恋人たちの週末

Kuruha

恋人たちの週末

「ねー。お腹すいた。……寒いし」


 ヒマリが呟くように言った。

 節電に勤しむ金欠気味の僕氏宅にはこたつなんてなく、布団を挟み込んだテーブルの中には他の布団が詰まってるのみだ。


「買い物行こうよー、コンビニとか……?」

「無理でしょ。ここから一歩も出られそうにない」


 二人してコタツモドキに足を突っ込んで、お互いの足をまさぐり合う。人肌の方が布団の何倍も暖かい。


「なあ。これ、普通に布団敷いた方が暖かいんじゃないの?」

「だーめ。こたつって雰囲気が大事なんだから」


 ヒマリはこれでいいらしい。まあ、本格的に冬になるのはまだ先だから、今のうちに寒さに慣れるのも必要だろう。


「じゃあコンビニじゃなくていいから、何か食べ物ないの?」

「ないかなー……あとはもうカフェオレの粉とかくらいしか」

「ああそれでいい。温かいカフェオレ飲みたい」

「……牛乳ないからお湯でいい?」


 頷くのを確認すると、仕方なくコタツモドキから脱出する。まだ初冬とはいえ、暖房器具のないワンルームは中々に寒かった。

 コタツモドキに置いた電池で動く給湯ポットに、もう残り少ない、スーパーでボトルに貰える水を入れる。別に熱するから水道水でもいいのだけど、そもそも水道が使えるのかすら定かではなかった。

 僕は、マグカップとスティックタイプのカフェオレの粉、スプーンなんかを二人分用意してからヒマリの元に戻る。その間、彼女は実に退屈そうに、何度も読み込んだオーディション雑誌を捲っていた。

 水が沸騰したことを知らせる音がすると、ヒマリは嬉々としてカフェオレを作ってくれた。


「粉がだまにならないように、まずは少ないお湯で粉を練るんだよー」


 言いながらスプーンでマグカップの中身を練り始める。しばらくそうやってから再びお湯を注ぎ、僕に渡してくれた。


「さあ。召しやがれ」

「なんで命令なんだ……ありがとう」


 大人しく受けとると、ヒマリは自分の分を作り始めた。

 僕は出来上がったカフェオレを飲むこともなく、それを見つめる。


「……なーに」

「いや、……可愛いなと」

「あらー? ありがと」


 にんまりとした表情で、ヒマリは出来上がったばかりのカフェオレに口を付ける。僕もそれにならって、まだ熱いカフェオレを飲み始めた。

 お湯で作るより牛乳で作ったほうが何倍も美味しい。そんなことはわかりきっていたけれど、今はこれが何よりのご馳走に感じた。

 薄いけど、甘い。


 彼女も上機嫌そうにメロディを口ずさむ。それは僕にとっては聞き慣れた音で、ついぞ世に出ることはなかった旋律だ。


「……結局、無理な話だったのかな」


 オーディション雑誌をみつめながら、僕は言った。雑誌は、俳優と歌手の募集ページが、特によれよれになっている。


「……さあ。わかんないね」


 何度オーディションを受けたかなんてもう覚えていない。何度一次だけは受かったかも最早数えていない。


 締切が何週間も前の雑誌を見続ける意味に至っては、考えてはいけない。


 審査員も観客も、もういないのに。なんて思ってはいけない。


「ねえ。ゾンビパニックものの映画だったら、こういうときどうするんだろうね?」

「そうだねえ。僕が主演なら……、ヒロインと一緒に、マシンガンなんかを駆使して街から脱出してみせるよ」

「……じゃあ、やってみせてよ」

「……マシンガンがないよ」


 カフェオレで温まった身体を投げ出す。

 そして、どうしようもないんだと自分に言い聞かせる。

 ただ、すぐ触れられる位置に、ヒマリがいることだけを考える。その肌はまだ温かい。


 涙は、とうに枯れ果てた。

 これじゃ役者失格だ。好きに泣けもしないなんて。


「ねえ」


 ヒマリの声がする。


「うん?」

「好きだよ」

「……うん。ありがとう」


 あとどれだけ生きられるかわからないけど、わからないからこそ、言っておきたいこともあるのだろう。それは僕も同じだ。


「好きだよ」


 これはとても言い慣れた言葉で。


「知ってる」


 とても聞き慣れた声だった。

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