第6話 接触
放課後、正面玄関で悠と合流してから、四人は都季のバイトのこともあって依月に向かうことにした。
広いグラウンドを歩きながら、昼休みに途中になってしまった悠の話の続きをする。
「それで、言おうとしてたのってなんだったんだ?」
「え。魁先輩達、話してなかったんですか? 月神ですら?」
「お前みたく記憶いじれないし、下手に教室で話せなかったんだよ」
「我は先ほどまで局に行っておったしのぅ」
聞かれたときの対応なら後でもやるのに……と、悠は思わず大きく溜め息を吐く。
後で悠が動く手間を省いてくれたのかもしれないが、それならば一言相談くらいは欲しかった。
「それならそうと連絡してくださいよ。何のためのケータイですか? 『ほうれんそう』って知ってます?」
「野菜の?」
「はぁ?」
「……報告、連絡、相談のこと」
「あっ」
きょとんとした魁に、悠の表情が険しくなった。心の底からの感情だ。
見兼ねた都季が小さく言えば、知ってはいたらしい魁は「しまった」と顔に出す。
「社会人の基礎ですからね? いくら幻妖世界が一般社会とは異なるとはいえ、それくらいの常識は同じですよ。一つの組織なんですから」
「年下に怒られた……」
「僕を誰だと思ってるんですか。幼い頃から芸能界にいる上、多くの知識を受け継いだ十二生肖の子ですよ?」
「……すいません」
もはや返す言葉もない。
二人のやり取りを苦笑しながら見ていた都季だったが、ふと、門を出てすぐの所に黒い乗用車が停まっていることに気づいた。学園には外来の客も多いため、何ら不思議ではないのだが、なぜか気にかかる。
丁寧に磨かれた車は汚れ一つ見当たらず、後部座席側と後ろの窓はスモーク加工がされていて中が見えにくい。
助手席に目をやった都季は、車内から外を窺っていた少年と目が合い、反射的に目を逸らした。
(見過ぎた。さすがに失礼だったかな……)
「……逃げて」
「え?」
突然、今まで黙っていた琴音が都季を庇うように前に出る。
何事かと思った矢先、車からスーツ姿の男が三人出てきた。一人は助手席にいた、童顔のせいで都季達とさして変わりないように見える年代の青年。あとの二人は二十代前半くらいだ。
穏やかではない様子に、都季は思わず足を止めた。
「『特務自警機関』」
「え?」
「厄介なのが来おったな」
琴音だけでなく、魁と悠、月神も彼らが何者であるかすぐに理解したようだ。
悠が呟いた名前は分からないが、「自警機関」と聞いて警察を連想した都季は、自分が何か犯罪を犯してしまったかと思考を巡らせてしまった。
目の前に来たのは、銀縁の眼鏡を掛けた黒髪の青年だ。
彼は琴音の前に立つと、彼女のことは視界に入っていないかのように真っ直ぐに都季を見て、上着の内ポケットから黒い手帳を取り出した。
開かれた手帳には彼の顔写真が貼られており、その下に組織名と名前が書かれている。
「特務自警機関の雲英と申します。あなたが、『更科都季』様ですね?」
「は、はい。そうですが……何か?」
都季は「雲英」と名乗った青年から、また手帳に目を移した。
「雲英七海」という名前の上には、「特務自警機関」、「特殊精鋭部隊隊員」と二段に分かれて書かれている。見たことも聞いたこともない組織と役職だ。
都季の問いに、七海は手帳を仕舞うと顔色ひとつ変えずに言った。
「詳しいお話は、我々の本部へ来ていただいてからになります」
「本部って……」
丁寧な口調ではあるが、淡々とした言い方のせいか冷たさを感じる。
怖じ気づいてしまった都季に反して、魁と悠は喧嘩腰で前に出た。
「おい。特務が何の用だ」
「そうですよ。こんな目立つ場所と時間で未成年を連行しようなんて、僕らとの規定を破ってますよ?」
その二人を見て、青年は眼鏡のブリッジを指で押し上げる。レンズの奥で濃紺の瞳が怪訝に細められた。
「総長の許可なら得ていますが」
「僕らの許可は? 困るんですよね。この目撃者の数では『後始末』が」
悠は一歩も引く気はなかった。周囲には異様な光景に足を止めたり、視線を寄越す生徒が増えてきたが、それを引き合いに出して帰ってもらおうとしている。
七海も辺りを一瞥して状況を確認したが、それでも都季を連れて行こうとする姿勢は変えなかった。
「それに関しては我々も最善を尽くす所存です。月神様の御前でもありますので」
「相応の理由があるのだろうな?」
「もちろん。だからこそ、我々は最善を尽くすと申しております。あなたに、共に来ていただくために」
「なら、所定の手続きは踏んでくれませんか? この人、もう一般人ではないので」
都季は局に登録している依人だ。それも、局に繋がりの深い。
連れて行くならば局に事前申告が必要だが、悠達は局から何の連絡も受けていないのだ。
食い下がる悠に、七海の表情が一瞬だけ曇った。
「何なら、総長にはこちらから抗議しても――」
「……! 更科君、後ろ!」
「うわっ!?」
琴音の声で振り返ろうとするより早く、左右それぞれから童顔の青年と茶髪の青年に腕を捕まれた。そのまま、引き摺られるようにして、正門に横付けしていた車に乗せられる。
月神が肩にしがみついていたが、引き剥がす様子はない辺り、一緒に来ても問題はないようだ。離しても意味がないと知っているからかもしれないが。
「こ、これ、どこに行くんですか!?」
都季は半ばパニックに陥りながら誰へともなく訊ねた。
そんな都季をよそに、運転手が金髪の青年から茶髪の青年へと変わり、金髪の青年はどこかへと歩いて行く。
不安が押し寄せる都季の耳に届いたのは、穏やかな青年の声だった。
「ご無礼をしてすみません、更科様。総長がお待ちなんです」
答えたのは助手席に座った童顔の青年、岸原慶太だ。彼は申し訳なさそうに言うと、思い出したように「あ。城木先輩の運転はすごく荒いので、シートベルトはしっかりしておいてください」と笑顔を浮かべた。
城木というのは運転席についた茶髪の青年、城木伊吹のことだ。
気怠そうな彼の様子を不思議に思いつつも、シートベルトを締めるかどうか迷う。外へ出ようにもロックが掛けられ、出られたとしても魁達と距離がある以上、逃げ切れるとは思えない。
「下手に抵抗せんほうが利口かのぅ」
「月神様は話が早くて助かります」
「この姿では我も万全ではないからの」
月神が都季の肩に腰を落ちつけたのとほぼ同時に、隣に七海が乗ってきた。
ただ、彼は運転席にいる伊吹を見てぎょっとした。
「岸原。なぜお前じゃない」
「え? 七海先輩は足止めしてましたし、桜庭副長が『初心者な慶ちゃんより、いっちゃんのが速いから』って仰っていましたよ」
「あだ名で呼ぶな。あの人は一体なに考えて――」
「おいおい、いつまで喋ってんだ? 舌噛むぜ! 子犬ちゃんと
「それで呼ぶな!」
どこか顔色の悪い七海がぼやくのを遮ったのは、目付きの鋭くなった伊吹だった。
彼が口にしたのは反応から察して慶太と七海のことだろう。どちらが七海のあだ名かは都季には分からなかったが、彼が嫌っているのは理解できた。
伊吹はエンジンをかけると、勢いよくアクセルを踏んだ。
「おおっ!?」
「つっきー!」
急発進した車に既視感を覚えたのも束の間で、都季は肩から転がり落ちた月神を慌てて掴んだ。
一方で、動けずに外で見ていた魁はすぐさま地を蹴った。
「悠、あとは任せた!」
「ちょい待ち」
今まで動けなかったのは周りの目があったからだが、相手が動いた以上はじっとしていられない。
しかし、そんな二人の前に立ちはだかったのは残った金髪の青年、桜庭斎だった。
「なんで副長が出てきてんだよ」
「それだけ大事なことやねん。大人しぃしとってや? 『昨日』みたいな手荒な真似はせんから」
そう言った斎の傍らの空中で火花が散り、小さな光の球が発生した。
光の球は膨張しながら変形し、電気を纏う巨大な鳥になる。
昨日、都季が依獣に拐われたと聞いて予想はしていたが、やはり犯人は斎だった。
周囲の生徒に動揺が走る中、斎は頭上に一つの青い立方体の石を飛ばした。それが空高くまで上がると、腰のホルダーに挿していた拳銃を取り出して撃った。
上を見ずに撃たれた弾は石に命中し、四方八方へと破片を散らす。
きらきらと太陽の光を反射した石の破片が地に降ると、銃声によってさらに騒いでいた生徒が次々とその場に倒れていった。
「何したんだ?」
「心配あらへんよ。新作の道具の、臨床実験みたいなもんや。これで大丈夫やろ?」
「やだなぁ。荒業すぎますねー」
拳銃をホルダーにしまった斎が不敵に笑む。
それに対し、生徒の記憶が改竄されたと知った悠は、にっこりと無邪気な笑みを浮かべた。
静寂が辺りを満たす。
やや間を開けてから空気を裂いたのは悠と魁だった。
「「――宝月制限解除。形態、神使」」
悠は御黒だけを、魁は暮葉をボルゾイの姿で喚び出す。
斎の依獣が戦闘に備えてやや身構える。
しかし、悠は依獣を一瞥しただけで、御黒には別のことを命じた。
「御黒。都季先輩を追って」
『了解!』
「暮葉、御黒と一緒に追え!」
『はいどー! 暮、はぁぁぁ!? おちっ、落ちるぅぅぅぅぅ!!』
悠の手から払うように投げられて暮葉の頭に着地した御黒は、暮葉の垂れた耳を手綱の如く握って出発を促す。だが、突然走り出した勢いに負け、頭から転がり落ちた。なんとか尻尾を掴んで耐えているが、到着するまでに振り落とされそうだ。
間抜けな光景に、斎はそちらを見たまま言う。
「自分ら、あれで大丈夫なん?」
「特務の前でくらい、ちゃんと決めてよ……」
がっくりと落ちた悠の肩を、琴音と魁が慰めるように軽く叩いた。
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