第15話 形見


「わぁ、月神がちっちゃい」

「お主、口が過ぎるぞ」


 翌日の昼休み。食堂で月神と対面した悠の第一声に、月神は苛立ったように返した。

 今朝の迎えに悠の姿はなく、魁達から「表の仕事の関係でちょっと遅れるらしい」と聞いている。売れっ子は平日の朝から忙しいようだ。

 今、食堂にいるのは悠が教室に来ると騒がれるので、会うなら食堂にしようと決めたからだった。ここでも目立ちはするが、教室よりは周囲が賑やかで話は紛れやすい。

 月神の姿もそれ相応の力がなければ目には映らないとのことだが、一応は彼自身の意思で他人には視えないようにしている。万が一、視えてしまったとしても、悠が記憶を弄れば問題はない。

 都季は悠の反応を見て、浮かんだ疑問を素直に出す。


「魁と卯京さんもそうだったけど、悠も月神を見るのは初めてなのか?」

「いいえ。ただ、局では基本的に月神本来の姿か神獣と同じ姿だったので、小さいのは初めてです」

「局は神降りの木があることや、器が何かに入っているわけではなかったからの。本来の姿は出せたのだ」


 小さい姿にはきちんと理由があった。てっきり、人間界だから小さいのかと思ったが、どちらかといえば小さい今の姿のほうが珍しいようだ。

 悠は月神から正面に座る都季へと視線を移して訊ねた。


「どうするんですか? 月神が顕現しちゃったら、気配だだ漏れじゃないですか。姿は隠せても、力が漏れてるんじゃ意味ないですよ」

「ふんっ。我に抜かりはないわ。都季、あれを出せ」

「はいはい……」


 登校時は魁や琴音がいたから依人や幻妖を牽制できたが、四六時中一緒にはいられない。対策は必須だ。

 肩に乗った月神に催促するように叩かれ、都季は持ってきた物を出そうと弁当を入れていた手提げの鞄を探る。

 その動作に驚いたのは月神だ。


「なぜ身につけておらんのだ」

「没収されたら嫌だし」

「そんなことを言うておる場合か!」

「つっきー発言からだけど、たった一日で月神とすげぇ打ち解けてんな」


 やり取りをぽかんとしながら見ていた魁は、感心したように右隣の都季に言った。魁の正面に座る琴音までもが唖然としている。

 都季は探す手を止め、理由を考える。特にこれだからという理由はないのだが、会ったときから親近感にも似た感覚があったのだ。


「そりゃあ、神って言っても小さいし、なんか前から知ってたような感じがするんだ」

「小さい言うな」

「あれ? 聞いたことある台詞」

『ボク違う!』

「誰も御黒のこと言ってないよ」

『墓穴ー』

『んなっ!?』


 悠の右肩にいる御黒は、主人と左肩にいる茶胡の言葉にショックを受けて固まった。

 それをよそに、目的の物を見つけた都季は魁達に見せた。


「まとめて話したほうが早いと思って、朝は見せなかったんだけど……」

「ペンダント?」

「水晶、綺麗……」


 テーブルに置いたのは、小さな水晶玉のペンダントだ。銀色のチェーンや水晶の球面が陽を受けて反射し、琴音が僅かに顔を輝かせた。

 初めて見る琴音の表情に、都季は高鳴った心臓を必死に抑えながら言う。


「俺の母さんが、亡くなる少し前にくれたんだ。元は母さんがお守りとして持ってたみたいだけど、中学に上がって帰りが遅くなる俺にって」

「形見?」

「そうなるかな」


 貰ったときは身につけていたのだが、両親が亡くなってからは落とさないよう箱に入れてしまっておいた。

 今朝、学園やバイトをどうしようかと悩んでいる際、月神が引き出しに入れていたこのペンダントの気配に気づいたのだ。曰く、月神の存在を隠せるほどの力を持っているとか。


「そんなすごいの持ってるって、都季の母親って何者?」

「普通の専業主婦だったよ」

「マジか」

「水晶は一般人にも広く知られた魔除けの石だ。その中でもこれは質が良いようだの。我に近い性質の、強い力を持っておる」

「へぇー」


 どこで手に入れた物かは知らないが、水晶ならば広く流通している。それこそ、普通の主婦が持っていても不思議ではない。

 都季は水晶を手のひらに乗せてまじまじと見つめる。曇りも傷もない透明な、どこにでもありそうなごく普通の水晶だ。


「我は天降神社に祀られる神でもある。話を聞いた限りでも、都季の両親は信仰深かったのであろう。神社にて祈祷してもろうたのではないか?」


 月神に近い力を得たのはそのときではないか。両親には信心深い一面もあったため、その考えは否定しきれない。月神が断定をしないのは、誰に加護を与えているか覚えきれていないからだ。

 月神はどこか得意気な顔をして、都季の前に浮いて出た。


「木を隠すなら森の中、人を隠すなら人混みの中、神を隠すなら神の中だ。これを持っておけば、我の存在は紛れるだろう」

「いや、これって月神の加護が宿ってるんですよね? 月神の力が倍になって強調されますって。神様不特定多数なら分かりますけど、主張してどうするんですか」

「我を隠すのではなく、あって当然のものにするのだ」

「さっき『隠す』って」

「煩いぞ。言葉のあやだ」


 都季は食い下がる悠の気持ちが分かる。今朝は都季も同じやり取りをしていたのだ。そのせいか、「最近の若者はすぐに揚げ足をとる……」と月神はまた機嫌を損ねた。

 悠は気にせずに再び心配したように言った。


「ねぇ。余計に怪しまれません?」

「逆に安心されるのではないか? 『ばいと』や学園では単独行動も増える。故に、そのほうが好都合であろう? なに、気配が変わったことについては……魁よ。お主が適当に我の加護を分けたとでも言うておけ」

「りょーかい」


 口裏合わせをしておけば、ペンダントを持つことも不自然ではなくなる。母の形見を偽るのは気が引けるが、事態が事態なので仕方がない。

 そう言い聞かせて、都季がペンダントを首に着けて服の下に隠したときだ。

 ふと、月神が食堂の出入口を見て急に姿を消した。


「え。つっきー?」

【“申”だ】

「さる?」


 器に戻った月神は都季の脳に直接言ってきた。ただ、言葉は都季と心を読める琴音にしか聞こえておらず、他の二人と二匹は首を傾げたりきょとんとしたままだが。

 申とは誰のことだ、と思った矢先、琴音も出入口を見たまま呟くように言った。


「煉さん、来たよ」

「猿楽先輩が?」

「げっ」

「ケンカしないでくださいね、魁先輩」

「アイツが吹っ掛けてくんだよ!」

「買わなきゃいいんですよー」


 名前が出た人物はバイト先の先輩であり、魁のケンカ相手でもある。都季が魁と知り合うきっかけのケンカも煉とのものだ。悠が釘を刺すも、効果は期待できないだろう。

 当の本人は真っ直ぐに都季達の元へと歩いてきた。周囲の女子生徒が騒ぐのは彼の人気度合いを示している。

 煉は魁とケンカをすることは多々あるが、基本的に面倒見が良く気さくな性格だ。整った容姿に加えて女性の扱いが優しいこともあってか、高等部では人気男子生徒の三本指に入る。


「こんにちは」

「おー。更科も一緒だったか。ちょうどいいや」


 都季の挨拶に片手を挙げて返した煉は、四人のテーブル横に近くから椅子を引っ張ってきて座った。

 その言葉と悠達の反応から、さすがの都季もすぐに気がついた。


「ちょうどいいって……もしかして」

「はい。煉先輩も十二生肖なんですよ」

「十二生肖の“申”な。更科のことは茜さんから聞いてる」

「申……。だから、魁とよくケンカをするんですか?」

「それは関係ないな。コイツとは昔っからこんなだから」

「うるせぇ」


 視線を向けてきた煉から顔を逸らしてぶっきらぼうに返す。苛立ちを必死に抑えているのがよく分かる。関係ないとはいえ、まさしく「犬猿の仲」だ。


「さっき、茜さんから連絡あった。昨日の管狐の親元が判ったって」

「狐さん?」

「当たり」

「やっぱり」


 悠の表情がまた険しくなった。握りしめた拳から、刻裏への嫌悪が見てとれる。

 煉は周囲の生徒に聞かれるのを心配することなく話を続けた。


「一昨日の管狐も同じだ。破綻した依人に関しても、継承以外で狐の野郎が一枚噛んでいる可能性が高い」

「でも、刻裏は俺に『幻妖を甘く見ないほうがいい』って忠告してくれてますし、襲うならもっと早くできたと思うんです」

「『こくり』?」

「狐の名前です。名前は特にないみたいなんですけど、これで呼べって」

「……なるほど。まぁ、お前の気持ちも分かるけど、これは事実なんだよ」


 聞き慣れない名前に首を傾げた煉に説明すれば、彼は何かを考えてから頷いた。

 都季が食い下がるのは、管狐に襲われた際に月神を送ってくれたこともあるからだ。あのとき、月神はまだ力が不安定で幻妖界でもうまく顕現できなかった。刻裏が力を貸してくれなければ、今頃はここにいなかっただろう。

 ただ、それを言うには煉に月神のことが知られてしまうために言えない。

 しかし、事情を知るはずの悠は刻裏を疑ったままだった。


「それが甘く見てるっていうんですよ。狐さんは継承を行っては破綻組を増やす。この世界にとって、一番危険と言っても過言ではないんですよ?」

「じゃあ、なんでそんな危険な奴を捕まえたりしないんだ?」

「狐さん、捕まえられないから……」


 何度となく刻裏の捕獲には動いている。しかし、捕まえたと思えば偽物とすり変わっていたり、術で突破されていたのだ。

 すると、黙って話を聞いていた煉は都季を見て訊ねた。


「更科。一つ聞いていいか?」

「はい」

「お前、なんで刻裏やら依人に狙われているんだ?」


 四人の心臓が跳ねた。茜達には「顔を見たから」と伝えているが、煉はそれだけではないと知っているかのようだ。

 どう凌ぐかと言葉を探していると、真っ先に悠が口を開いた。


「イノ姐から聞かなかったんですか? 依人の顔を見たからですよ」

「初期の破綻者や破綻の兆候が表れた継承者は、力の安定のために月神を求める。で、月神はあの破綻者が持って行ったままなんだよな?」

「はい。ですが、花音さんの結界によって町からは出られません。出るために都季先輩を人質にする可能性があるんです」


 ここは悠に任せていたほうがいいだろう。都季はもちろん、魁や琴音ではついてきた嘘が崩れそうだ。


「人質ならいくらでもいる。それに、月神に異変があれば俺達か神使が気づく。それがないってことは、依人は“何らかの理由”で盗んだ月神に手を出せていないってことだ」

「……イノ姐、あえて訊いてこなかったんですね」

「茜さんは、あれでもお前達に期待してんの」


 恐らく、煉はすべてを知っている。茜も勘づいてはいるはずだ。何も言わない辺り、月神が都季の中にあるとまでは知らないのだろうが。

 悠が観念したとばかりに溜め息を吐くと、ちょうど予鈴が鳴った。

 煉はさらに追及することはせず、片手をついて席を立つ。


「更科。巻き込んですまないな」

「……いえ、大丈夫です」


 頭を軽く叩くように撫でられ、どう返したらいいのか迷った。無難な言葉を選んだつもりだが、彼の疑念を確信に変えたかもしれない。

 小さく笑みを浮かべた煉は、「何かあったら迷わず言え」とだけ言って教室へと帰って行った。

 都季達も授業に遅れないよう、煉より僅かに遅れて食堂を出た。


 食堂は校舎の裏手にあり、校舎とは一階から廊下で繋がっている。悠と都季達の教室は棟こそ違えど階は同じなので、高等部側の階段で三階まで向かう。

 予鈴が鳴った今、廊下を歩く生徒は少ない。


「あーあ、バレてるー。つまんないのー」

『申は勘が鋭いよね』

『ねー』


 悠の左右それぞれの肩にいる神使達は互いの顔を見合わせた。この神使も一般人には視えないので出していても問題はない。ただ、月神のように自身の意思で姿を隠せるわけではないため、視られた場合は記憶を消す必要がある。

 琴音は煉の心を聴いたのか、あっさりと言った。


「煉さんは、ずっと更科君をつけてたから知ってるって」

「えー。先に言ってくださいよー。煉先輩の前で猿芝居とか笑えない」

「ごめん……。でも、月神のこと、イノ姐には言ってないみたい」

「なんでまた」


 バレないように言葉を選びながら会話していた苦労も意味がない。

 膨れた悠に謝りつつさらに聴いたことを言えば、それを意外だと思った魁が驚いて琴音を見た。


「煉さんは、魁の力を誰よりも知ってる。だから、今はまだ大丈夫だって」

「……ちっ」


 魁の腑に落ちない表情での舌打ちは照れ隠しに見えた。

 今まで伊達にケンカをしてきたわけではない。性格がどうしても反発してしまうという部分も絡むが、お互いに力をぶつけ合えば強さも分かる。


「都季よ」

「あ、つっきー」

「狐が来たならば我を喚べ。話したいことがある」

「……分かった」


 幻妖の長である月神なら、刻裏も大人しく話を聞くだろうか。怪しくはあるが、実際に刻裏と一対一で会って対処ができるのは彼しかいない。

 三階に着き、渡り廊下に足を踏み出した悠は表情を引き締めて都季を真っ直ぐに見た。


「都季先輩。破綻者の増加が著しい今、くれぐれも気をつけてくださいね?」

「俺らも片っ端から取り締まってんだけど、中には強いのもいるからなぁ」

「人手が足りない……」

「皆こそ気をつけておかないとな」


 局の人間は、月神が持ち出された一件によって大半がケガをして動けない。魁達からすれば情けない話になるが、一般人からしてみれば相手の力が計り知れない分、やはり恐ろしいと思ってしまう。

 過去の人達が依人を恐れた理由も、今なら分かる気がした。


「いざとなったら御黒か茶胡をつけますので、遠慮なく言ってください」

『長期は無理だけどね』

『一日とかなら大丈夫ー』

「うん。ありがとう」

「心配するでない。我がついておる」


 以前と違って、今は月神を喚べば対処はできる。昨日の管狐も、結果的には彼が出てくれたことで助かったのだ。

 そこで、やっといつもの笑顔を浮かべた悠は、「それでも、月神を守るのは僕らの役目ですから」とまるで手本のような答えを返した。


「それじゃ、また放課後に」

「昨日みたく休み時間にこっち来んなよ。騒がれるから」

「あははっ。はーい、分かりましたー」


 釘を刺した魁に笑いつつ、三人に背を向けて歩きだした。授業開始まではもう一、二分しかないが、いざとなれば記憶を弄ればいい。

 三人の姿が渡り廊下近くの教室に消えた頃、神使を宝月に戻して一人になった悠は自嘲じみた笑みを浮かべた。


「『僕らの役目ですから』、だって。笑える」


 ぽつりと呟いた言葉は、誰もいない廊下に鳴り響いた本鈴にかき消された。

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