第9話 犯人の正体


 茜からの連絡で、別の場所で依人を襲っている者がいると知った都季達は、すぐさま現場に向かった。

 到着したのは、北区でも山に近く、民家も疎らになっている場所だ。黙っていれば小鳥のさえずりさえ聞こえてくる程の、長閑な風景が広がっている。


「うーん。静かだし、追われている人とかいたら目立ちそうなものだけど……」

「ですねぇ。幸か不幸か、一般人には目撃されていないようですが、時間の問題でしょうね」


 追われている者は、助けを求めて叫んでいる可能性もある。ならば、悲鳴を聞きつけた一般人が通報していてもおかしくはない。最も、警察方面には局が手を回しているので、警察が直接動くことはないのだが。

 それでも、通報者の記憶を改竄する必要があるため、発見が遅れれば手間が増えるだけだ。


「つっきー。何か感じ取れたりする?」

「ふむ……。あの山の神が、少々苛立っておるな。あと、山の下辺りで霊力が乱れておる」

「げっ。マジか。厄介なことにならないといいけど」

「厄介なこと?」


 冷静に辺りを見渡して霊力の流れを視た月神は、少しばかり深刻な表情ですぐ近くの山を示した。嫌な顔をしたのは魁だ。

 一体、何が厄介なのかと都季が問えば、答えてくれたのは魁と同じく眉間に皺を寄せている悠だった。


「気位の高い幻妖には、自分の領地を荒らす輩を極端に嫌うモノもいるんですよ。立ち入りさえ拒むくらいのモノも」

「えっ。じゃあ、もし、茜さんの言ってた人達が山に入ってたら……」

「これだけ民家に近い位置の山故、多少の立ち入りは慣れておるはずだ。ただ、今回は入っている者が問題だのぅ」


 「ノーム」という幻妖の力を持つ継承者と、正体不明の犯人。継承者のノームについては、西洋では「四大精霊」のひとりとして有名でもある。

 それが何故、問題なのかと困惑していると、月神は軽く息を吐いて言った。


「ノームは大地の精霊。つまり、山神からすれば、同じ大地を司るものとして守りに入るか、もしくは……領地を侵しに来たと見て、追い出しにかかるか」


 どちらに転がったとしても、山の神ほどの強い力の幻妖が動けば、辺りに何かしらの影響が出てしまう。主には歪みや、眷属の幻妖の凶暴化などだ。

 月神は山を覆う大きな霊力の膜を見ながら、「今の状態ならば、後者かもしれん」と呟いた。


「じゃ、じゃあ、早くその山神をどうにかしないと――」

「っ、ぎゃああああぁぁぁぁ……!!」


 都季が駆け出そうとする直前、恐怖に染まった男の悲鳴が辺りに木霊した。上がったのは山の方だ。

 木に留まっていた鳥達が一斉に羽ばたき、木々が揺れる。山から吹き下ろされた風が、都季達の体を打った。


「悠。調律師に連絡を。山神がお怒りだ」

「承知しました」


 月神に言われ、悠は即座に支証を使って調律師に連絡を取る。相手は通信手段のある才知だ。

 都季はその様子を見てから、肩にいる月神に訊ねる。


「つっきーが行かなくていいのか?」

「ああ。確かに、我が出れば容易いことかもしれん。だが、今の我は『半神』だ。あやつらからすれば、何故、自分よりも弱い者の言うことを聞いてまで怒りを鎮めなければならないのかと、あやつらの自尊心さえ傷つける恐れがある」


 それが、不要な争いの火種にもなりかねない。

 だからこそ、月神は相手が高位の幻妖の場合、すぐに自分が出て行くのではなく、まずは相応の対処が取れる者を向かわせることにしている。調律師ならば、幻妖の扱いには慣れているので、今回も上手く治めてくれるはずだ。


「こういうとき、俺達が真っ先にやるのは、怒りの対象をいち早く引き離すことだ」

「引き離す……」

「まったく。山神の霊力が溢れたせいで探しにくいじゃないですか」

「だから、俺の出番だろ」


 魁と悠が都季より一歩前に出た。

 うんざりした様子の悠に対し、得意げに笑みを浮かべた魁は、目を閉じて深呼吸をひとつする。

 都季は魁が何をする気なのかと見ていると、突然、目を開けた彼は「あっちだ」と駆け出した。


「ほら、都季先輩も遅れないように行きますよ!」

「う、うん!」


 唖然としていると、悠に急かされ、慌てて魁の後を追った。

 山の麓の道は、舗装がされていないせいで地面が剥き出しの状態だ。追われている依人のものか、まだ乾ききっていない血が転々と落ちており、木々の間に生い茂る草にも付着している。


「急いだほうがいいようだの」


 血を見た月神は、一瞬だけ表情を歪めた。一刻も早く見つけなければ手遅れになる、と。

 それを聞いた都季達は、躊躇うことなく、山へと足を踏み入れた。

 足が地面に触れた瞬間、重力でも変わっているのかと思うほど、重い空気がのし掛かってくる。山神の霊力が満ちている証だ。

 恵月神社方面の山とは違い、北区の西側の山はまだ自然の形を強く残す。そのため、足元に生えた草も腰近くまで延びている。

 蛇が出ても気づけない高さに、都季は一瞬だけ恐怖を覚えた。しかし、正体不明の依人や幻妖を相手にするよりはマシか、と思えばすぐに恐怖心もなくなった。


「そういえば、加害者側の種族って、もう分か、ったぁ!?」

「おわっ!?」

「都季!?」


 緩い斜面を駆け上がっていると、都季は何か大きな塊に引っ掛かって派手に転けた。

 肩にいた月神は宙に放り出され、二、三回転してから空中で静止する。すぐに振り返れば、顔面から転けた都季はまだ地面に突っ伏したままだった。


「大丈夫か?」

「うう……。油断した……」


 都季の前にしゃがんだ魁は、周囲の草を払い除けながら都季に片手を差し出した。

 月神も都季の目の前で浮遊すると、よく似た過去を掘り返す。


「前も、山男から逃げているときに躓いておったのぅ」

「草が長いから、木の根が見えなかったんだよ」


 あまり思い出したくない一件だ。

 からかってくる月神を半目で睨み返しつつ、魁の手を取って立ち上がる。そこで、真っ先に冷やかしてきそうな悠が未だ口を閉ざしたままのことに気づいた。

 辺りを見回せば、都季が躓いた場所の草むらが倒れており、草の合間からは白に近い灰色の髪が見えた。


「…………」

「悠。どうかしたのか?」

「木の根じゃないですよ、これ」

「え? じゃあ、何が――っ!?」


 まだ数メートルしか離れていない悠に声をかければ、草の影から顔を覗かせた彼は深刻な表情で言った。

 一体、何を見つけたのかと歩み寄った都季達は、なぜ、草が不審な形で倒れているのか合点がいった。


「ひ、人が……!」


 倒れていたのは、一人の中年の男性だ。見覚えのある白を基調とした制服に身を包んでおり、彼が何者なのかすぐに分かった。


「コイツ、追ってた調律師だろ」

「ええ。幸い、まだ脈はありますから――医務班に出動要請。場所は、北区Bブロック」


 動揺を隠せない都季や怪訝な顔をする魁に対し、悠は倒れた調律師の男の首に手を当て、まだ生きていることを確認した。その後、携帯電話で医務班に連絡を取り、手短に場所と怪我人の容態を伝える。

 都季達は周りを警戒しながら、被害者と犯人が逃げた先を探そうと耳を澄ます。

 先に音を捉えたのは、やはり魁だった。


「あっちだ!」

「――宝月、制限解除。形態、神使。御黒、茶胡。この人をお願い」

『がってん!』

『しょうちー!』


 悠の宝月から飛び出した光の玉が、宙で弾けて中から御黒と茶胡が出てきた。

 ただ、ここは人間でも腰に届こうかという草むらだ。宙に浮けない二匹は、重力に逆らって草むらの中にぽすんと落ちた。

 草が微かに揺れる箇所から二匹のおおよその位置は分かるが、やや正確さに劣る。早々に倒れた人間の位置を判明させなければならないが、これでは怪我人共々見つからない。

 怪我人の上でキイキイと鳴く二匹を見つめたまま、悠は思ったままを口にする。


「草で遠くから見えないから、カピバラくらいになっとく?」

『『ちっちゃくないもん!』』

「ま、まぁ、この辺りだけ草が倒れてるから、見えなくはないよ。……多分」


 都季も調律師に気づかずに躓いた手前、断定はしかねた。

 だが、今は怪我人をより早く見つけてもらうための手段を講じるよりは、二匹に任せたほうがいい。

 悠は小さく溜め息を吐くと、調律師に乗ったままの二匹に言う。


「いい? 気配がしたら鳴くんだよ。もしくは、どちらかが迎えに行くこと」

『『はーい』』

「軽いなぁ……」


 片手を挙げて間延びした返事をする二匹に、果たして任せてもいいものかと強い不安を覚えた。

 そんな悠を、珍しく都季が急かす。


「行こう、悠。嫌な予感がする」

「あ、はーい」

「お前も人のこと言えねぇよな」


 御黒達と同じように悠ものんびりとした返事をした。

 そんな彼に魁は呆れを滲ませつつ、都季と共に先を急いだ。




 刃が肉を裂く。

 血飛沫が宙を舞う。

 悲鳴が空気を叩く。


「ぎゃああぁぁぁぁ!!」

「…………」


 何度経験しても、決して慣れることはなかった。

 痛みに悲鳴を上げ、斬られた右腕を押さえて揉んどりうつ男を、冷静なままで観察する。決して、油断を見せてはいけない相手だからだ。

 得物を握り直し、再び構えたときだった。


「や、っと、見、つけた……!」

「っ!」


 新しい気配が、突然、現れた。辺りに満ちた神気で他の霊力が分かりにくいせいもあるが、よほど目の前の男に集中してしまったようだ。

 だが、その声には覚えがある。一番、知られたくなかった人だ。

 最初に声を上げた青年に続けて、別の青年が声を発する。ただ、その声音は驚きからか震えていたが。


「おいおい……。冗談だろ」


 現れた気配は全部で四つ。どれもとてもよく知る者達だ。

 愕然とする青年の隣で、息を切らせていた青年も状況を目にして息を飲む。

 代わりに、最年少の少年が怪訝に問うてきた。


「そこで、何をしているんですか?」

「…………」


 言葉は丁寧だが、声音は酷く冷たい。

 少年の視線が、手元にある得物に移った。

 握り締めたままの二振りの小刀には、まだ新しい血が付いている。


「その小刀を、何に向かって振るいましたか?」

「…………」


 少年の問い掛けに対して考えてはいけない。言葉にせずとも、彼はその力でもってして、他者が思い浮かべた記憶を視ることができるからだ。

 ならば、視られないように何も考えなければいい。思考をすべて止めてしまえばいい。

 ただし、それはあくまでも彼が相手の意思を尊重する間だけの話だ。


「手間をかけさせないでください。僕は、あまり気が長くありません」


 少年が一歩前に踏み出した。

 それに反応して、足が一歩下がった。しかし、その足は酷く震え、気を抜けば座り込んでしまいそうだ。

 少年――悠は、仕事の対象を見るような冷たい目で真っ直ぐに見据えて言う。


「『閉ざす』なら、無理やり視させてもらいますからね。――琴音先輩」




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