第21話 呪帰巣


 迫る霊力に、都季はハッとして顔を上げた。

 反射的に逃げようとするも遅く、矢が胸の中心を射抜く。


「っ!?」


 軽く当たった感触がした直後、硬質な何かが小さく音を立てて割れたような気がした。

 左腕から黒い影が噴き出し、結界の天井付近で黒雲へと変わる。


(あの子から呪詛は全て抜けた。あとは……!)


 麗は都季の中に呪詛の気配がないことを確認すると、片手に持つ神器へと霊力を送った。

 都季の胸に刺さっていた矢がまた白い光を放ち、白い光の蛇に変形して都季の肩に乗る。時折、その光の中を黒い影が揺らめいているのは、真白が取り込んだ呪詛の影響だ。

 反時計回りに渦を巻いていた黒雲は、光の蛇が現れた途端に動きを止めた。そして、まるで磁石に反応した砂鉄の如く光の蛇へと吸い寄せられる。

 光の蛇は大きく口を開けて黒雲を飲み込んだ。黒雲が光の蛇に吸い込まれるにつれ、蛇の色は徐々に黒ずんでいく。


「うっ……」


 ずきんと痛んだ頭に、麗は小さく呻き声を上げて片手でこめかみを押さえた。

 異変に気づいた龍司が後ろで一歩踏み出した音がしたが、それより先に麗は弓を持ち直して前を見据える。近寄るな、と霊力で圧して。

 黒雲が全て光の蛇に吸収された。


「さぁ、お家に帰る時間よ。……花音ちゃん! 解いて!」

「分かった!」


 離れた位置にいる花音に言えば、グラウンドの隔離が解かれた。

 麗も結界を解き、ゆっくりと斜め上に向けて弓を引く。黒い光の蛇が麗の手元に飛来し、矢となって番えられた。

 矢の一部に触れた麗の頬は火傷を負っているものの、今は痛みすら気にする余裕はない。

 刻裏が幻妖界から持ち出し、龍司が解析した書に記されていた呪詛の特徴。核を移行するに当たって解析された書を見直した結果、今回の呪詛は根付けば引き剥がしが面倒な点はあるが、『呪詛を掛けた者の意思』を持続することはないと分かった。これは、龍司の思いついた核の移行は可能だということを裏付けた。

 そして、麗が今しがた行ったのはその『核の移行』であり、跳ね返し自体はここからが本番だ。


「――遙か彼方、大樹の在りし地こそ芽吹く大地」


 途中で落ちることがないよう、矢に自身の霊力を薄く纏わせる。あとは、矢が含んだ呪詛と同じ力のある場所を目指すだけだ。

 巳の能力は透視。あらゆる物の中に潜む呪詛を見通す力だ。まだ試したことはないものの、上空からなら探り当てられるかもしれない。


「――導かれるがままに飛べ。呪帰巣(じゅきそう)!」


 詠唱が完了すると同時に麗は矢を放つ。

 上空へと飛んだ矢は、最高点に達すると一度ぴたりと止まり、青い炎に包まれた。だが、燃え落ちてくることはなく、そのままくるりと向きを変えて南西の方角へと向かった。

 青い炎が凄まじいスピードで飛んでいくのを見て、才知は慌てて町中にいるであろう葵に連絡を取る。


《何――》

「南西方面!」

《……ああ。こちらからも見えている。色々と言いたいことは後に回そう》

「後でも言わなくていいから!」


 現在、葵を始めとする警邏部は、夜陰の切り取った呪詛の一部を使い、別の場所で破綻者を誘い出している。

 突然、方角だけを言った才知に、葵はどうにか文句を飲み込んで空を見たようだ。一般人の目には映ることのない青い炎が滑空しているのを見て、追えと言っているのだと理解した。

 言葉足らずになった点については、才知自身も申し訳ないとは思っている。ただ、才知が謝罪するより先に通話が切れてしまったため、帰ってきたときに何と言おうかと新しい悩みが生まれた。

 それも魁の言葉によって遮られたが。


「なあ。都季の霊力って大丈夫なのか?」

「あ、そうだった」

「ちょっと」


 呪詛により自身の霊力を暴走させた都季は、座り込んだまま動かない。青い炎が小さくなる空をぼんやりと見上げている辺り、霊力が再び暴走する危険性は低いように見受けられる。

 しかし、魁達はまだ許可が出ていないため、駆け寄りたい衝動を抑えていたのだ。

 すっかり抜け落ちていた役割を思い出した才知を、悠が非難の目で見る。

 才知はそんな視線などないかのように歩き出し、陣の端で足を止めた。陣に残っている霊力の残滓を探り、踏み入っても問題はなさそうだと見ると内側へと入った。

 都季の霊力の流れを慎重に探りつつ、正面でしゃがんで顔の前で片手を振る。


「おーい、都季。意識はあるか?」

「……へっ!? あっ。は、はい!」


 遠くを見ていた都季は、視界に入り込んだものに何度か目を瞬かせた後、漸く我に返った。

 抑え込まれていた霊力が溢れ出た分、今の都季にある霊力は血統組の平均的な霊力とほぼ同じくらいだ。


(溢れ出てこれか……。末恐ろしいねぇ)

「龍司君! 麗ちゃん!」


 いつになく真面目な表情の才知に、都季は何かまだあるのだろうかと不安を募らせる。

 だが、それをかき消したのは花音の悲痛な声だった。

 花音は麗のもとに駆け寄ると、腕や足に出来た細かい裂傷や頬の火傷を見て顔を歪ませた。


「早く手当てしないと……!」

「あたしは大丈夫。取り込んだ呪詛も真白が引き継いでくれてるし。それより、龍司を先に……」

「龍司君は紫苑君が運ぶから、麗ちゃんも無理しないの!」


 横を駆け抜けた紫苑が龍司の容態を見ているのが視界の隅に入った。

 龍司は麗を庇って負傷している。止血も軽くしか出来ていないため、早急な手当てが必要だ。

 また、麗はまだこの場を離れるわけにはいかなかった。


「でも、まだ成功してるか分からないし……」

「――宝月、制限解除。形態、神使」

「聞いてる?」


 飛ばした矢は神器の一部だ。目的を果たせば消えるものの、本当にルーインのもとに届くのか、不安がないと言えば嘘になる。

 しかし、手早く神使を喚んだ花音には、麗の要望を聞き入れる気はないようだ。

 紅白の注連縄を首に巻いた真っ白な牛――神使の吹雪が花音の傍らに現れ、黒いつぶらな瞳を麗に向ける。

 花音と吹雪のふたりに有無を言わせぬ目を向けられ、麗は深い溜め息を吐いて折れることにした。神器の形態を維持しておけば、最悪、無関係の場所への落下は避けられる。


「ほら、吹雪に乗って」

「……目立つから、肩だけ借りるわ」

「え」

「モッ!?」


 疲労感はあるものの、歩けないことはない。

 麗はまだ物言いたげなふたりに苦笑を浮かべつつ、吹雪の肩に手を置いて支えになってもらうことにした。

 そのやり取りを見た後、才知は陣のすぐ側まで来ている魁達に気づく。


「お前らも大概だな……」

「入ってもいいか?」


 そわそわと待ちわびる姿は、「待て」をさせた犬のようだ。最も、魁については「戌」なのであながち間違いではないが。

 才知は苦笑しつつ、もう問題はないと判断して頷いた。


「ああ。大丈夫だ」

「都季!」

「うわっ」


 才知が言い終えるより少し早く、魁は陣の中に入って都季に飛びついた。

 都季は、勢いよく抱きついてきた魁に押し倒されそうになったのを堪えつつ、後からやって来た悠と琴音を見上げて苦笑を零す。


「ごめん。いっぱい、迷惑も心配もかけて」

「本当にな! あんなの腕にいたとか、もっと早くに言えよ!」

「あー……いや、大したことないと思って……」


 消えた傷跡がたまに浮かぶのは異常だが、すぐに消えていたので相談する程でもないと思ったのだ。

 すると、悠が大きな溜め息を吐いてから釘を刺してきた。


「素人判断は怖いんですから、今後は何かおかしいと思ったらすぐに言ってくださいね? もしくは、何か隠してると思ったら僕か琴音先輩が全力で暴きますから」

「うん」

「え」


 記憶を視ることのできる悠と、心の声を聴くことができる琴音にかかれば、隠し事は簡単に暴かれるだろう。

 それはそれで困ることも出てくるため、都季は体調については異変があればきちんと話そうと決めた。


「ひとまず、調律部に戻って詳しく調べるか。茜ちゃんにも報告しないとな」

「そう言えば、イノ姐が来てないのは意外でしたね」

「警邏がやってる事の影響が店にも出ないか、念のため警戒しとくってことで依月にいるんだ。都季がいたからとはいえ、一回襲撃受けてるから、寄ってこないとも限らないし」


 依月は一般人の客も従業員もいるが、依人の客も従業員も多い。もし、警邏の誘い出しに引っかからない破綻者がいた場合、激昂して依月を襲う可能性も少なからずあるのだ。また、依月以外の場所で起こる可能性も勿論ある。

 その対応のため、茜や一部の十二生肖は局には集わず、町に散っているのだ。

 簡単に説明した才知は、先ほどから顔色があまり良くない都季を見て首を傾げる。


「歩けそうか?」

「はい。たぶ、ん……?」

「おっと」


 魁の手を借りつつ立ち上がった都季だったが、ぐらりと視界が揺らいで前へと体が傾いだ。

 すぐに魁が支えたことで地面に逆戻りにはならなかったものの、足に力は入りそうにない。


「珀」

「ガウ」


 見かねた才知が、一旦、幻妖界に戻していた珀を再び喚び出す。

 都季は、乗り易いよう地面に伏せてくれた珀に礼を言ってから、背中に乗せてもらうことにした。

 調律部へと向かう道の途中、都季は肌に当たったペンダントがちくりと痛んだことに気づいて取り出す。


(割れてる……。そっか、俺の霊力が暴走したからか……)


 結奈から貰い、一時は仕舞っていたものの、月神の器が宿ってからは常に着けていた水晶玉のペンダント。その水晶玉は、僅かな欠片を残しているだけだった。

 このまま着けていると怪我をしかねないが、外す気力もない。何より、形見とも言える物が壊れてしまったことのショックもある。

 気落ちした都季を見た才知は、軽く都季の背中を叩いて声をかけた。


「あれだけ霊力を放って、呪詛の引き剥がしもしたんだ。体力と気力回復させるためにも、今からちょっと寝ておけ」

「ガウゥ」

「……ありがとうございます」


 才知はペンダントのことには触れない。形見を失った傷を抉らないためだろう。

 その気遣いに感謝しながら、都季は珀の背に体を預けた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る