時ちゃんと永遠の明日

第9話時ちゃんと永遠の明日


時ちゃんと永遠の明日1


 ――そんな夢をずっと、ずっと見てたんだ。飽きちゃうくらいにね。

 ――もう夢の最初は覚えていない。次に見た夢も曖昧だ。その次の夢もよく覚えていない。

 ――思い出そうとすると変な頭痛がするんだ。頭の奥の奥。ううん、頭じゃなくて心臓とか背中の方からチリチリと痛みがやってきて、全身にアトピーが出たみたいにかゆくなる。

 だから日記帳に書くのは無理かも。

 本当はそれが毎日の習慣だったけど、それは夢なんだから現実のことじゃないし、時ちゃんとはあんまり関係がない気がするんだ。

 ――書いても無駄だって。

 どんどん、とドアが叩かれる音が聞こえた。その音は優しく、乱暴ではないけど急かすリズムだった。

「倉莉―早く起きなさーい、遅刻するわよー」

 お母さんの声だ。内容を聞くと、どうやら私は寝坊してるらしい。寝ぼけ眼をこすりながら、時計に目をやると七時を過ぎていた。そろそろご飯を食べて歯を磨いてないといけない時間だ。

 起きよう。めんどくさいけど。うぅぅううーと声が出て上半身を起こして背筋を伸ばす。伸ばすたびにパキパキと骨が鳴る。なんでこんなに体が凝っているんだろう? 

 不思議にだるい体を動かし、ベットから抜けて歩き出すとつま先が何かに当たった。

「やんっ……もっと、やさしくさしてぇ……すぅすぅ」

 時ちゃんだ。そういえば昨日は時ちゃんが泊ったんだっけ? それさえも曖昧だ。

 だけど、床に布団なんて敷いたっけ?

 時ちゃんは床に見覚えのない布団を敷いていて、そこに寝ていたんだ。ゲッ、しかも枕は私のを使っている。私の寝ていた枕を見ると、それは居間にあるクッションだと気づく。

 時ちゃんなんかに枕を貸すなんて、お母さんの仕業かな。

 それに……曖昧だけど確か一緒に寝た記憶がするんだけど、あれは夢の中のお話だったのかな。

「……時ちゃんはまだ寝てていいや……」

 朝でも上機嫌で騒ぐ時ちゃんだから、起こすのは遠慮する。せめて、朝くらいは静かに過ごしたいよね。

 お部屋から出て階段を下りると、赤い靴が玄関にあった。それさえも赤かったけなぁ……と首を傾げて自分の記憶を疑う私は、朝ご飯の匂いがする食卓へ急ぐ。

 長い長い夢を見てたからすっかりお腹が減ってるんだ。お母さんが昨日のごちそうの残りを用意して待っていた。あれ? 昨日のごちそうってなんだっけ? 献立を見ると、卯の花があって私の大好物だと気づいた。甘くてご飯によく合うから好きなんだ。

 でも、こんな大好物を忘れているなんて変だよね。私、どうかしたのかな?

「時ちゃんはどうしたの?」お母さんが聞いてくる。

「……起こしても起きないの、お願いできる?」

 そうお願いすると、お母さんが手を洗って歩き出す。卯の花を全部、ぺたぺたと塗りつけるようにご飯の上に乗せると、私もついて行っていった。

 お父さんはまだ寝ている。私が学校に行っている間に忙しいお仕事に行ってしまうのが常だから、時ちゃんの寝ているお部屋にお母さんが入り、私はお父さんとお母さんの寝室に入っていく。そこで寝ているお父さんの傍に近づいて、行ってきますって教えてあげた。お父さんは寝ながら私の頭を力強く撫でてくれた。ちゃんとお髭も剃ってるから、その頬にキスもしてあげた。

 向こうでは時ちゃんが目覚めたみたいで、お母さまお母さまーとうるさい。だだだっと階段を下りていく時ちゃんに嫌気がさしてくる。

 さて、とテーブルに着いて朝ご飯を再び食べ始めると、時ちゃんが私の卯の花を奪いに来る。箸で私のご飯を突き刺してくるんだ。

「こーちゃんだけずるいー私だってそれ食べたいもーん」

「倉莉、独り占めはダメよ。仲良く食べなさい」

 ちぇー。お母さんがそういうから、私は時ちゃんと卯の花を半分こした。それを時ちゃんはうまうまと吸うように口に含ませると、ハムスターみたいに頬を膨らませてもぐもぐしながら私を見てくる。

「なに?」

 ごくんと飲み込んでから言う。「昨日は楽しかったね」

 昨日……? 昨日、昨日えーと……。そういえばなんで時ちゃんが泊っているのかさえさっぱり覚えていない。

「……なにしたっけ?」

「デートだよっ」

 デート? 私と時ちゃんが? 本当に? 御冗談を。

「……時ちゃん、デートってなんだっけ?」

「えーと」えーとえーとと必死に何かを思い出している様子で、「幸せでいられる時間……かな?」

 その答えを聞いて私は驚いた。わかってるじゃん。

「そうだよ。じゃあ時ちゃんは私とデートしてたんだね」

 時ちゃんは、卯の花とご飯をまた頬いっぱいに含ませると、嬉しそうに幸せそうに何度も頷いた。

 時ちゃんにとっては今、この瞬間もデートなんだね。私にとってはそうじゃないのかもしれないけど。

 だってそんなデートは私の記憶にはないもん。

 そんなに楽しかったら、絶対記憶に残って一生忘れられないもん。

「こーちゃんはあんまり楽しくなかった? ほら、一緒に取ったぬいぐるみだよ? これがかわいいって言ってくれたよね?」

 そう言って、時ちゃんは服を捲ってお腹を出すとそこから小さな、鞄とかに掛けるぬいぐるみを取り出す。お鼻が長くて牙のかっこいいサメのぬいぐるみ。

 どこかで見覚えがある。ゲーム? ううん服屋さん……そっか、昨日は街でこれ買ったんだっけ? あれ、それって私にもなかったっけ?

「あっ、こっちじゃなくて……これがこーちゃんのぬいぐるみだよ」

 サメのぬいぐるみを隠して、今度は膨らんだお顔と小さなヒレがかわいいフグのぬいぐるみを出した。

「それ……私の……? あれ? でも、お財布に……あれ?」

「はい、こーちゃんの財布についてたの、落ちてたから拾ったの、はい」受け取って、と目の前にフグのぬいぐるみを掲げてくる。「はい、私頑張って取ったんだよ? 何回も挑戦したんだよ? だから、はい」

 そう言われるから、受け取るしかなかった。時ちゃんが頑張って買ってくれたのなら、なおさらだ。でも、時ちゃんのプレゼントなんて呪われそうで怖いなぁ。



 もう我が家を出なきゃ。時ちゃんはランドセルを取りに帰っていった。時間がないから先に行こう。そうしよう。

 ランドセルに、今日の授業で使う教科書とか宿題を準備してると、学校で借りた絵本が出てきた。お母さんに読み聞かせをお願いしたい絵本だ。返すのは一週間先まで大丈夫なんだ。

「……これはよんでもらったんだよね」

 三つある絵本のうち、哲学系のお話を描いた厚めの絵本。ドクターエリリィの危険な親切っていう題名の絵本。だけど、その内容はまるで頭にない。

 ないというか、間違っている気がする。本の中身は、物語は覚えてるんだ。頭にないのはそれを読んだ私の気持ち。

 だって……ドクターエリリィが旅の男を叩き殺すなんて信じられないよね。

「帰ったらもう一回読んでもらおうかな……でもお母さんが飽きちゃうかな……」

 それに、本はあと二つあって、お母さんもお仕事で忙しいから。

 玄関で靴を履いて、

「行ってきまーす」

 とお母さんに呼びかける。すぐに、いってらっしゃーいと我が家の奥から声が上がるから、私の声をちゃんと聞いてると安心する。

「おかーさーん。帰ったら絵本を読んでねー今度は笑えるお話なんだー」

 二冊目の、ギャグがたっぷりの絵本を読んでもらうんだ。その次は感動する絵本。

 お母さんは顔を出して、にっこりとほほ笑んでくる。

 次は絶対笑えるお話だから、その笑顔で読み上げてね?

 私はお母さんと一緒に笑いあうのが好きなんだ。

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