第12話 止められる者は


「刻裏の奴、どこ行ったんだろう……。まだ手当てしたばっかなのに」

「変なことしなきゃいいけどな」


 魁のマンションのダイニングで、テーブルについていた都季は深い溜め息を吐く。

 すると、魁が湯気の立つカレーを口に運びながらあまり気にしていないように言った。

 刻裏が治療室から姿を消した後、都季は念のため月神と共に局内を捜索した。途中、月神が連絡したのか戻ってきた魁達や、依月に置いたままの荷物を持ってきてくれた茜にも手伝ってもらって。

 だが、刻裏は気配すら感じられないほど遠くに行ってしまったようで、姿は勿論、彼が通った痕跡でさえ見つけられなかった。

 今、刻裏を探すのを諦めた都季は、魁達と一夜のことをどう対応するか話し合うために彼のマンションへと来ていた。

 ケガをした足では遅くなる、と車で送ってくれた茜は別の仕事が入ったとのことで、部屋には来ていない。

 また溜め息を吐いた都季の前にずい、と出されたのは、月神用にカレーを盛った小皿だ。盛っていたはずの、彼用に具材を小さく切ったカレーはない。


「都季。おかわり」

「つっきー、食べ過ぎだぞ」

「お主が作る飯が美味いのが悪い」

「『責任転嫁』って言葉知ってる?」


 褒められていいはずのことだが、何故か叱られた。

 小さいサイズの月神だが、食欲は見た目に反して旺盛だ。彼曰く、「顕現するにも力を使うから、しっかり食べておかなくてはいけない」らしい。

 カレーは都季と琴音が作った物だ。ただ、魁が滅多に料理をしないせいで材料はなく、琴音が近くのスーパーに買い出しに行ってくれた。

 都季も一緒に行こうとしたのだが、彼女は玄関から靴を持ってくるなり、「一人でいい」とマンションのベランダから直接出掛けるという荒業で振り切った。

 さすがに三階から飛び降りられるほど、都季の体は丈夫ではない。

 諦めて琴音が帰ってくるまで炊飯と調理器具の準備をやっておこうとしたのだが、調理器具などは片づけているのか一切見当たらなかった。

 魁に聞きながら鍋やまな板、包丁を探しだしたが、目的の炊飯器が未開封の箱から出てきたときは軽く眩暈を覚えた。


「部屋が綺麗なのに調理器具の場所が分かりにくいってなに? せっかくの炊飯器も勿体ないだろ?」

「い、いや、その炊飯器はついこの間、実家から送られてきたばっかりで……」

「『ついこの間』? 箱に付いてた伝票の日付がおかしいのかな?」

「あー、えっと、うん。そうだな、一ヶ月、ちょっと……」

「ん?」

「すいませんでした」


 視線を泳がせる彼の言葉がうまく聞き返せず、かといってすぐに怒鳴るのは悪いと思って笑顔を向ければ、彼は土下座せんばかりの勢いで謝った。

 見た目こそ普通のカレーだが、魁に軽く説教をしながらの、通常の倍近い時間のかかったカレーだった。

 よそったカレーを月神の前に出せば、彼はさっそく食べ始めた。よほど腹が減っていたようだ。

 その様子を見てから、気になったことを魁に訊ねる。


「普段のご飯はどうしてるんだ?」

「外食か買ってきたりとか、その時だけ実家に帰ったりとか、誰かが来て作ってくれたりだな。炊飯器は……ともかく、作ってもらってもご飯物以外だったな」

「魁は、家庭科、いつもい――」

「わああぁぁぁ!」

「……苦手なんだな」


 魁の成績を口にしようとした琴音を魁が慌てて止めるも、必死な表情から悲惨だとは分かった。

 よく一人暮らしを実家が許可したなと思いつつ月神を見れば、彼は早くも完食していた。


「ふー。馳走になったの」

「……メタボ神様」

「なんだ?」

「なんでもない」


 満足した月神だが、都季はこのままの状態が続いた先の結果に頭を抱えたくなった。

 耳聡い月神が問うてくるも答えはぼかしつつ、話を違うものへと変える。


「刻裏がいなくなったってのに、ずいぶん呑気だな」

「あやつは神出鬼没だからの。気配がない以上、探すだけ無駄だ」

「そうだけど……」

「ま、あそこから逃げられるくらいには回復してんだ。なら大丈夫だろ」


 なにせ、幻妖の扱いに秀でた調律師がすぐそばにいる中での脱出だ。

 都季は調律師がどのようなものか詳しくは知らないが、歪みを塞いだり幻妖の保護や送還などをする部署だとは認識している。となると、治療時には刻裏を外部から守るために結界を張っていたかもしれない。それを掻い潜って逃げるには相応の力が必要だ。

 しかし、都季はどうしても納得ができなかった。


「せめて、一言くらい言ってくれれば……」

「お主、言われたら離れんかっただろう?」

「うっ」


 痛いところを突かれてしまった。これでは月神に責任転嫁の意味を求めた示しがつかない。

 すると、食べ終えた食器を片付けた琴音が都季を慰めようと口を開く。治療部屋を出るまでに聴こえた言葉を伝えるために。


「狐さん、すごく感謝してた。だから、恩返しをしたいって」

「恩返し?」

「うん。何かは分からないけど……」


 小さく頷いた琴音だが、刻裏の言う「恩返し」が何かまでは聴こえなかった。ふと、ベランダの方から聴こえた声に反応して見れば、大型犬ほどのサイズの白い狐がいることに気づいた。

 琴音だけに聴こえるのか、都季や魁、月神は首を傾げている。

 そして、狐が直接、琴音に語りかけてきた言葉を聴くと都季へと視線を戻す。

 魁と月神がベランダを見るも、狐はいなくなっていた。


「……今日、泊まっていったほうがいいと思う」

「え?」


 琴音は都季の疑問に答えず、淡々と話を進める。その表情はどこか不安そうで、説明できない何かがあるのかもしれない。

 都季が説明を求めるように魁を見れば、彼も意味を分かりかねているのか首を傾げた。ただ、月神は何かに気づいたのか真剣な面持ちだったが。


「ならば泊まれば良い。ここに集ったのも、猫の対策を練るためだしのぅ」

「あ、そうだった」

「忘れておったのか」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」


 一夜の様子がおかしかっただけに、どうにも危機感を抱けずに優先順位が下がってしまう。

 だが、実際に命を狙われてしまっては対策を講じておかなくてはならないのも事実。

 気持ちを入れ換えた都季は、まず、状況を整理することから始めた。


「ちょっと、整理だけさせて。……まず、一夜さんが局を出た切っ掛けは、前任の午の人なんだよな?」

「ああ。今は紗智さんの弟の千早先輩が役を引き継いでる。さっきいた人な」

「紗智さんと一夜さんは幼馴染で、すごく仲が良かったの」

「喧嘩はようしておったが、互いに互いを想っていたのう」


 彼女の力を知っているからこそ、何よりも大事な人だったからこそ、亡くなったことを一夜は今も受け入れきれていない。

 それは両親を失った都季にもよく分かる。


「俺らは現状を見てたから、あの作戦については疑ってない。けど、さっさと後任を決めて、特に何かするわけでもなく通常業務に戻ってたんだ。あれは変だったな。それだけかよ? ってな」

「うん……」


 いつまでも立ち止まっているわけにはいかないとは分かっている。当時はいつ、依人や幻妖が暴れてもおかしくない緊迫した日々だったため、穴を開けたくないという先代達の気持ちも。

 月神は顎に片手を当てながら渋面を作った。


「後任に関しては、宝月が受け入れた者にそのまま任せておる。故に、我は後任への引き継ぎはよう知らんのだが……今回はすぐに変えられておったのか?」

「そりゃもう、亡くなったその日に千早先輩呼ばれたくらいっスよ? いくらなんでも早すぎだろって、俺達も思ったくらい」


 十二生肖に穴を開けるのは良い話ではないが、数日ならば問題はない。月守であるなら話は変わってくるが、あのときの月守は子の悠であり、当日に決めるほど急ぐ必要はない。だからこそ、すぐに後任を決めた先代達には違和感があった。

 それを聞けば、局に対して不満を持つ一夜の気持ちも理解できる。


「おかしいのぅ。後任を決めるのは時期を見ろといつも言うてはおるのだが……」

「……やっぱり、俺と両親が関わってるのかな」

「あー……」


 都季は責任を感じ、視線をテーブルに落とす。そもそも、紗智が動く大元のきっかけを作ったのは自分の存在なのだ。

 否定も肯定もできず言葉を濁した魁に対し、はっきりと否定したのは琴音だった。


「違う」

「「え?」」

「更科君は、何も知らなかった。だから、何も悪くない。知ってて、何もできなかった私達のほうが、きっと……」

「……そうだな。お前は気にしなくてもいいんだよ。今回の猫の件だって、本当は都季が関わることじゃねぇんだし」


 苦笑を浮かべた魁だが、都季は本当に「知らなかったから」で済ませていいのかと自問した。

 そう言い聞かせてしまえば、確かに都季の気持ちは救われる。しかし、それは魁達にすべての責任を背負わせるのと同じだ。


「あの時、俺は何も知らなかったんだよな……」

「仕方ねぇって。親が隠してたんだからさ」

「でも、今は知ってる」


 両親が亡くなった原因や、一夜の過去に何があったのか。そして、局の事情の一部を。

 知っている今、関係ないからと逃げるのは、今の責任も放棄することになる。知らないならば、今から知っていけばいいだけの話だ。


「どこまでできるかは分からないけど、知っている以上はなんとかしたいんだ。だから……一夜さんに、どうにかして紗智さんの言葉を届けられないかな?」

「紗智さんの? どうやって?」

「もう、ここにはいないのに……」

「一般人であったなら、特体者を使えば呼べよう。だが、十二生肖の魂ともなると、今の特体者には難しい。また、呼べたとしてその身に降ろしても、それを本人だと一夜が信用する根拠はない」


 死者の言葉を伝える術はごく僅かだが、都季は何度かテレビで霊媒師などがその身に死者を憑依させているのを見たことがある。

 以前ならば、憑依というものが本当にあるのかと疑っていたが、幻妖世界のことを知ってからはすべてが嘘ではないのだと知った。

 もし、それができるなら、という都季の意図を察した月神は、それを口に出されるより先に却下した。

 特異体質者には死者の魂を呼び出せる力を持つ者もいるが、他人から語られる言葉を、果たして局の説明を受け入れない一夜が聞くだろうか。

 それを考え直し、無理だと息を吐いた。


「やっぱり、無理かな……」

「なぁ。そもそも、なんで紗智さん?」

「だって、一夜さんって紗智さんと特別親しかったんだよな?」

「二人は、恋人になったばっかりだったよ」

「うん。だから、紗智さんの言葉なら聞くんじゃないかなって」

「なるほどな」


 また、一夜は千早を見た瞬間に攻撃の手を緩めていた。

 紗智の弟を前に動きが鈍るなら、本人がいれば考えを改めるのではないかと思ったのだ。

 だが、月神の言うとおり、姿が見えない者の言葉を信用しろというのは無理にもほどがある。


「なんとか姿を見せる方法はないかな?」

「うーん……」

「特体者は死者の言葉を伝えるけど、姿を具現化するのは無理だ。月神の力を具現化した都季じゃあるまいし。だから、説得なんてのは――」

「まぁ、できなくはないの」

「そうそう。できなくはな……え?」

「できるのか!?」


 突然、今まで考え込んでいた月神が出した言葉に、流れで同意しかけた魁は目を瞬かせて彼を見る。

 食いついた都季を「そう慌てるな」と宥めてから続けて言った。


「方法がないわけではない。ただ、都季には少々、負担になるがの」


 挑発的な笑みを浮かべた月神に、都季達は方法があるならば、と真剣な面持ちで頷いて言葉を促す。

 満足そうに三人を見た後、月神はその方法を話した。

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