メディエータ Ⅲ
有智子
1
最近、どうも周囲の様子がおかしい。
久しぶりに会った友達からは「やせた?」「化粧品変えた?」「男できた?」と大抵聞かれるし(その三つのうち一つたりとも当たってない)、以前の同僚からは「なんだか黒江さん、輝いてますね!仕事合ってるんでしょうね~!」って言われるし、何も輝いてないし化粧品も買い替えてないし何も変化していないし喫煙量も変わらないし仕事もそれなりだし休日は家で撮りためたドラマと映画を消化して寝てコンビニで買ったご飯を食べている。
のだが、時々アダムから「暇だったら飯行かない?」ってメールが、以前休日出勤の後雨に降られてカフェで時間を潰したことがあって、それ以来入るようになり、特に断る理由も無いので車出す旨を伝えたら、「いや、迎えにいく」の返信の十分後には到着の電話が入るところを見るにどこかへ出かけた帰りに自分に連絡とっているのだろうと思うとそれはそれで結構都合がいい女なのかもしれないな、と思いながら、ユニクロで買った服ではなくてユナイテッドアローズのちょっといいなと思って買ったニットを着て助手席に座った後仕事だろうがプライベートだろうが口調の変わらないアダムの他愛ない話に相槌を打っておいしいご飯を食べて帰ってきてまた週明けに仕事に行って、そういう合間に依頼がきて職務をこなして帰ってきて、休日はご飯だけそうやって誘われて時々出かけて、この間はよさげな中華のお店に行ってめちゃくちゃ美味しい小籠包に絶句していたら「この店、ほらゴールデンウィークに仕事入って行き損ねた台湾の小籠包の店の姉妹店なんだけどめちゃくちゃ美味しいよね、クロエに絶対食べさせようと思ってたんだ」ってニヤ
「ってそれは普通にデートなのでは?」
「……いや?単にご飯を」
「職場の同僚のイケメン男性にご飯に誘われてよさげな中華キメてるのは既にデートなのでは?」
「いや……手近な人間をたまたま選んだだけだと」
「園子!認めなよ!それはデートだよ!どう考えてもデートだよ!?」
「いやいやいや」
一番の友達、というものが誰しも一人はいるとして、それは私にとっては今目の前で目を輝かせて身を乗り出している大学時代の友人だった。
アダムとのことを軽い気持ちで人に話すと、大体こういうリアクションが返ってくるのでもう喋るのは当たり障りのないことだけにしよう……と思いながら運ばれてきたコーヒーに口をつける。砂糖やミルクを入れるのが面倒くさくていつもブラックのままだ。それに、昔は砂糖すら入れられなかったと嘆いていたあの日の彼を思い出す。
「…………」
「園子」
「はい」
「会話の途中で物思いに耽るなんて本当に園子らしくないから。それは完璧にホの字だよ。大学時代から一度たりともそんな園子見たことないよわたしは」
「いや~~それは楓が見てないだけで、というかホの字ってだいぶ古くない?」
「もう告白しちゃいなよユー!」
「ノリが軽くない?」
「しょうみな話それだけデートしといて相手も園子のことどうでもよく思ってるってことないでしょ。なんかさ……やっぱ園子に守られてるのにときめいた♡とかそういうのあるんじゃない?」
「いやいやいや」
「わたしも園子のことは正直そこらの男よりよっぽどかっこいいと思ってるからね」
「いやいや……え?あ、ありがと……はは……」
という会話をした翌日に、普段まったく見慣れないスーツ姿で現れたアダムが<境界>の本部へ行くからついでにいろいろ案内する、と言ってくれたのは、おそらく私が以前<境界>のことをろくに知らないと言っていたからなのだと思うが、内心ではかなり動揺していた。
<境界>。
この世のあらゆる複雑怪奇を収拾する、という名目の極秘機関。
そこに所属している
「本部?」
「たぶんクロエが<境界>に入った時も本部じゃなくて支部だったと思うんだけど、本部はほんとに上のお偉いさんとか、<境界>の能力者の中でも各部門の人々が集まってるところだから、全容がつかみやすいと思って。うちの支部はメディエータに特化してるから」
車を目的地近くのコインパーキングに止めて、並んで歩き始めた。複数フロアをぶち抜きにしているというその<境界>の本部は、都心の目抜き通りのど真ん中にあるビルで、一階にはきらびやかな高級車の展示場が入っている。目元を覆う大きなサングラスを外してガラス張りのビルの入り口から広いエレベーターホールに入り、上階へのボタンを押す。なんとなく沈黙したままで、どんどん上がっていく階数の表示を二人して眺めていた。控えめに到着を知らせるチャイムが鳴って、ドアが開く。
「あんまり本部へ行くことないわよね?」
「そうそう、支部で事足りるからさ。でも今日は年一の報告と会議に出なきゃいけないから、一時間くらい待たせるけどいい?ごめん」
「いや別に……」
「その間、クロエと」
「ギルモア?」
エレベーターから出て歩いている途中で、不意にアダムを呼ぶ低い声がした。
「斑目さん」
名前を呼んだ男を見た瞬間、アダムの顔がほんのわずか曇った。落ち着いた濃い灰色の上品なスーツ。アダムよりはおそらく一回り近く年上の男性だった。整った顔をしているし穏やかな笑みを浮かべているが、瘦せていて、どことなく冷たい印象を受ける。
「ギルモア。久しぶりだな」
「ご無沙汰してます」
「なぜこちらに?メディエータを辞めてデシメータに転向する気になったとか」
「目をかけていただいて光栄ですが、残念ながら予定はありませんね。今日は会議です」
「そうか。君の才能は、こちら側の方が十分活かせると思うけれどね。気が向いたらいつでも来たまえ。歓迎するよ」
「どうも」
一瞬沸き起こった不穏な雰囲気が、さっと離れていく。アダムは反対方向へ歩いていく男性を確かめもせずに背を向けて、再び歩き始めた。
「アダム、デシメータって……」
「俺と逆のことしてる人々のこと」
アダムが飄々として答えた。
「大体名前がよくないと思わない?
「へえ」
「さっきの人は
彼は眉を寄せて、うんざりした表情で肩をすくめた。
アダムの仕事は、
「俺にとっては、消してそれでおしまいってことは何もないよ」
こういったおよそ目に見えないものを相手にする仕事のことは、残念ながら実感として彼に共感できることはおそらくないだろう。それでも、彼が信念をもって仕事していることは言葉の端々から伝わってきた。
「あ、で話の続きだけど。会議の間、ここにいるメディエータに」
「アダム~~!」
可愛らしい声と共にすごい勢いでアダムに突進してきた何者かのボディブローを受けて、つぶれたカエルみたいにアダムが低く呻いた。そのやや小さな人影は、そのままアダムの腰に腕を回して密着している。
「真理子……離れろ。じゃれるな鬱陶しい」
「え~~ちょう久しぶりじゃん!ちょう久しぶりじゃんここで会うの!スーツじゃん!スーツ姿一年ぶりじゃんキメキメなのヤバい~!」
「うるさい」
一年ぶりなのか……と思いつつ確かにスーツ姿は普段とのギャップがヤバかったことを心中で共感した。
「クロエ、今言ってたメディエータがこいつ。ほんと初対面からうるさくて申し訳ないけど一時間くらいむしろこいつ預かっておいて。でいろいろ聞いて。ほら自己紹介して」
「はじめまして~
彼女は明るく染めた髪をふわりとしたショートボブにして、片側を耳にかけていた。耳朶にシンプルな金のピアス。ネコ科っぽいアーモンド形の瞳を細めて笑った。アダムもそうだが、モデルか芸能人でもおかしくないくらい整った顔の女性である。
「どうも。助手の黒江です」
「アダムが一階級あがって助手がついたのは知ってたけどちょうかっこいいお姉さんじゃん……!」
「クロエ、気にしなくていいから。真理子は同期のメディエータなんだ」
「です!よろしくお願いします~!」
「もう時間ギリギリだから行ってくる!真理子ほんとお前失礼なことすんなよ」
「あい!」
彼女は元気のいい返事とともに敬礼して、足早に去っていくアダムを見送った。彼が角を曲がって見えなくなると、くるりと向きなおって、さて、では本部をご案内します~!と言って彼女がついてくるよう促した。
スーツ姿の男性が多い中で、東雲真理子はカジュアルなキャメルのロングスカートに、白のざっくりしたニットを着ていた。ゆるいスタイルだが、手首や足首から線の細さがよくわかる。天真爛漫なキャラクターらしく、<境界>の説明の合間にも冗談をいって笑わせてくれた。
「<境界>の能力者は本当にざっくり大きくわけて、仲介のメディエータ、退治専門のデシメータがあります。その中でもメディエータ寄りのデシメータもいますし、デシメータ寄りのメディエータもいますが、本人の性質によって使える能力が変わるので、どっち向きかな~ってところで本当にざっくり分けたのみですね。例えばわたしはメディエータですけど、後方支援っていうか、アダムみたいに積極的媒介はできないんです。なんていうのかな~予防線を張るとか。これ以上状況が悪化しないようにあらかじめ対策しておくとか、そういうのがメイン。だし、アダムみたいに怪異寄りじゃなくて、人間寄りです。対人向けの術が多くて」
「そうなんですね。アダムしか会ったことないので、みんなそんな感じかと思ってました」
「いやー!アダムは本当に特別ですよ!あんな万能な人そういません。彼はなんでもできちゃうし、いろんなものに触れるから、あれもこれも頼めるなら頼みたい!って人がいっぱいいるんです」
一級一級とことあるごとに聞いてはいたものの、純粋な第三者の目線でそう聞くとちょっと見る目が変わりそうだなという気がした。何しろ何をやっているのか自分にはその価値が全くわからないので、比較のしようがないのだ。
それからフロアの区分けを紹介してもらって歩き回っているうちにあっという間に時間が経って、アダムから連絡が来たので元の場所で集合することにした。途中、お手洗いいいですか?と彼女に聞かれたので寄っていくことにする。
無人の洗面所で手を洗う。以外にも間接照明が多くて、昼間なのにそれほど明るくないのが以外だった。こんな綺麗なビルなのに、節電でもしているのかと思いながらハンカチを探っていると、不意に後ろから声をかけられた。
「黒江さん」
東雲真理子が、壁に体を預けて立っている。先ほどと何も変わらない笑顔なのに、一気に神経が冴えわたる。それは半分勘みたいなものだった。ずっと銃を握ってきて得た、一種の。
「何か」
「黒江さん、アダムのことどう思ってるの?」
質問の意図がわからず、思わず胸元に手をやる。
「どう」
「ただの護衛さんにしてはアダムが気に入ってるみたいだったから、あなたはどういうつもりなんだろうと思って」
「はあ……」
「ねえ黒江さん、あなたはなんにも見えないんでしょ?」
なにも?
「あなたがアダムに求められてるのは、護衛として、物理的に守ってもらいたいってところだけ。彼の溝は深いし、好きになったって、生きてる文脈が違うんだから、どうせ破局する」
「あの」
「アダムは優しいから。親しみやすいあの上っ面だけ見て好きになったって無駄です」
「ちょっと待ってください。そういう意味で彼のことを見たことはありません。あくまで仕事上の……」
「アダムを取らないで。ね?」
「あの……」
「諦めてください、黒江さん」
カチリ、と何かが嵌ったような音がした。
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