ひゃっこい

雨宮究夢

おいしそうな話

第1話 ひややっこ



「うー、ひゃっこい!」



隣を歩く秋穂が白い息とともに言葉を吐く。



ダッフルコートを着た背中を丸めてマフラーで首をグルグルにして、


せっかくの美人が台無しなほどダボダボでゆるゆるな恰好がなんとも彼女らしい。



もっとも今は真っ暗でその美人もよく見えないが。



「冷っこいって京都の方言だっけ?」


「んーん、違うよ。」



横に並んで歩く。秋穂に遅れないように少し小走り。


追いついて、歩いて。しばらくしたらまた小走りして、歩いて。



「歩くのはやい?」


「そんなことないよ。」



彼女は背が164センチと高く、また髪も肩の後ろまで長くって、


髪の毛をマフラーで巻き込んでいるのでもこもこしてて、それが何ともだらしなくって、かわいかった。



「どこだろ…茨城だったかなぁ?」


「へー、茨城なん?かわいらしくてええなぁ。」



私たちは大学生。大学というのは日本中から色んな人が来るもので、(たまに外国の人もよく見るけど。)そのいろんな人たちと共に生活していると、その人の口癖なんかが似てくるものだ。



秋穂なんて京都出身だったんにこの一年で流暢な標準語をしゃべれるようになった。


かくいう私も関東出身だったのに今ではエセ関西弁をしゃべるようになった。


まったく環境というのは恐ろしいものだ。



「あーあ、月見たかったなー。」


「そうねー。残念やね。」



そう、今日は2016年11月14日。


日本各地でスーパームーンが見れる予定だった。



この厚い雲さえなければ。



「見れないってわかってたんだからこなけりゃよかったーもー寒い!」


「さむい?」


「ひゃっこいっ!」



天文に詳しいのは秋穂のほうだ。宇宙好きはこのスーパームーンをどれほど楽しみにしていただろうか。


彼女を誘ったのは私の方。天文クラスタではないが、テレビやネットで多少話題になったので食いついただけのミーハーだ。



「…なあなあ?」


「んー?」



「あのなー、ひゃっこいって聞くと、お豆腐食べたくならん?」


「はぁ?…あぁ、ひややっこね。」



「そうそう、それ。ひややっこ。」


「この寒いときに何言ってんのよ。てかあんたのそのしゃべり方なおしてあげたい。ちょっとうざい。」



多分ジト目でにらまれてるんだろう。そんな隣の彼女の顔が見れないくらい夜は真っ暗だった。


少しは空がきれいに見えるようにと街灯のほとんど無いところまで歩いてきたんだけど、それも杞憂。そもそも星の一つも見えないのだ。



「ねぇねぇ。」


「なあに?」


「えいっ!」



秋穂が私のほっぺたをつねる。



「ひゃっ! ちょっ、冷たい!」


「あははー、冷やっこいだろー!」



零度の手、なんて言っても過言ではなかった。氷、とまではいわないが、冷えた石をほほに押し付けられたかと思った。


彼女は冷え性だ。対して私は体温がめちゃ高い。決して太ってるとかそんなんじゃないよほんとだよ?



「なにするん!手冷たすぎやろ、手袋わすれたん?」


「いや、今あんたに触るために外したのー。」



「姉さんほんと冷たいなー。ひややっこかっ!」


「ひややっこ?」



「ひややっこって冷たい奴って書くやん?これからお前の事ひややっこって呼ぶわ。」


「いいよ。やっこさんって呼んでくれ。」



「やっこはんだとかわいすぎやあらへん?」


「あ、今の言い方京言葉っぽかったよ。」



「ふふ、ほんま?うれしいわぁ。」


「あー、今のはエセ関西弁に戻った。」



こんな他愛もない会話が妙にいとおしくって、帰路までの遠い道のりがあっという間に感じる。



手が冷たいと心があったかいなんて言うもんだ。


そんなの手が冷たい奴が勝手に言い出したことだろ、なんて暑がりの私は思ってた。


まぁ手があったかい私の心はもっとあったかいんだがな。



秋穂の心はあったかかった。それだけじゃない。一緒にいる私の心もあったかくしてくれる。



「ねぇ、」


「なあに、」



「寒い。」


「ひゃっこいの?」



「うん、ひゃっこい」


「うん。」



「・・・」


「・・・」



「だから、寒いって言ってんのよ。」


「そうやね。だから早く帰ろ?」



「そうじゃなくってさぁ。うー、手が寒いの!」


「ほっぺたさわらせんよ?」



「そうじゃなくってー!もー!」



秋穂が私の体の前に手を伸ばす。


いつの間にか歩幅が合っていた。



「…手、つないでよ。」


「…あぁ、はいはい。」



彼女の手を握る。



「あったか~い。」


「冷たいっ。」



「ごめんね、冷たくて。」


「いや、いいよ。あったまって。」



秋穂は天文大好きだ。冬の空もよく見ているはず。


だってそうだろう。見た目も気にせず、冬の夜の寒さ対策は万全にこなしてきている。



・・・なのに何で手ぶくろをしてこなかったんだろう。



「えいっ」



気付くと彼女は握りしめてた手をカップル結びして腕組してさらに私の肩に体を預けていた。



「ちょっと、重たい。」


「いいじゃん寒いんだから。」



「もー、早く帰ろ?」


「うん。」



…今日が曇り空でよかったかな。





だって、赤くなった私の耳が見られなくて済んだから。





寒空の帰路。




同じ歩幅で歩を進める。




夜が更けていく。


















「・・・来年、また見に来よ?」


「・・・来年はスーパームーン来ないわよ。」

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