第184話 オルフェウス家の日常

 

 モネは一人、オルフェウス家の厨房でアトラの食事の用意をしながら物思いに耽っていた。


(屋敷に来てから5日……結局キース様は一度も帰って来ていないな)


 屋敷内の構造は既に大凡把握している。

 当然のことながらキースの執務室には鍵が掛かっていた。

 それ以外には、何やら地下室が存在しているようなのだが、そちらも普段は厳重に立ち入りが禁止されているらしい。


(忍び込めなくもないけど……)


 鍵が掛かっている上に結界の類も仕込まれているが、モネの実力を持ってすれば、それらを解除する事は不可能ではない。


(もしも秘宝というのが実在するならば……)


 恐らくはあの地下の先だろう。

 とはいえ、侵入するとなれば誰かに見られる恐れもある。予期せぬ罠が張り巡らされているかもしれない。

 屋敷内の掃除をすると見せかけて色々と探ってみてはいるが、まだ屋敷内の全てを調べ回った訳でもない。

 これ以上の策が無くなる、という状況でも無ければ、あまりリスクを冒したくは無かった。強硬手段に出るのは最終手段だ。

 何かの痕跡を残してしまう事があれば、もしも彼が敵で無かった場合に余計な波風を立ててしまうことになるだろう。


 しかしながら準備をしておく事には意味がある。


(いざとなれば……)


 あの地下室の結界を解除する。

 その為の術式の準備だけは少しずつ始めていた。


 今の所は屋敷内で話を聞く限り、キース=オルフェウスの今後の方針などについて、存じている人間はいない。

 自分の家の使用人達にも己の心を打ち明けてはいないようであった。


(リィルからの連絡によれば、まだメフィルお嬢様は見つかっていない……)


 焦る気持ちも当然あるが、それにしたって自分が無闇に動くのは愚策。

 それこそディルに何度も何度も念を押された。

 今は頼りになる紅牙騎士団の仲間達を信じ、キース=オルフェウスの屋敷を調べるのが自分のやるべき仕事だ。

 だが流石にいつまでもキースの不在、進展の見込めない現状が続くようであれば、多少は強硬手段に出る事も考えなくてはならないだろう。


(それにしても……)


 オルフェウス家の使用人達のアトラに対する態度にモネは憤っていた。

 元々呪われている、という噂が蔓延しており、実際に被害者も出ているのが影響しているのだろう。

 皆、アトラに対して冷たかった。

 本当に主従関係なのかと疑いたくなるような陰口だっていくつも聞いた。

 彼女と仲良く接しようとするモネに対する嘲笑だって耳に入って来る。


 ファウグストス家では有り得なかったことだ。

 この屋敷内には、彼女の事を家族だと思っている人間など一人も居ないに違いない。

 それだけではなく、心の内では彼女の事を誰もが恐れている様な気がする。


(だとしても、酷いよ)


 アトラはまだ7歳だ。

 幼少期に母親を病気で失い、父親は忙しくて中々家に帰って来る事が出来ず、呪いの噂のせいで友人もおらず、挙句の果てには屋敷内でも孤立している。

 彼女が唯一心を許しているのは、インコのクルちゃんだけだ。


(呪いだなんて)


 少なくとも今の所、モネには何も起きていない。

 アトラ=オルフェウスは普通の少女だ。

 それも悲しい環境に必死に耐え、我慢する事の出来る優しい女の子だ。

 甘えたい盛りだろうに、アトラは懸命に強がって微笑んで見せる。

 そんな一生懸命に耐え忍ぶ強い姿が、モネの中で少しだけメフィルと重なった。


(せめて……僕だけでも……)


 自分はミストリア王国に属する人間であり、目的はキース=オルフェウスを調査する事だ。

 アトラの従者は仮初めの姿。

 これから先、モネがずっとアトラの傍に居る事は出来ないだろう。


 だが、今だけは。

 自分はアトラの従者なのだ。


(もしも調査の結果……キース=オルフェウスがレオナルドに与する人間だったとしても)


 自分だけは……アトラの味方で居てあげよう。



 例え――オルフェウス家が紅牙騎士団の敵だったとしても。



「……」


(アトラお嬢様には――罪は無い)


 と、そこでコソコソと足音を忍ばせながら歩み寄って来る人影が、そっと厨房の扉を開く気配を感じた。


「あ、モネっ!」


 振り返れば案の定。

 屋敷の他の使用人達が寝静まっている時間であるにも関わらず。

 早起きの得意なモネの小さなご主人様が微笑んでいた。


「おはようございます、アトラお嬢様」

「おはようっ。ねぇねぇ、今日の朝ごはんは何?」

「今日はベリーソースを作ってみました。パンの他にはベーコンと冬野菜のサラダ。後はコンソメベースのスープです」

「はぁ~……いい匂い」

「ふふっ。もう少しで出来ますので、もう少しだけお待ちくださいね」

「はぁ~いっ」


 元気良く返事をしたアトラは、


「あっ! じゃあこれもう準備しておくね!」


 お皿とカップを持って食堂へと歩み始める。


「あぁっ、そんなお嬢様……私がやりますよっ!」

「いいのよ! どうせ暇だしね!」


 ニコニコと楽しそうに食器を運ぶ少女の後ろ姿を、モネは目を細めて見送った。




    ☆   ☆   ☆




「あれ、モネ? どこかへ出かけるの?」

「あ、アトラお嬢様。どうかなさいましたか?」


 夕暮れ時にアトラが玄関ホールの辺りを歩いていると、コートを羽織ったモネの姿を見つけたのだ。


「い、いや、別に」


 以前までのアトラは自室に篭っている事が多かったのだが、最近になって、よく部屋から出て来るようになった。

 その主な理由は、自分の従者を探している事がほとんどであったが。


「アトラお嬢様が何か御用があるのでしたら、承りますよ」


 そう感じの良い笑顔で告げるモネ。


「う、うん、と。モネはその、どこへ行こうとしていたの?」


 とはいえアトラには特別な用が在った訳ではない。

 ただモネに会いたかったから探していただけだ。

 姿を見る限り、従者が出掛ける用意をしていたのは明白だった。


「ふふっ。実は少しばかり、食材の買い出しに出たくて」

「お買い物?」

「はい、そうです」

「ふ、ふぅん」


 前髪の辺りを手でいじりながらアトラはモネを見上げていた。


(あ……)


 物欲しそうに自分を見上げるアトラを見つめつつ、モネは内心で苦笑した。


(ひょっとして……)


 ファウグストス邸では、いつもイリーがこんな表情でモネの事を見上げていたものだ。

 何かを強請るような顔。

 子供らしい感情を表出させたアトラにモネは微笑みかける。


「一緒にお買い物に出かけますか?」

「えっ。いいの?」


 たちまち笑顔が浮かぶ。

 待ち望んでいた答えが得られたのか、アトラはとっても嬉しそうだ。

 モネの考えはどうやら的を得ていたようだった。


「はい。私も一人で出掛けるよりは誰かと一緒の方が楽しいですし。アトラお嬢様であれば尚更です」

「あっ。じゃ、じゃあちょっとだけ待っててねっ」

「コートを忘れない様に為さってください。外は寒いですから」

「う、うんっ!」


 とたたたっ、と駆け足で去って行くアトラを見送るモネ。

 そんな彼女を咎めるような視線で見つめている使用人の姿が在った。

 モネの記憶が確かならば、彼女の名前はナーゼ。

 20代半ばの彼女はまだまだ若々しく、モネと同じように帝国に多いブラウンの髪を首元で纏めている。

 視線は鋭いが威圧感が在る訳では無く、市井の若者達に混じっていても違和感が無いだろう。

 ナーゼはそっとモネの傍に近寄ると言った。


「ちょっと……勝手な真似は止めてよね」


 如何にも面倒くさそうな声色だ。


「アトラお嬢様の外出の際には最低でも二人以上の使用人が傍に侍る事になってるのよ」

「え? そうなのですか?」


 全く知らなかったモネは当惑しつつ、目の前の彼女の瞳をまじまじと見た。

 

「こんな寒い中……誰が進んで外に出たがるのよ」

「こ、困りました……」


 モネはオルフェウスの屋敷内では、まだそれほど仲の良い人がいない。

 とりわけアトラの事を厭う人々の多いこの場所では、モネも孤立しがちであった。


「はぁ……」


 大きな大きな溜息を吐きつつ、ナーゼは呟いた。

 手の甲を額に宛がい、眉を顰める。


「面倒くさいなぁ……」


 その声には「しょうがないなぁ」という響きが在った。


「え? ナーゼさん御一緒して下さるのですか?」

「一応アトラお嬢様は主人の娘だから……私達の都合で外出を止めさせる訳にはいかないでしょ。見ちゃった以上はしょうがない」


 彼女は後頭部を掻きながら、窓の外に目を向ける。


「うわ、寒そう……私もコート持って来なきゃ」

「あ、ありがとうございます、ナーゼさん」

「まぁ、いいって。私もちょっと外で買いたい物あったし」


 ただし。


「アトラお嬢様の付き人として外出したくはなかったけど……」


 ナーゼは正直にそう言った。


「それは……」

「……あの子の呪いは本物だよ。何度もこの目で見た。私は幸いにして被害に遭った事は無いけどね」

「……」

「最近はアトラお嬢様も楽しそうなものね。貴女がいるからでしょうけど」


 険のある言い方でナーゼは呟いた。


「そのようなこと……」

「貴女は怖くないの? アトラお嬢様の噂は知っているのでしょう?」

「呪いだなんて……俄には信じられません」

「ふぅん。まぁ、アトラお嬢様付きの使用人は皆そう言うんだよ。最初はね」

「み、皆さまは故意にアトラお嬢様を避けておられるのですか?」


 少しばかり浅慮な問いかけだという自覚は在ったが、モネは思わず尋ねていた。

 アトラ自身はとても優しく、性格の良い少女だ。

 人格的な面を考えれば、周囲の人々が彼女を嫌う理由など無いように思われた。


「そうだよ?」


 対するナーゼはあっけらかんとしたものである。


「あの子に気に入られて……いつでも傍に居られるようになったら……常に呪いの恐怖に怯える事になるじゃない?」

「っ! そ、そんな……」

「言っておくけど私だけじゃないよ、そう思ってるの。屋敷の全員がそう思ってる」


 モネも薄々とは気付いていた。

 しかしそれでも屋敷の使用人から直接言われるのは……やはりショックが大きかった。


「貴女はどれだけの期間、持つのかしらね?」

「っ!」


 それだけを告げてナーゼはそそくさと部屋へと上着を取りに戻って行った。


「……」


 胸に去来する得も言えない感覚。


(屋敷の人達にとって……アトラお嬢様と出掛けるだけでも……嫌な仕事なんだ……)


 一層の寂しさと悲しさを覚えたモネは、一人玄関ホールでアトラとナーゼが来るのを待っていた。


 そして。


(僕もまた……)


 ずっと傍に居る事は出来ない。


 そんな事実がひどく無責任で残酷で、アトラに対する名状しがたい罪悪感となって胸に圧し掛かって来た。

 窓を見つめると、そこには強張った顔で佇む己の姿。


(いけない……)


 このような情けない顔をしていたらアトラを心配させてしまうかもしれない。


「あはっ」


 無理矢理に窓に向かって笑顔を作る。

 きっと……この屋敷の中ではせめて自分が笑ってあげなくてはいけないのだ。

 

「何してんの、貴女?」

「うっ……」


 いち早く戻って来たナーゼに見られて、耳まで赤く染め上げたのは内緒である。





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