第4話 時ちゃんと運命の一日――前半戦――2
時ちゃんと運命の一日――前半戦――2
――これは夢なんだ。
うっすらと意識が戻ってくる。まばたきを何度かするけど目は完全には開けられない。夜更かししたみたいに体が重くてまだ眠い。早く起きて学校に行く準備をしないと。
どこかで窓を開ける音がした。
「おはよー! こーちゃんー! 今そっちに行くからねー!」
朝からご機嫌なのか、時ちゃんの大きい声が耳に届く。
瞬間、水をかけられ叩き起こされたかのような目の覚める冷たい感覚、つい体が跳ねあがるように起きて、すぐさまベットを抜けた。
机の奥から日記帳を引っ張り出して広げて見ると、書いたはずの日曜日の日記が書き足されていなかった。
最後に書いたのは土曜日のものだった。デジタルの時計を見ると、今は日曜日の朝。
「うそでしょ……どうして日曜なの……」
憂鬱な、とても憂鬱な気分で私は日曜日を繰り返していることを信じられずにいた。
「書かなきゃ……覚えているうちに……」
あれは夢だった。でも私には夢とは思えないほど記憶に残っていて、あれは実際に起きた……いや起きることなんだと思ってしまう。
だから私は日記を書いているの? あれは夢のお話なのに?
「そうだ……そうだよ……こんな日が来るから私は日記を書いてるんだ……時ちゃんが……死ぬから……?」
夢で起きた出来事を、あの夢に出てきた時ちゃんの様子をノートに書き記す。覚えていること全部、鮮明に書いて書いて書きまくった。
少し書いた後に読み返す。どうやらこの後すぐ時ちゃんが私のお家に遊びに来るみたい。
どうしようかな、遊んであげようかな、なんかだるいなぁ……
たしか、夢の中の私は絵本を眺めていたんだ。朝の読書は脳を活性化させるとかなんとかって。
「倉莉ー! 時子ちゃんが遊びに来てるわよー!」
「……」
ほんとにきた。どう対処するか悩んでるうちに、お母さんの声が私を急かす。時間の流れは待ってくれないみたい。
「いこうかな……」
重い腰を上げて私は立ち上がった。鏡を覗いて全体をチェック。着ているパジャマは変わりない。うん、今日も私かわいいよ。変なところなんて何一つない。
かわいいパジャマ姿で、夢よりも早い段階でお部屋を出るとのそーと階段を下りた。お母さんと時ちゃんは玄関口でおしゃべりをしている。まるで世間話のよう。
「あ、こーちゃん!」
やはり夢と同じ洋服を着た時ちゃんが、階段をこっそり下る私を発見、手を振ってきている。私は額に手を当てていた。
「おはよ……はぁ、だるいなぁ……」
それから階段の段に私は座り込む、顔を俯かせてだるさをアピールする。
「あら、どうしたの? 具合悪そうね?」
お母さんが心配そうに駆け寄ってくるので私は訳(わけ)を話した。
「うん、今日は体が重いんだ、風邪かな? ……休まないと」
それが私の作戦だった。
今日は風邪でだるいから時ちゃんとは遊べないんだ。嘘だけどね。
私はすっかり嘘を平気でつく子になってしまっていた。時ちゃんのせいだよ?
「そう……、じゃあお部屋で寝てないと……食欲は? おかゆたべる?」
「こーちゃん……」時ちゃんの心配そうな声。
そうだよ。私風邪なの。時ちゃんじゃあね。
「ごめんね時子ちゃん、倉莉が風邪みたいだから今日は……」
「はい……」
さっきまでの高いテンションが嘘だったかのように、しゅん……とした様子で時ちゃんは元気をなくして答えた。
私はだるそうな演技を続けて頑張って立ち上がり階段を上り始めた。今日は一日中ベットでおねんねだけど、絵本があるから大丈夫。お母さんがお部屋で読み聞かせしてくれるんだ。一緒に体をくっつけては無理だけど今はそれでいい。
「あのっ!」
唐突に声を上げてきた時ちゃんは体を前に九十度の角度を保って折る。お辞儀をしている?
「もしお邪魔じゃなかったら私も看病手伝います、水汲みとか買い出しとか、どんなことでもなんでもいってください……!」
「え? そうねぇ……」
お母さん? ちょっと考えこまないで、時ちゃんは私と一緒にいたいだけなんだよ?
「それじゃあ……おかゆ作りましょっか」
「……帰れよ」
お部屋に戻ってベットの中で体温計を温める。でもどんなに頑張っても平熱の三五度しか出なかった。
「熱はないみたいね、でも安静にしてるのよ?」
お母さんは優しい。本当はだるくないんだよ、嘘ついてごめんなさい。
布団をかぶせなおして最後に頭を撫でて寝かしつけた、優しいお母さんがお部屋から出ていく。今(いま)時ちゃんが一生懸命おかゆを作ってるんだって。
「毒がはいってたらどうしよう……」
そんなことあるわけないけど、時ちゃんが一人で作ってるのが少し怖い。時ちゃんは料理を作るのも下手でよく私をイラつかせていた。例えばトマトをミキサーでペースト状にするとき、緑のヘタをとらないで潰すものだから怖いんだ。トマトのヘタは有毒なんだよ。さらにはこっそり、学校の観葉植物として栽培してたお花の種とか葉っぱとかをもぎっていれてたっけ? 具が足りないからって。そんなのがおいしいはずもなく、先生が匂いで判断し、きっぱり鍋を捨ててしまったんだ。
そんな思い出を振り返っていると、誰かが階段を上る音がする。その音がホラー映画みたいな緊張を与えてくる。
「お邪魔するね」
ガチャッ……とドアを開けてお部屋に入って来たのは時ちゃんとお母さんだ。
時ちゃんが折り畳みテーブルをベットの前に広げて、お母さんがおかゆの入った土鍋を置いた。
「お待たせー。こーちゃん一人で食べれるぅ?」
「できるよそれくらい、はやくよこして」
スプーンを挑発するように振る時ちゃんが私を子供扱いしてくる。
「えぇー? でもぉ、こーちゃんはぁ~風邪だから体動かせないんでしょぉ?」
「食べるくらいできるよ、馬鹿にしてるの?」
「うふふ、それじゃあ私は下にいるから何かあったら呼んでちょうだい」
お母さんは微笑んでそそくさとお部屋を出て行った。残ったのは私とむかつく時ちゃんの二人だけ。どうしてこうなったんだろう……
「それじゃあ蓋を開ける前にコホン」咳払いをしてから、「これが私とお母さまの合作、その名もあらびき卵がゆ、かつおを乗せてーらららー♪ ネギネギらーら♪」
料理名を言ってるはずなのに、なぜか裏声になって歌いだす。無駄に上手いのがむかつくー。
私は表情には出してないけど無性にイライラしてきた。
歌い終わった時ちゃんが土鍋の蓋を一気に開けると卵の甘い匂い、ねぎと鰹節のおいしそうな香りが漂う。そのせいか、お腹が空いてもないのにきゅうとしてくる。
それから人差し指を一本、おかゆのど真ん中に突き立てる。
「どれどれっ? あちちっ」
えっ? なんでおかゆに指いれたの? 熱いに決まってるじゃん。
時ちゃんは今しがたおかゆに突っ込んだ人差し指を、自分の口の中に含むともごもご、
「んぅぅ、んまいよぉっ!」
満点の笑顔でびしっと親指を立てた。味見……してたの? そういうのは作ってる最中にしてほしかった。ばっちいから指なんて入れてほしくなかった。
「すっごいあっついからふぅふぅしてあげるよ?」
「そういうのいらないから、もういい私が盛る」
私が体を起そうとすると、時ちゃんがお椀を胸に隠すように抱えた。スプーンもどっかに隠してるな。
「やだっ、こーちゃんにおかゆを食べさせるのはわたしなのっ」
こいつとうとう本音を吐いた。私は土鍋の横に置かれたお玉を手に取り、まじまじ見つめる。これをお椀替わりに食べるしかないのかな……。
そうなると非常に食べづらいので時ちゃんによこして、と睨む。
すると、時ちゃんが後ずさった。
「うぅ……うぅ……」そして、
「時ちゃん?」
「……ひどい……ひどいよぉ……」
頭を守るように腕をかざして、ダンゴムシみたいにうずくまったんだ。
その一連の行動がよくわからなかったけど、泣きそうだし、用意されたおかゆを食べたくて仕方なかった私は仕方なくベットに座りなおして、お玉を使っておかゆを掬った。息を吹いて火傷に気を付けて冷ます。
「……おいしい」
おかゆの味はお母さんの優しい味付けだった。お塩を効かせたしょっぱさと卵の甘さがマッチしておいしい味、鰹節の出汁がよくなじんでて贅沢さを感じる。
普通にお椀で食べられないのは残念だけど、普段とは違うお部屋で食べるご飯は趣深い。
このおかゆが食べたいと思ったら風邪を装うのもやぶさかではないと、私はかっこつけていた。
「そうでしょ? 隠し味にやーちゃんの好きなウィンナー入れたんだよ」
どこかなー? といつのまにか普通に戻っていた時ちゃんが、やはり隠し持っていたスプーンをおかゆの中に入れてかき回す。それは味が変わるものなのかな?
おかゆの中からウィンナーを一、二本見つけてはお椀の中に入れてこちらに差し出してくる。私はそれを指で掴んで口に放る。
パリッ。ウィンナーをかじった。まぁ味は悪くない。でもおかゆには合わないなぁ。この弾ける肉汁の油は美味しいけど、やさしい味のおかゆにはなんだか合わない。おいしいんだけどね。
そんな私をじっと見つめていた時ちゃんはよだれを垂らして――
サッと間一髪。でも拭くものがなかった。反射で右手が出て、親指を押し付けて時ちゃんのよだれをぬぐってあげた。指についたよだれをさっさとティッシュで拭う。
「あ……ありがと……えへへ」
それにびっくりした時ちゃんは顔を赤らめる。すぐさま自分の口を拭いだして整える。
テーブルに置かれたお椀とスプーンを奪い返して、おかゆを掬いながら聞いた。
「もしかしてお腹空いてるの?」
「ううん、朝ご飯ならおかゆを作ってるときに食べたから……ちょっとだけだけど」
そうなんだ。うん? それって我が家の朝ご飯? そういやあの夢の時も我が家で食べてた。ていうか食べたじゃなくて頂いただと思うの。
「何食べたの?」ふと気になった。どうせ同じ物なんだろうけど、今日の時ちゃんの様子を知るのに越したことはない。
「えーとね、ご飯とサラダと漬物と」それだけ言うと目を伏せて、「それだけだよ……」
「ふうん、卵焼きとウィンナーはなかったんだ」
「あったけど……おかゆに入れたの、こーちゃん食べるかなって思って」
なるほど、たぶんお母さんが私の看病している最中に時ちゃんは自分のおかずを私のおかゆの中に投げ入れたんだ。勝手に。
「だから卵焼きは底に沈んでるんだ、ほんとはたべたかったんだけど、でもこーちゃんが早く元気になってほしいから……」
「ふうん……じゃあ残りは食べていいよ」
「えっ?」
私の親切な言葉に、きょとんとして固まってしまう時ちゃん。私は残り三割くらいになった土鍋に手を合わせてご馳走様をする。お母さん、おいしかったよ。
「食べていいって言ってるの。私病人だから全部食べると吐きそうなんだ」
「……う……うん。そっか、やーちゃんだいすきだよ、えへへ、いただきまーす」
時ちゃんは目を細めて大口をあける。まるで小さいお魚を食べる大きいお魚みたいだ。
ほんとは全部食べれたけど、時ちゃんのおかずまで横取りするのは気が許せなかったんだ。だって時ちゃんにとって卵焼きとウィンナーはホットケーキとステーキに匹敵するから。私には決して譲れない貴重な食料だからね。
底に沈んだ卵焼きの黄身、それを割って出てきたとろとろの黄身がおかゆに混ざってとてもおいしそう。ごくり。
でも最後に食べた人がお片付けなんだからね。
おかゆを綺麗に平らげて床に寝転がった時ちゃんはお腹をさすって深呼吸をしている。
「すーはーすはー」
「………………?」
「こーちゃんのかほりぃーほわぁ……」
どこかで見た記憶がある場面。あれは確か時ちゃんが私のお部屋に来た時だ。こんな感じでベットに寝ようとしてた。
そういえば時ちゃんには私の匂いがどんな風に匂うんだろう?
「私の香りってどんな香りなの?」ふと気になり聞いてみた。
「えー……どんなって……それは……その……だめ、言うのはずかしいよぉ……」
なんだかとても恥じらい度合いが高い、言いたいけど言いたくないといったどもり方だ。少し攻めてみようかな。
「時ちゃんは……天気のいいお外の、空気みたいな香りだよね、ひまわりみたいな」
「え? ひまわり? ひまわりってあの種いっぱいの草? 草って臭いかな?」
くんくんと自分の脇や手の平の匂いを嗅ぎだす時ちゃん。相当気にしているようだけど、普段はそんなに匂ってないし、別に嫌いな匂いじゃない。むしろ好きかもしれない。
「次は時ちゃんの番だね、私はどんな香りなの?」
そう聞くと、実に言いにくそうに、また顔を赤らめて人差し指をもじもじさせている。
ほんのすこしだけ沈黙が続いた後、
「……あのね、えっちな香りなの、なんかここがどくどくってする」
ここと言って、唇を指差してなぞりだす。
「キスされてるみたいなの、ここにいると……こーちゃんが私を包んでくれるの……」
仰向けに向いている両足を内股にして、指をもじもじさせるどころか膝と脛さえも、もじもじし始める時ちゃん。
この子……どんだけ私のこと好きなの? どんな香りって聞いたのに、予想を遥か斜めにいく答えが返ってきて困惑するというか、引いた。
このまま時ちゃんを私のお部屋に置いていたら、いつかキスされるかもしれない。そんな危険性を感じて私は土鍋をスプーンで叩いて音を鳴らした。空気を変えたかった。
「早く片付けた方いいんじゃない?」働け時ちゃん。
「あ、うん、でももうちょっと……」
「じゃあ私が片づける」時ちゃんは休憩しすぎだと思う。
「それなら私がやるよー」
さすがに病人には仕事は押し付けられないから、とばかりに時ちゃんが食器を持ってお部屋を出て行った。
私しかいなくなったこのお部屋は、しーんとしていて嵐が去って静けさが残ったみたいだった。
「……歯でも磨こうかな」
洗面所で顔を洗って、お部屋に戻ってくると時ちゃんが机に向かっていた。私がお部屋に入ってきても振り向いてこない。
勉強してるみたい。普段もこんな感じで勉強に熱心ならいいんだけど。
あれ? ていうかなんで自然とここにいるの? それがちょっと怖いと感じる。時ちゃんの中では我が家は自分のお家だと思ってるのかもしれない。そして私のお部屋は時ちゃんのお部屋。
「まだ帰らないの?」
「帰らないよ」ばっさり言った。「宿題しなくちゃいけないの、静かにしてるからいてもいいよね」
「……静かにするならいいけど……私は病人なんだから本当に静かにしてよね」
時ちゃんは無言で頷いて再び机に向かった。もくもくとシャーペンを動かしている。熱心だけど、あんなに勉強嫌いだった時ちゃんがどうして? でもあの夢でも前半はやる気があったみたいだし、後半はわからない。
どれどれ。のそーと覗いてみたらちゃんと空欄に答えを書いている。それも勝手に私の算数ドリルを広げて書き写してるんだ。
別にいいんだけど一言ぐらい断りを言ってほしいもんだ。まぁバカのままでいたい時ちゃんだから別にいいけど。それにそんなことをしても時ちゃんの為にはならないんだからね。
なんだか本当に静かだし、私も復習が終わらせて、お昼には体調良くなっちゃって、お母さんに絵本でも読んでもらおうかな。
窓を見やると今日は少し暖かい日に見える。夏が終わって秋の季節、でも残暑という気温がこの地域では長く続く。今日ならお外に出て遊んでも寒くない日になる。私はお家に居たいけど。
「これが終わったらゲームしよ、こーちゃん」
「………………?」
どこかで聞いたことのあるセリフが耳に届く。あの夢で、こうして頑張っていた時ちゃんが不意にこう言ったんだっけ。
「冒険するやつ、約束だよ、楽しみだね」
「ちょっと時ちゃん、何言ってるの?」
私が反応すると、時ちゃんがシャーペンを置いてこちらを向いた。そこには明るい時ちゃんらしくない、無表情の素顔がある。
「……ねぇくーちゃん、絵本とゲームどっちで遊びたいの?」
無機質な口調で変な質問、夢の中で私が口にした質問を逆に聞いてくるんだ。それにあだ名が変わっていた。
「……どうして? 時ちゃん、なんでそれ……?」
「本当はゲームしたいんだよね? かわいい女の子のやつ、持ってるから一緒にしよ」
どうして、なんで私の好きなゲームのことを時ちゃんが知ってるの? だってあれは私の夢で、時ちゃんはその中の登場人物でしかないんだ。それなのに。
「この前ね、くーちゃん言ってたよ、ゲームより絵本が好きって、でもゲームの方が好きなんじゃないの? そうに決まってるよ」
「そうに決まってる? それ決めつけで言ってるの? それにいつ私がそんなこと言ったの? 今何のお話してるの?」
――もしかして。
私はついに時ちゃんの秘密の目前に迫っているのかもしれない。ずっと、時ちゃんは私の知らないことを知ってて、それがなんで分かるのか秘密にしていた。その秘密の一部分をさらけ出しているのかもしれない。
時ちゃんは無機質な口調のまま続けた。「先週そう言ってた」
「へ?」
「絵本とゲーム、どっちか選んでって。私がわがままみたいにゲームしたがってたらくーちゃんとケンカして、電話、くれたよね?」
「……なんだ……っけ?」
覚えている。でもそれはあの夢の電話で、先週の電話は違う内容かもしれない。なんて会話したっけ?
「疲れたからまた明日会おうね、って……覚えてない?」
そんなはずない、だってそれ夢の……
「……そうだっけ……」
もしかして、あの夢は先週起きた出来事のお話? もしそうなら時ちゃんが覚えているのも納得する、でもそれを確認するには……
「それからくーちゃんは、私と電話切った後、お母さまと絵本いっぱい読んだんだよね? 違う?」
確認するには、時ちゃんの座っている席の机の引き出しにある日記帳を見なけれないけない。
と同時に時ちゃんの質問の答えを考える。それを今、口に出すのは記憶違いが起きるかもしれないけど、私ならそうするだろう。
「……ち、違うくないよ。絵本読んだよ内容は忘れたけど、楽しかったよ。あんまり覚えてないけど……」
きっとそうする。あの夢ではそんな気分が悪くてゲームばっかりしてたけど、時ちゃんにそんなこと言ったらまたケンカになりそうだ。
「そっか、じゃあ今度はゲームだよね? 一週間まったんだよ。それ以上かも……つぶすのはとっても楽しいんだよ、あ、でも冒険するやつがいいんだっけ?」
この言葉から時ちゃんはいつもみたいな底抜けの明るい調子になっていく。
「でも……体がだるいからゲームなんて無理だよ」
「ううん大丈夫! こーちゃんは寝てるだけで、それを私が守るんだから、2Pの協力プレイだから」
「それが難しいって言ってるの、そもそも私は病人なんだからどこにも行けないし、誰かがご飯を食べさせてくれるとか、絵本を読んでくれるとか、そういうことをしてもらいたいの」
時ちゃんとゲームがしたくない。怖いゲームに決まってる。先週の仕返しをされるんだ。そんな考えが脳裏に浮かぶ。
「そっか、ちょっとお花つんでくるね、宿題もあともう少しだしなにしようかなぁ♪」
何もしたくない。時ちゃんと一緒に居たくないよ、口に出せないけど私の心の中ではそんな気持ちがたくさん渦巻いていた。
時ちゃんがお部屋を出て行った後、急いで机に駆け寄り日記帳を確認する。事細かに書かれた、時ちゃんの行動記録に目を走らせる。
先週の日曜日、時ちゃんは午前十時くらいに我が家に来て……?
冒頭から違う。日記に書かれた内容は、午前十時くらいに時ちゃんがやってきてそうそう、お母さんと私の三人で三時のおやつに食べるクッキーをつくったこと。気になるのは絵本とゲームでケンカしたお話だ。それを探す。探す。
探す。探すけどない。午後九時。時ちゃんのお部屋は明るい、今日も元気にゲームをする音がします。おやすみなさい。そこで先週の日曜日の日記は終わっていた。
どこにも、そんなことはかかれてない?
そんな……内容が違う。時ちゃんの言ってた、先週ってなに? やっぱり、時ちゃんも同じ夢をみているの? そのことを言ってたの?
「だっだだー♪ だんだんだー♪」
だだだっとした足音と声が聞こえる。時ちゃんがそろそろ戻ってきてしまう。日記帳を服の中へ、お腹に抱えて隠すと引き戸が開いた。ベットの中までは潜れなかったけど上には乗れた。軽い柔軟をしながら平静を装う。
「お待たせー、ねぇ私いいこと考えちゃった♪ あれれ? 寝てなくていいの?」
時ちゃんがご機嫌に笑いながら、ベットの上で体を捻る私に聞いてくる。
「体がなまっちゃうと嫌なの……なんだかうれしそうだね」いいことでもあったのかな?
「うん、聞いて。これからお母さまとこーちゃんと三人でー」嫌な予感がする。「ゾンビゲームをしまぁーす!」
そんなこと嫌なのに、時ちゃんはぶいあーるを持ってきた。それは眼鏡みたいなもので、視界と聴覚がほとんど塞がってしまうけど、仮想現実という現実とは違う世界を見せてくれるものらしい。重さもあまり感じず、帽子を着るみたいに手軽な装着だ。
場所は我が家の居間で、時ちゃんのお家にある大きなパソコンがゲームを起動してるみたい、ぶいあーるもコントローラーも無線機器で取り付けも簡単。足を動かす必要のない手と頭だけを操作するゲームをするみたい。
とはいえ、それを装着されているのは私のお母さんなんだけど。
「……変な恰好……」
かわいいエプロン姿に、試しに着けてみたというお母さんは、はたから見るとロボットみたい。時ちゃんは銃の形をしたコントローラを持ってて、スパイをする人みたいだ。
ぶいあーるは三台あったけど、私は気分が悪いからという理由で断った。怖いゲームは極力したくない。
「そっかーやっぱり病人にゲームは難しい? 装着して見ているだけでもおもしろいんだけどなぁ」
だから装着するのが嫌なんだって。お父さんと約束したんだもん。
お母さんは軽いフットワークを刻んで時ちゃんと同じ銃のコントローラーを構えている。なんか慣れてるように見えるのは気のせい?
「え、お母さんやったことあるの?」
「そうね、若い時にお父さんとゲームセンターでこういうのしたことあるけれど、今はこんなに手軽にできるようになってるのねぇ」
そうなんだ。でもつまんかったらすぐやめていいんだよ。やめて私と絵本を読んでよ。
時ちゃんがお花を摘み終わって帰ってきたあの時、考えついたいいこと、とは我が家にゲーム機を持ってくることだった。それをアイロンがけをしていたお母さんにすでに言ったみたいで、私の窓からあの夢みたいにまた飛んでいく。
そんな重いもの、と思ったけど眼鏡とコントローラーという、たったこれだけでできちゃうなんて時代の進歩は恐ろしい。
そしてもうひとつ。
私のお母さんがゲームをつまらないものだと評価したら、絵本遊びに切り替えるということ。別に私は絵本遊びがしたいわけじゃないけど、それは挑戦状だった。
絵本とゲーム。どっちがより面白いか。それを私のお母さんに決定させる勝負。
そのことを知らないお母さんは今、ぶいあーるの操作指導を時ちゃんから聞いている。
「銃はマガジンの残弾を確認してセット、スライドを引いてから安全装置を外します、そうしたら引き金を引いていつでもうてますよ、こうですこう、もっと脇をしめて照準がぶれます」
なんだか先生みたいな時ちゃんに感心する。勉強の方もこれぐらい覚えていれば言うことないんだけどなぁ。
お母さんが銃の音にびっくりしてる。かすかに漏れている音は時々(ときどき)時ちゃんのお部屋から聞こえてくる銃弾そっくりだ。時ちゃんはいつもこうやってゲームしてたんだね。いまお母さんの視界には仮想世界っていう映像が映し出されてて、その中では時ちゃんが映っているんだろうな。顔の中で唯一覆われていない、露出したお母さんの口が大きく開いて、なんだか不安になる。
「次は実践です。ゾンビと対人戦があるんですが、難易度的にはゾンビの方が楽です、撃つのも効果的ですが残弾に気を付けること、基本は近づいてナイフです、手を振るだけでいいですよ思い切りふって……」
いままでは射撃訓練だったみたい。やがて、時ちゃんの説明が終わり、しーんとした静寂が訪れる。ゲームが始まったみたい、お母さんが寝ながら見ている私に状況を伝えたいのか、山がある、川を歩いてる、家に入った。と報告してくる。冒険? してるのかなぁおもしろそう。次の瞬間だった。
「いやゃぁーーーー!!」
いきなり金切り声をあげたお母さん、私もそれに驚いて寝ていたソファから寝転んでしまった。お母さんはその後も、足は操作に関係ないというのに、足を這って何かから逃げようとしている動きを取って、足をばたつかせている。それに比べて時ちゃんは冷静で、まるでお手本のような構えで銃を振りかざして狙いを付けている。いや、仮想世界ではゾンビと戦っているんだろう。傍目から見ると二人の奇天烈な行動に私の好奇心はくすぐられた。
「……いいなぁ」
やがて、十分がたった頃にお母さんは休憩のためにぶいあーるを脱ぐと汗まみれだった。タオルで拭うこともできないからエプロンまでびっしょりだ。
「なんか最後の方は慣れてましたね。これなら第二ステージも楽勝ですよ」
「そうかしら……もう、疲れて動きたくないわ、歳ね」
なんだかお母さんが五歳くらい年を取った顔になってる、こんなの……ゲームじゃないよ。でも、お母さんの反応を見る限りとても面白いみたいで悔しい。
「こーちゃんもやりたくなったでしょ?」
「……ちょっとだけ」
素直に私は頷いた。くっ、悔しいけどしてみたい。
急いでぶいあーるを装着した私には、銃のコントローラーを持たしてもらえなかった。なんで? って聞くと、ちょっとだけって言ったから、と返された。実際にプレイするんじゃなくて見るだけなのかもしれない。
まぁ、お母さんみたいに体を動かして汗だくになりたくないから、楽でいいかも。
「今回のこーちゃんの役は重要保護人物です」
「重要? なにそれ?」
「詳しくは国防総省(ペンタゴン)に所属する大臣の娘、その子がさらわれから戦争が起きちゃって細菌兵器でゾンビパニック、でも娘には抗体が打たれてあって……」
「そういうのはいいよ」そういう壮大な物語があるみたい。
「システム的にはゾンビに噛まれたらゲームオーバー、体力が尽きたらゲームオーバーなんだ、こーちゃんの操作は視点変更だけで抵抗とか何もできないけどいいよね♪」
へーそうなんだ……何言ってるかわかんないけど。わ、ゲームがはじまった。真っ暗な視界が、急に自然豊かな森に変わるから驚く。私は、いや大臣の娘はヘリコプターに乗ってるみたいで、機内なのにバタバタと飛んでる音がうるさい。でもその映像や音がリアルすぎて見惚れる。現実は我が家の居間なんだよね? 嘘みたい。
景色ばかりでなく、隣を見ると顔に無数の傷を刻んだごつい男が見えた。ごつい男は両手をグーにして裏返し、髭の生えた下顎にかわいくくっつけた。え、なにこのおっさん、なんでぶりっこしてるの?
「私だよぉー!」それが時ちゃんらしい。耳元で時ちゃんの元気な声が響く。
「時ちゃん? なにそれぷぷ、ないない、きゃはははっきんもー」
あふれ出した笑いを抑えられなかった。こんなおっさんが時ちゃんだなんて反則だよね?
そしていきなりだった。訳の分からない英語が機内に飛び交う。なぜか時ちゃんも英語の会話に混ざると、怒りとか焦りが混じりだして緊張感が増してくる。なんて言ってるんだろう?
「ミサイルが飛んできたんだって、ほら真横だよ」
そう言われて時ちゃんのでっかい人差し指の先を見ると、煙のような灰色と赤い炎。小さなミサイルがこちらめがけて飛んでくる!
「撃ち落とさないの?」
「チュートリアルだからね、操作できるようになるのは墜落してからだよ」
墜落するの!? それを聞いた瞬間に機内が揺れて激しい振動、頭だけ揺れているみたいだけど音のせいで体全体がこわばってしまう。時ちゃんが大きな腕を広げて私を抱き、ヘリコプターからお外(ここは我が家だけど)へ飛び降りた。
「きゃあぁあぁああぁぁああ!?」
この時の私は無自覚に、そんなすっとんきょんな悲鳴を上げていた。時ちゃんの着ているミリタリー柄の大きな服にしがみつこうとするけど何もつかめない。あ、なんか掴んだぞ。まだゾンビも出ていないのに怖いというかリアルすぎてヤバイ。
パラシュートが開かれて空中にいる間、風はないけど温かい温もりはあった。背中から私を包んでくれている大きな体をしたおっさん……じゃなくて時ちゃんだ。そのごついおっさんは発狂する私を安心させたいのか口を黙らせる。黙らせるっていうのは欧米的表現かもしれない。その人の目や顔つきを見るとそんな感じに捉えてしまうんだ。はっきり言うと、
「ふが、ふぁふあん」
「んーふぅふぅん~」時ちゃんのリアルな吐息が聞こえる。
キスしてきたんだ。
ちょっと、なにこれリアルすぎない? 唇から体温が伝わってきて舌の感触まで繊細に、流石に髭がじょりじょりする感じとかは再現されてないけど、結構気持ちいい……無理やりされるのもわるくないかも? でもこんなのおかしいぞと、しがみついていた手を恐る恐る離して自分の顔の前を手探ると、そこに誰かの、つやつやとした髪の感触が。
「バカぁ~~!」
キスから逃げて急いでぶいあーるを外すと、私の鼻先に時ちゃんの顔があった。
「えへへ、作戦大成功(ハートマーク)」
そう嬉しそうに言う時ちゃんに私は憎しみを覚えた。これ、立派な犯罪じゃないのかな。
というか、お母さんはどこなの? シャワーの音、汗を流しているみたい。
「もしかしてこれが本命だったの?」
まさか私の初めてのキスを奪うためにこんなゲームくだりを?
「やだなぁ、誤解だよ。求めてきたのはこーちゃんのほーう。ヘリから落ちた後、手をバタバタさせて私にしがみついたの、それで大きな声を上げるからうるさいし、かといって手にはコントローラーだし……仕方なく、ね?」
ね? じゃないよ……時ちゃんはそういうの恥ずかしくないの? まぁ女の子同士ならいいかもしれないけど、やっぱり初めてがあんな感じのおっさんじゃ……いややっぱりいい。これ以上考えないことにした。
「ゲームはもうやめ、絵本よも、このゲームはつまんないよはいおしまい、今度はもっとボタン一つで進むやつにしよ」
矢継ぎ早にそう言いくるめると、
「うん、またいつか一緒にゲームしようね」
と笑顔で言ってぶいあーるを片付けはじめた。あれで満足したらしい。私は大切なものを失ったみたいで気分が晴れなかった。
お母さんがお風呂から上がると、絵本の読み聞かせをねだった。
「でも時ちゃんと遊んでるんじゃないの?」
「いいよもう、時ちゃんがいてもいいから読んで、ゲームなんかよりお母さんの絵本がいい」
時ちゃんがぶいあーるのお片付けをしている間、私は急いで絵本の準備する、時ちゃんに先手を打たれたくない思いで。
図書室から借りてきた絵本は三つ。一つは感動系で、二つ目はギャグ系。三つめは哲学系だ。哲学系の絵本の枚数が厚いからこれを最初に消化してしまいたいと考える。次はギャグ系で場を大いに盛り上げて、最後に感動系。この手順で完璧と考えを巡らせる。
場所はソファの上で、私はお母さんの膝の上が定位置なのでそこに腰を下ろした。お母さんの足を私の足で挟んで固定したら、頭を倒して大きな大人の膨らみに後頭部をうずくませた。
「なんで私はここなのぉ? なんかこーちゃんだけ特等席とかずるくない?」
時ちゃんが不平を唱える。お母さんの隣に時ちゃんは座っていて、そこだと絵本が見えにくいからどうにかしてほしいらしい。
「時ちゃん、今は私の遊びなんだから口出ししないで」
「うー口出ししないよ……でもあの時のこーちゃん自分から舌出してたよね、えっちだったなぁえへへ」
「お母さんの前でそんなお話はやめてよ、退場させるよ?」
この劇場ではおしゃべり禁止なんだからね。邪魔な時ちゃんはいるけども、とうとう待ちに待ったお母さんの絵本の読み聞かせに、私は映画館に並ぶみたいに胸を膨らませていた。
場が落ち着いてきて静かになると、やっとお母さんが絵本の題名を言い始める。
「それじゃあはじめるわよ、ドクターエリリィの危険な親切」
「……女のドクターが危険な親切するの……」時ちゃんうるさいよ。
「とある小さな村の病院のお話です。その病院にはドクターエリリィとみんなから呼ばれているえらいお医者さんがいました。ドクターエリリィはえらいえらいとみんなから言われてますが自分自身はそんなにえらくないと思っています。それでも、小さな村のみんなを診てくれているお医者さんはドクターエリリィしかいないので、彼はみんなからしてみればとてもえらいのです」
「えろいじゃなくて? えへへ」時ちゃんぶっとばすよ?
しかし、絵本の絵に描かれているドクターエリリィは男で白髪のおっさんなのでした。残念。
「ドクターエリリィのもとには毎日たくさんの患者がやってきます。転んで膝を擦った者、歯が痛い者、心臓が悪い者、中にはもうすぐ息が絶えてしまう者もいます。みんな年老いた老人ばかりでした。そんな患者たちをたった一人で診ていく日々でした。それは大変だけど、村の人たちはドクターエリリィに感謝をしていますから、食べ物をもらったり親切にしてもらいやりがいはありました」
「たった一人とか……弟子は取らなかったのかなぁ……」そんなお話じゃないよ時ちゃん。
「そんな毎日のとある日のことです。この村に大きな傷を負った旅の男が迷い込んできました。それを見つけた村の人はみんなを集めました。みんな口々に言います。せめて若い人がいたらなぁ。村のみんなは老人ばかりなので人一人運ぶのもみんなで担がなければなりません。すぐさまドクターエリリィの病院に運んでいきました。ドクターエリリィは先に来ていた他の患者を後回しにして、すぐに旅の男の手当てをしました。おかげで旅の男は一命をとりとめ病院に入院することになりました。ですが……」
ここからお話は急転するんだ。ページをめくると男の凶暴そうな顔がアップになる。
「次の日の朝、旅の男の様子をドクターエリリィが見に行きます。そこで、ベットから抜け出してすでに歩き始めている旅の男に、ドクターエリリィは驚きました。一体なにがあったのかお話を聞こうと、目が合った瞬間。じゃらっと大きな銀色の光が、ドクターエリリィの目の前に出されます。それは銃という、人を傷つける道具でした。銃を突きつけて旅の男は言います。俺を助けてくれたことは感謝するよ、だけど俺がここにいるということを誰にも言わないでほしい。騒ぎを聞きつけた村のみんなは一人残らず病院に集まります」
次の絵には優しい顔のドクターエリリィ、そしてその後ろには同じく困り果てたたくさんの村のみんながいる。
「国に迷惑をかけてな。そう言いあげた旅の男は、たった一人しかいないこの村の唯一のお医者さんであるドクターエリリィを人質にとったのです。村のみんなはどうすればいいか分からなくて、病院の周りに固まります。それから間もなくのこと。国へと続く道からたくさんの軍人がやってきました。軍人は病院に集まった村のみんなに聞きます。変な男を見ていないか? とても眉が濃くて皺が深い、鬼のような顔をした男だ」
その顔は前のページで見た。変な男は旅の男なんだ。
「村のみんなは軍人に思っていることを言うか言わないか悩んでいました。病院の中ではドクターエリリィが旅の男に銃を突きつけられているのです。軍人の探している変な男が旅の男だとして、そのことを軍人に言ったら、ドクターエリリィは殺されてしまうかもしれません。なので、何も見てません、変な男なんて知りませんと軍人に嘘を言いました。軍人が聞き返します。ずいぶんと病人が並んでいるな、なにかあったのか? 村のみんなは首を振ってこたえます。村にいる者はすべて老人ばかりです。みんななにかしらの傷を抱えて暮らしておるのです。察してくだされ。その言葉に軍人は怪しく思いながらも、手掛かりは得られず、また来ると言い残し小さな村を後にしたのです」
そう言うしかないよね。村の人は嘘をついたけれど悪いことはしてないよ。
「その様子をこっそり見ていた旅の男は、さらに声を荒げて言います。お金をくれ、それと食料だ。旅の男はまたどこか違うところへ逃げるようでした。それが集まるまでは、ドクターエリリィは人質なのです。村のみんなは旅の男に与えるお金と食料をかき集めるふりをして、どうにかできないものか知恵を絞りました。でも結局、それはドクターエリリィが解決するだろうと村のみんなは解散して、各々のお仕事へ取りかかりました。
なんかみんなひどくない? それとも、ドクターエリリィが本当に一人でなんとかしちゃうのかな。
「旅の男と二人っきりになったドクターエリリィは、旅の男に説教を聞かせるように語ります。お前がどんな悪いことをしたのか、わしは知りたくもないが銃で解決するのはよくない。それは争いの道具で、お話をする道具ではない。旅の男は言い返します。しかし、こうでもしないとお前たちは俺の言うことを聞いちゃくれない。旅の男は片時も銃を離さずドクターエリリィにそれを突きつけていました。ドクターエリリィはため息を吐くと、信じられないことを言い出しました。その銃を捨ててくれればあなたは国に追われなくすみます、その方法を教えましょう……」
そこから先は飛んでいる。物語の構成上、ドクターエリリィが旅の男に言った言葉はそこで途切れているんだ。イラストには暖炉の前で話し合いをする二人が描かれている。
「それから数日が経ちました。ふたたび軍人が小さな村を訪ねると、変な男についてもう一度尋ねました。もちろん村のみんなは思い当たる人はいないと言います。軍人もやっきになっているのか、村の隅々までくまなく探しましたが変な男は見当たりません。そんな中、若い顔をした笑顔が似合う青年を見つけました。ここは老人ばかりなので気になり声をかけました。お前、この前来た時ここにいたか? 青年は言いました。はい、病院のベットで寝ていましたよ。今はとてもいい気持ちで村のお仕事をさせてもらっています。青年の首からは、じゃらっと銀色に光る弾丸が一つだけぶら下げられていました。おわり」
終わった……。「いいね、すごくいいよ」
私はそう短い感想を言うけど本当はもっと語りたかった。だってこの絵本はドクターエリリィって題名に書いてるのに主人公は旅の男みたいじゃんとか、ドクターエリリィが旅の男になんて言ったか分かんないけど(たぶん読者が考えるスタイルなんだろうな)それを聞いた旅の男の気持ちが変わってたことから単純に鬼の顔を笑顔にしただけではないんだろうなと思うし、それに村のみんなの反応、あれって絶対みんな旅の男と同じ境遇の人たちだよね? みんな脛に傷を持って暮らしていたりするんだろうか、だとしたらそれを教えてくれたのはドクターエリリィ。あ、やっぱりドクターエリリィが主人公だわ、ほんと奥深い。
「時ちゃんはどうだった?」
「すぅすぅ……」このバカ寝てやがる。
そういえば時ちゃんのつぶやきが途中から途絶えてたし、つまんなかったのかな。
時ちゃんはお母さんの肩に寄りかかるように寝ていて、それをどうにかしないとお母さんは動けない。
その寝顔はとても穏やかで、見てるとだんだん、
「なんだかお母さんも眠たくなってきたわ……」
そういえば、絵本を読む前におやつみたいなお昼ご飯を食べたんだ。そのせいかもしれない。
「……膝枕してもいいよね?」
私はそう言うと、お母さんの言葉も待たずに時ちゃんの膝に体を横に乗せて、お母さんの膝に頭を落ち着かせた。
お日様の香りが私の体を包んでくれて、とても心地よい眠気とともに目をつむった。
それから一時間くらい経ったのかな。
私が目を覚ますと、まだお母さんの膝の上で寝ていることを感じる。顔の向きを変えてお母さんのお腹へ向ける。そのまま、もそもそと温かさを求めてお腹へ顔を押し付ける。優しいお日様の香り、もそもそするたびにその匂いがあふれて私を包んでくれるの。
「やんっ。そこっ……いいよぉ……」
「…………ん?」
私は頭上から喘ぐ声に違和感を感じて、顔を離して上を見上げる。そこには見慣れたお母さんの顔が……ない? あれ? 時ちゃん? ぼーとしてる時ちゃんの顔がある。
「……お母さんは?」
「洗濯物干してるって、それよりもっとぉもそもそしていいんだよぉ?」
誰がするかそんなこと。なんだか最高の気分を邪魔された気分だ。時ちゃんまじうざいなぁ。
私は起き上がってお母さんを探す。やっぱり洗濯物を干してるみたい。はやく絵本の二冊目を読んでもらいたい。
「時ちゃんはいつ帰るの?」
「え? 今日はごちそう食べてこーちゃんと一緒にお風呂して一緒に寝るんだよね?」
ごちそう……そういえば、夢の中でお父さんが早く帰ってくると言っていた。
ていうか一緒にお風呂だって? 寝るのはさっきしたよね。
「そっかこーちゃんは聞いてないんだね。さっきお母さまがお父さまのお帰りが早くなるからお願いねって言って子守してたんだよ」
子守? ああ、だから私の膝枕が時ちゃんのにすり替わってたんだね。
「じゃあ時ちゃんは今日うちに泊まるの?」
「そういうことになりますのでどうかよろしくお願いしまうっ、噛んじゃった……」
なんで緊張してるんだこのバカは。というよりも、時ちゃんが今日一晩泊まるだって?
「なんでそんなことになるの? 私のお家に泊まって何かしたいの?」
「え、ええと……ゲームしようよ」
またゲーム、今日はゲームばっかりだね。あれ?
「そういえば勉強やったの? 今日ってそのために遊びに来たんじゃないの?」
「それは大丈夫だよ、全部やったから」
そういえば朝は漢字ドリルと算数ドリルをやってた。私の答えを写してただけだけど。
「でも復習してないよね」
「したよーぉ、こーちゃんのノートずっと読んでたもん」
あれ? 今日は時ちゃんにノート読ませたかな? 読んでたのは私な気がするけど。
「ふうん、じゃあこの後何するか決めてるの?」知ってるの?
「だからゲームだって、またこーちゃんの悲鳴が聞けるとなると……えへへ」
時ちゃんは嬉しそうに体をよじる。もしかして、私のことをいじめたいのかもしれない、意地悪だ。
でも知らないならいいや。この後の私は時ちゃんを我が家から追い出すんだよ。
「時ちゃん、用事がないなら今日はもうさよならだよ、じゃないと私、時ちゃんのこと嫌いになりそう」
どこかで口に出した言葉だ。そしてこの後の展開を思い出すと、とても悪い気になる。また時ちゃんを運んで、靴を蹴飛ばして、ほっぺをぶたなくちゃいけないんだね。
「……どうしてそんなこと言うの? こーちゃんは……それでいいの?」
「いいよ、最近の時ちゃんうざいし、なんで私の家族の中に入ってこようとするの? そんなことしても時ちゃんは私の家族になれないんだから……いい加減諦めてよ」
きっとこんなこと考えてるんでしょ。私にべたべたして、私に飼われているペットみたいな存在でいて、私の一生のかけがえのないお友達になりたいんでしょ? そんなこと私がゆるさないんだから。
「……私、そんなにうざかったのかな? こーちゃんには私のことそういうふうに見えてたんだね、ずっと……ごめんねごめんなさい」
なんだか様子が変だ。そろそろ、時ちゃんが私にゾンビみたいにしがみついてくるはずなのに。もしかして、あれは夢だからそんなことは起きないの?
時ちゃんはごめんなさいと何回か謝った、泣きはしなかったけどそうすることで私の気でも変わるのを待ってたんだろうか。私は無言で睨みながら、それを聞いていた。
やがて、ごめんなさいを言わなくなった時ちゃんは背を向けた。玄関へと歩き出す。
「じゃあ帰るから、お母さまにごちそう食べるのやめるって言ってくる……」
「そうだね、ばいばい時ちゃん……」
名残惜しそうに、時ちゃんは我が家の玄関でゆっくり靴を履いて、ベランダにいるお母さんに話しかけに行った。
居間で一人になった私はその光景を見ながら不思議に思う。
「……なんで今回は素直なの?」
時ちゃんが去って、洗濯物を干し終わって戻ってきたお母さんに私は質問する。
「時ちゃんと何のお話してたの?」
「さっき街におつかいにいってくるってお話してたのよ、倉莉はまだ体調が悪いでしょ、時ちゃんはなんでも手伝うって言ってくれたから」
は? あのバカ、帰るって言ってたのに。あれは嘘(デタラメ)だったんだ。
「そう……いつ戻ってくるの?」
「うーん、さっき出たばかりだし……三時か四時くらいかしら」
三時か四時……。なんだかこのまま我が家のごちそうにありつこうとしてる気がする、いやそうなるのかな。それにしても時ちゃんは諦めが悪い。
「たぶん時ちゃんから聞いてると思うけど、今日はお父さんの帰りが早いからごちそう作るわよ、倉莉はいっぱい食べる?」
「うん食べる……」
ごちそうか、あの夢でもごちそうだって聞いてた。結局食べる気にはなれなかったけど。
「今日は時ちゃんもいるしお母さんも腕によりをかけなくちゃね」
お母さんは鼻歌交じりにお部屋を出て行った。気分がいいみたい。
私はさらに体調を悪くしながら俯き加減でお部屋を出た。お花を摘みに。
お花を摘んでると考えが浮かんでくるんだ。ここはそういう場所に適していた。
キッチンにいる、ご機嫌のお母さんに話しかける。
「ねぇアイロンかけた洋服ってある?」
「え? いいけど、どこか行くの?」
「ううん、お父さんが来るんだからおしゃれするのは当たり前でしょ?」
もう病人じゃないんだ。パジャマから洋服に着替える。さきほどアイロンをかけてもらったほやほやの服に袖を通す。ネイビー系のストライプ柄の腰まで覆えるチュニックと、モノクロが複雑な網目状になったアーガイル柄をしたキュロットを選ぶ。等身大の鏡を見て髪をブラッシングして整え、組み合わせに満足したらお部屋を出る。
洋服の類はお父さんが選んでくれてどんな感じのコーディネートかを丁寧に教えてくれるんだけど、なかなかにいいセンスをしてる、確かお仕事もこういうのを考えることだって言ってた。
「あらかわいい、もしかして時ちゃんも一緒だから張り切ってるの?」
「そう見える?」少しぶっきらぼうになって「時ちゃんもかわいいの着てるから負けたくないだけだよ」
お母さんが口に手を当てて微笑んでいる。もしかして本当に私と時ちゃんが姉妹みたいに仲が良しな関係だと思ってるのだろうか? でもそんなこと正直に言ったら嫌われちゃうよね。
そして、時ちゃんが帰ってきたら耳元に小声で囁いてやるんだ。
――私の家族の幸せを邪魔しないでって。
それでも、時ちゃんは私と一緒にいたがるんだろうけど。
時ちゃんは私のことが好きだから、そんなこと言われても平気なんだろうけど。
その言葉を伝えるのをまだかまだかと、時ちゃんの帰りを居間でノートを読んで復習しながら、ずっと待っていた。
復習を終えてもまた一ページ目からの最初から読んで待ってた。いくら読んでも頭に入ってこない。
時ちゃんまだかな。なにしてるのかな、はやく帰ってこないとお父さんが帰ってきちゃうよ? ごちそう出来上がらないよ。
それから午後五時になって電話が鳴りだした。お母さんが洋服を畳む手を止めて受話器を取りに行く。
時ちゃんはまだ帰って来てない。時計の針はゆっくりと回っていて、四時までには帰ってくると思っていたお母さんは少し心配していた。きっとどこぞの猫さんと遊んでるんだよ。そう言うけど、お母さんの心配は増すばかりだ。
はい、はい、本当なんですか? お母さんのかしこまった声。相手は知らない誰かのようだった。
その誰かと長電話していてようやく終わった後、気分を暗くして、表情も悲しく深く落ち込んでいたのが気になって、私は反射で聞いた。
「お母さんどうしたの?」
大方、お父さんの帰りが遅くなるとか親戚からの挨拶だと思う。まさかリストラとかは、いくつか考えが浮かんだ。お母さんの悲しみを私とで半分こにできたらいいなと思った。
しかし、お母さんの反応はたどたどしく、私に言おうか言わないか考えているようだった。まるで、私に聞かれたらまずいお話みたいだった。
やがてお母さんは意を決したように口を開く。肩を抱かれて頭を撫でられた。どこかで見たことのある光景だった。
「あのね、さっき、お巡りさんが教えてくれたんだけど……」
「なにを?」
「時子ちゃん、亡くなったみたいなの……」
時ちゃんがしんじゃった。ううん、またしんじゃったんだ。
私は撫でられる頭を俯かせてお母さんの胸に顔を埋めさせた。
「近くの川でおぼれててね……」
「……うん、そうだね……」
「お巡りさんは……その、自殺なんじゃないかって……見た人の証言だと……」
「……証言だとなに?」
お母さんが事件の内容を伝えるからそれをよく聞く。
「いきなり飛び込んで川から上がってこなかったって……まだ時ちゃんは見つかってないんだって……」
川にいきなり飛び込む? 変なしに方。
うぅうぅとお母さんがうずくまる。私を撫でる手を止めて、逆に自分の頭をかき始める。
「私がおつかいなんて行かせたから……こんなことになったのよ……」
「……そんなことないよ、お母さんのせいじゃないよ……」
代わりに私がお母さんの頭を撫でてあげる。本当は時ちゃんと大の仲良しだと思われている私が泣かないのは変だけど、私は泣く演技が一番下手なんだ。
その後、お巡りさんが事情聴取で来て時ちゃんの事を聞いてくる。お父さんが帰って来たけどまだごちそうはできてなかった。
出前をとるというのでチーズがたくさんのピザを頼んで、それを食べたらもう寝なさいと言われた。お父さんは悲しむお母さんをつきっきりで慰めていた。
お部屋に戻ってカーテンをめくる。暗がりのお外で、はっきり見えない時ちゃんのお部屋を確認するけど、明かりはもちろん点いてないことを確認した。
九時が回って私は確信する。机の引き出しの奥に隠したノートに、今日の時ちゃんの様子を書く。
「時ちゃんがしにましたでもお母さんが悲しんでたお父さんもそれにつき合って大変そう私は幸せだけどこれはだめだよね時ちゃんはいないけど幸せじゃないよね?」
このまま明日を迎えたら、私の大好きなお母さんは本当に幸せなの?
じゃあどうすればよかったのかな。あの時、時ちゃんが我が家に入ってきて、居間で遊んでて、時ちゃんがおつかいに行って……
ううん、もう寝よう。だってどう考えたって時ちゃんが悪いんだもん。時ちゃんが反省してくれないと無理だよ。変えられない運命だったんだよ。
私は考えるのを止めてベットへ、温かい毛布に顔を埋めた。せっかく着たお気に入りの服も、お父さんはそれどころじゃないみたいで気にしてくれなかった。
時ちゃんにあの言葉を伝えられなかったのが残念と思う。
でもどうせ、明日は来ないんだから、考えるのは今じゃなくてもいいんだ。
お母さん、今度は上手く明日を迎えられるように頑張るから、それまで待っててね。
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