間話 嵐の前の

 

 ひっそりと静まり返る闇夜の中。

 薄暗い廊下を一人の女性が足音も無く歩んでいた。

 警備を担当している筈の男は意識を失い、眠りこんでいる。


 ここはミストリア王国の幽閉所。

 捕えられた犯罪者達が罪に見合った罰を受ける場所だ。


「久しぶりね」


 女は特別厳重な扉の前で立ち止まり、牢屋の中の男に声を掛けた。


「……君か」


 対する男――ゴーシュ=オーガスタスは、軽く視線を上げる。


「貴方が負けてしまった事は残念だったわ」

「よく言う。本心ではどちらでも良いと思っていたのだろう?」

「いいえ。そんな事はない。私は貴方に期待していたわ」

「……」


 無言でゴーシュは女の顔に目を向けた。

 しかし対峙する女は能面のような面をかぶっており、その素顔を窺う事は出来ない。

 目深に被ったフードの隙間から、長い銀髪が微かに覗くのみ。

 よくよく耳を澄まさねば聞き取れぬほどの、か細い声。

 それがゴーシュが知っている女の唯一の特徴であった。


 いや、そもそも。


「どうやって、この場所まで入って来た?」


 今の幽閉所の警備を担当しているのは内軍ではない。

 緊急措置としてカナリアが手配したオードリー大将軍の精鋭騎士が守りに付いている筈だ。


(静か過ぎる……)


 常日頃から音が絶えぬ訳ではないが、それにしても異常な静寂だった。

 何一つとして音のしない世界の中で、女とゴーシュの声だけが響き渡る。


「警備の者はどうした?」


 しかしゴーシュの問いには答える事無く、女は楽しそうに笑った。


「あははっ」


 とりわけ女は特別な迫力が在る訳ではない。

 マリンダ=サザーランドのような覇気も、イゾルデのような殺気も感じない。

 不気味、と言う訳でもなく、かといって友好的でも無い。


(掴み所が無い……)


 それが数度しか会っていないゴーシュが女に抱いている印象であった。


「結局、貴方は私の『知識』を必要としなかったわね?」


 ゴーシュの問いかけは無視して女は話を続ける。

 対するゴーシュは女の腹積もりを見定めようとしつつ答えた。


「……出所の不明な物を信用しよう、等とは思わん」

「でも貴方は私の与えた知識の一端をベルモント=ジャファーを使って実験し、有用性を確認したと思うのだけれど?」


 歌うように話す女に対してゴーシュはどこまでも冷静に言葉を返す。


「……酸素欠乏症、とやらの話か?」

「ベルモントの力を補強する、そんな事を言って貴方は奴に知識を与えたけれど、実際には私の言葉を確かめたかっただけでしょう?」

「……」


 僅かばかり沈黙したゴーシュであったが、すぐに彼は小馬鹿にする様に続けた。


「……確かに聞いた事も無い、面白い話ではあったからな。隠された秘密兵器、等と言われるよりは理に適った話でも在った」

「あんなものだけじゃない。貴方が望めば、もっと様々な知識を分け与えてあげたのに」


 それは圧倒的に上の立場の者が口にするような傲慢な発言だった。

 

「それだけじゃない。武器だって……」

「知識だけでは無い。お前自身が得体が知れないのでな」


 故に信用出来ない。


「そうして貴方は敗北した」

「……」


 挑発的な言葉であったが、不思議とゴーシュは怒りを感じない。


「ふっ」

「何が可笑しいの?」

「なに。今となっては敗北も悪くは無い」


 強がりでは無い。

 ゴーシュは本心からそう思っていた。


 結局の所、己は王の器ではなかったのだろう。

 今では素直にそう思う事が出来た。


 あれほど憎んでいた貴族達。

 日々蝕まれていく歪んだ感情。


 だが今は――あれほど心の中に巣食っていた邪な感情は微塵も残っていなかった。


「王族の中にも、貴族の中にも。私などよりも相応しい人間がいた」


 他ならぬカナリア=グリモワール=ミストリアのような人間がこの先王国を先導していくというのならば。

 ユリシア=ファウグストスのような強く、正しい貴族がいるのならば。


「私の出番はない」


 腐った貴族共に対する制裁に後悔は無い。

 だが唯一つ。

 己の暴走の最中で犠牲にしてしまった王国民に対しては申し開きの言葉も無い。

 自作自演の策謀の中で命を失った人々、そしてその他にも様々な人間を傷付けた。


 その罪が消え去る事は――永遠に無い。


「あとは罪を償う術を考えるだけだ」


 まるで憑き物が落ちた様にゴーシュは穏やかな表情で呟いた。


「つまらなそうな顔をしているな」

「……ええ。貴方には確かにミストリア王国を手にする力が在り、資格も在ったのに……」

「そんな事を言いに来たのか?」


 まさか女がゴーシュにこのような事を言いに来ただけとは思えない。

 だが、彼の意に反して女は称える様な言葉を口にした。


「……貴方が役に立った事は事実。彼の時間を稼ぐ事が出来たから」

「レオナルド特務官、か」

「あら? フェリスの背後に居る人間に気付いていたのね」

「当然だろう。そこまで愚かではない」

 

 あの時期、あのタイミングで、あそこまでゴーシュに協力的になる人物。

 しかも帝国の宝具ですら持ちだせる人物。そんな人間は限られている。

 ならば、あとは調査をするだけだ。


「貴方の行動の目的は二つだったわね。一つは腐りきった貴族達を排除する事。もう一つは戦乱の世の中を作り出し、人々に命の輝きを取り戻させる事」

「……」

「前者は中途半端になってしまったけれど……後者は安心していいわ」


 その時、顔は見えない筈のゴーシュであったが、確かに女が残酷な光を瞳に宿したように感じられた。



「レオナルドがこの国に戦乱を齎すでしょう」



「……」

「この一年間で彼の準備は整った。もうじき宣戦布告のお触れが出される事になる」


 能面の女は事務報告のように言った。


「どうしてそんな事を知っている? 君は……レオナルドの仲間なのか?」


 ゴーシュの問いかけに女は頭を振った。


「まさか。そんな訳無いじゃない」


 気負い無い語調。

 ゴーシュには彼女が嘘を言っているようには思えなかった。


「君の目的は何なんだ?」

「……」


 ゴーシュやレオナルドのような人間に手を貸し、彼女は一体何を得るのか。



「貴方に教える必要は……無い」



 しかし女は冷めた口調でそう言うに留めた。

 答える気は無いのだろう。


「貴方は失敗してしまったけれど……今度はレオナルドに期待しているわ」


 それだけを口にすると、女は踵を返した。


「私を殺しに来たのではないのか?」

「……そんな事をして意味があると?」

「得体の知れない女がいる、とユリシアやカナリアに君の情報を話すとは考えないのか?」


 ゴーシュが尋ねると女は、再度笑った。


「それをしてどうなるの? 誰が貴方の話を信用するのかしら? 信用したとしてどう対策をするのかしら? 私の名前も知らないのに? 不要に混乱を招くのではないかしら?」


 嘲笑する女に対してもゴーシュは冷静に言った。


「普通はそうだが、ユリシアならば、そうはならん。情報を伝えるだけでも意味がある」


 ゴーシュの態度が気に入らないのか、続く女の言葉は少しばかり不満を滲ませた声色に変化していた。


「……ならばそうすればいいでしょう? 別に私は一向に構わないわ」

「……」


 女の言葉を聞いて、一層ゴーシュはこう思う。


(やはり……掴み所が無い)


 目的も何も分かったものではない。

 別に破壊衝動に身を任せている訳でも、人間を恨んでいる訳でもないだろう。

 そのような人間には決して見えない。


 一体何を求めているのか。

 彼には能面の女の目論見が見当もつかなかった。


「もう行くわ。一応貴方には頑張ってもらったからね。その挨拶に来たのよ。もう貴方に会いに来る事はないでしょうけど」

「……」

「ここで遠く雷鳴を轟かせる事になるでしょうレオナルドの噂でも待っている事ね」


 それだけを告げると、次の瞬間には、ゴーシュの眼前から姿が消え、残り香すら残さずに女は去って行った。


「そう上手く事が運べばよいがな……」


 冬の幽閉所。

 その冷たい床の上で、一人ゴーシュは己を撃ち破った二人の女性を思い浮かべた。




   ☆   ☆   ☆




「ははははっ! 壮観だなぁっ! おいっ!」


 上機嫌にレオナルドは大笑した。


「見ろよ、これ! これだけ揃えば何でも出来そうだな」


 彼の目前には、帝国が長年に渡り守り続けた秘宝の数々が鎮座されていた。


「こんなに使うつもりなの、レオ?」


 冬場であるにも拘らず、短いスカートから眩しい素足を晒した女性が尋ねる。

 ざっくばらんに切り揃えられた髪型はお世辞にも整えられているとは言えない。

 化粧っ気もない事も相まって美女、とは言えないかもしれないが、小顔を彩る鼻筋や目元ははっきりとしている。

 粗野な振舞いが不思議と様になっている女性だった。


「まぁな。場合によっては必要だろうよ、キャシー」


 レオナルドがキャシー、と呼んだ女性は訝しげな表情を崩さなかった。 

 

「そんなにやばい奴なの?」

「あぁ、やばいな。ミストリア王国で一番やばい」


 そう豪語するレオナルドは実に楽しげであった。

 隣で黙していたジョナサンが傷跡の残る顔を微かに歪めて見せる。


「以前からレオナルドはそう言っていたが……キャサリンの疑問も尤もだ」


 これだけの秘宝。

 中には一度しか使えないような代物まで含まれている。

 それこそミストリア王国の祈りの間の結界を撃ち破った『破魔の霊符』と同等の力を持つ魔法具まであるのだ。


「そうか? 俺は敵を過小評価しないのさ」

「レオがそこまで言うなんて、ね」


 納得がいかない顔でキャサリンは顎先に手を当てていた。


「ゴーシュ=オーガスタスは――間違えていた」


 唐突にレオナルドは言った。


「あの男は勝てない事を知っていた。だからなるべく本質の外側に『奴』を追いだそうとした。しかしその結果――打ち倒す事が出来なかったばかりに、煮え湯を飲まされた」


 レオナルドと同様にミストリア王国の内情を知っているジョナサンとキャサリンも黙って頷く。


「駄目なのさ。『奴』を野放しにしてしまっては勝利は無い」


 自信過剰かつ厚顔不遜。

 唯我独尊を絵に描いたような男であるレオナルドがここまで敵を褒める事など、今までに一度も無かったので、ジョナサンもキャサリンも驚愕の表情をしていた。


「いいか? 俺は間違えない」


 彼はコツコツと指先で秘宝の並ぶ机を叩きながら続ける。


「基本的にメフィス帝国はミストリア王国に国力では負けている。兵士達とてオードリー大将軍を筆頭に、外軍には一粒種が揃っており、資金力では太刀打ち出来る訳も無い」


 ならばこそ。


「大事なのは初手だ。最初の一撃で流れを手繰り寄せる必要がある。出し惜しみをするような愚かな真似はしない」


 彼は滔々と。

 残酷な笑みを浮かべながら、瞳の中を光らせた。


「最初で最後。これが全ての趨勢を決すると言っていいだろうよ」


 レオナルドは、信頼する二人の仲間に言い聞かせる。



「ミストリア王国で一番危険なのは何だ? 本当にあの国を支えているものは何だ? 豊かな資金力? 広い国土? 長い歴史? 歴代最強の大将軍? 最強の紅牙騎士団? 覚醒した騎士姫?」



 彼は口角を一層吊り上げる。


「違うな、違う。そうじゃあない」


 彼は謳うように続けた。



「ミストリア王国の屋台骨」



 かの国の本当の守り神。




「ユリシア=ファウグストスを――頂戴する」




 


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