の食べ方に興味があるの」

(そんな無茶苦茶な……)

 でも、食べさせてもらっている身としては、無視するわけには行かない。僕は少し考えた後、黄身と白身と分けずに小鉢へ割った。そのまま一緒にかき混ぜる。

「……ふぅん」

 お姉さんがこっちをジーっと見てくるのでちょっとこそばゆい。

 一通り混ぜ終わったら、牛丼の肉の部分を箸でつかみ、そのまま溶いた卵につける。そうしたら肉を広げて醤油を垂らしたネギを包んで食べる。

「……………………」

 すき焼きを食べた時みたいにしてみたんだけど、案外悪くない。肉と卵、それとシャキシャキしたネギがなんとなく、いい感じ。具体的には言えないけど。

 恐る恐るお姉さんの顔を見ると。

「なるほど……面白いわ、それ」

 どうやら満足してもらえたようだ。ちょっぴりうれしい。僕はお茶を飲んだ後、もう一度丼を手に持ち……

「すみませーん、牛丼、並盛つゆだくでネギ卵トッピングで」

「オモチカエリデスカー?」

「いえ、ここで食べるわ」

「…………は?」

 さっとお姉さんの丼を覗くと、そこには米粒一つすら残っていなかった。

 その後、僕のやった食べ方でさらっと2杯目も完食した彼女はこう言った。

「腹八分目がちょうどいいのよ」

 ……それだけ食べてまだ腹八分目って、一体細い体のどこに入ってるんだろう?




 店を出ると、街灯もちらほらと消え始めるくらいの時間だった。楽しい時間は終わり、再び現実が戻ってくる。それでも、きちんとお礼は言わなければならない。

「あの、ありがとうございました! この恩はずっと忘れません!」

 そう言って深々と頭を下げた後にお姉さんの顔を見ると、お姉さんはちょっと変な顔をしていた。

 そう、それはおもちゃを見つけた無邪気な子どものような笑顔で……

「キミ、タダより高いものはない、って言葉知ってる?」

「……………………はい」

 ああ、やっぱりそうそううまい話なんてないんだ。

「それ相応のことはしてもらわないと、ね」

 これから、僕は一体どうなってしまうのだろう。どこかに売られるんだろうか……

「今日からキミは……」


『私と一緒にご飯を食べること!』


「…………はい?」

 言葉の意味がわからない。ご飯を食べる?

「キミ、結構食べっぷり良かったし。こう見えても私、独り身なの。彼氏もいた事ないし。正真正銘のヴァージン」

「……へ、へえ。そうなんですか」

「だから、なんていうか、人のぬくもりが欲しいっていうか……」

「はあ」

 心なしか、お姉さんの顔が赤くなったような……?

「とにかく! キミは私の家に来て、一緒にご飯を食べるの。ただそれだけ」

 やっと理解できた。つまりお姉さんは、誰かと一緒にいたいのだ。

「ああ、言っておくけどキミに拒否権はないから」

「……はい、分かりました」


 こうして僕は、お姉さんに拾われた。

 でも、この時僕は何も知らなかった。このお姉さんがどれだけすごい人で、どれだけ自分が幸せな存在で、どれだけいろんなことが起こるのかを。


 ただひとつ言えるのは、ネギ玉牛丼は、普通に食べても工夫して食べてもおいしい、ということだ。

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