死亡動機はなんですか?

哀楽

プロローグ

「ーーさて、死亡動機は何ですか?」

 不意に訊ねられ、ふわふわと浮いているようだった俺の意識が急浮上した。

 俺は質の良い革張りのソファに腰掛けていたが、どうしてここに腰掛けているのか、それ以前にどうやってここへ来たのか思い出せなかった。

 状況を理解しようと視界を巡らせてみる。

 室内は暖かみのあるクリーム色の壁紙で覆われていて、正面の大窓からは陽光が惜しげもなく降り注いでいた。事務机が中央に固められ、何人か黒いスーツの職員が座っている。中には楽しげに談笑している姿もあった。

 一見して普通の事務所だが、職員の顔を見て、俺は違和感を覚えた。

 全員、瞳が赤い。カラーコンタクトを入れている可能性もあるが、それにしたって、全員赤色で統一しているのは、少し狂気じみている。

 加えて肌の色は白を通り越して青白く、生気が感じられない。

 見知らぬ場所、異様な職員たち。こみ上げてくる不安を抑えながら辺りを見回していると、再び声がした。

「あの、私の話聞いてます?」

 男の声だ。それにしては低すぎない中性的な声。

 声のした方ーー真正面へ視線をやると、他の職員と同じ黒いスーツを着用した男が座っていた。

 男といっても、まだ二十代そこそこの青年と呼ぶにふさわしい顔立ちだ。誰もが見とれるような整った顔立ちで、人の良さそうな優しい笑みをたたえている。

 髪、仕立ての良いスーツ、靴まで全て黒で統一され、そのせいか肌の白さが浮き立っているが、そのモノトーンの中でただ一つーー目だけは、やはり赤く輝いていた。

 こんな真正面異座っていたというのに、今の今まで、俺の目は彼を映しはしなかった。

 それほど状況が飲み込めていなかったのだろうか。

「あんた・・・・・・誰だ」

「あらら、私の質問は無視ですか」

 男は変わらず微笑んでいるが、片方の頬がわずかにひきつったのを、俺は見逃さなかった。

 対人恐怖症の俺は、それだけでこの場を逃げ出してしまうほどの臆病者だと自負している。

 だが、この時ばかりは自分の状況も何も飲み込めていなかった為、男を無視して必死に記憶を探った。

「俺、確かアパートの屋上から飛び降りて、それで・・・・・・」

 眼下に広がるアスファルト。

 藍色の空に輝く星を見ながら、飛び降りたはず。・・・・・・死んでいるはずだ。

 なのに、気がついたらこんな真っ白な世界にいて、目の前にはおかしな男と景色が広がっている。

 もしかして、夢でも見ているのだろうか。

 額を押さえて必死に飛び降りた後の事を思い出そうとしていると、男が「はあ」とため息を漏らした。

「いいでしょう、まず私から詳細を説明します」

「あ、どうも。助かります」

 恐縮してしまった俺を、今度は男が無視をする。

 男が右手を空中で振ると、いつの間にか彼の手には一枚の紙が握られていた。

 男はそれを両手で持ち替え、俺に差し出した。

「申し遅れましたが、私は自殺者専門ーー通称"自専"所属の死神、レイと申します」

 レイと名乗った男は礼儀正しく頭を深く下げて俺にお辞儀した。

 受け取った名刺の紙面には、「あなたの来世を素敵にプロデュース! 自専所属死神レイ」と、丸みを帯びた字で書かれていた。

 手書きかよーーいや、今はそんな事どうでもいい。

「・・・・・・詐欺?」

「滅相もない。私はれっきとした死神です」

 やや胸を張って言われても、そうやすやすと信じるほど俺は馬鹿ではない。

 疑いの眼差しをレイに向けると、彼は両目を大きく開き、心外だとばかりに嘆息した。

「はあ、どうしてここに来る馬鹿ーーいえいえ、方々は我々の話を素直に信じてくれないんでしょうか。胸が痛みますよ」

「あんた今さらっと馬鹿って言っただろ」

「言いました?」

「ああ」

「記憶にないですねえ。聞き間違いじゃないですか?」

 ふんわりと微笑んで首を傾げるレイ。

 俺は奴をぶん殴りたくなったが、そこは堪える。もし殴れば、この詐欺野郎が傷害罪で俺を訴え、俺は詐欺られる前に金をせびられる。そんなのはごめんだ。

 殴る代わりに思い切り睨みつけていると、レイは懐から手帳を取り出し、何枚かページをめくった。

「えっと・・・・・・あなたは小林正隆(こばやしまさたか)、三十四歳。独身」

 ちらり、と確かめるように俺の方をみるレイ。

 確かにそれは俺の名前と年齢(最後のは余計だ)だが、頷いてやるものか。そんなもの、どこかで調べたのだろう。

 唇を真一文字に引き結んで睨み続けていると、レイは再び手帳に視線を落とした。

「誕生日は九月十七日。血液型はA型。三歳の時、自宅で飼っていたシェパードのゴン太郎にお尻を噛まれて以来、犬が嫌いになる」

「ちょ、ちょっと待て! なんでそんな事知ってるんだ!?」

 確かに俺は犬が嫌いだ。理由も合っている。

 三歳の時の話なんか誰にもしていないのに、どうして・・・・・・。

「どうしてだと思います?」

 俺の動揺をあざ笑うかのように、レイは笑みを深めた。

「この手帳には、自分の担当する死者についての子細が漏れなく記載されています。当然、あなたの初キスの相手についてもここにーー」

「うわああああっ、やめろ、言うな!」

「では、私が死神である事を信じていただけますね?」

 物腰や口調は丁寧なのに、有無をいわさない圧力を感じ取った俺は、素直に頷いた。

「良かった。皆さん、毎回手帳で恥ずかしい過去やら何やら言うと信じてくれるんですよ。例えばあなたがまだ童ーー」

「ぎゃああああ! もう信じてるから言うのやめろ!」

「素直で結構」

 機嫌良く手帳を閉じ、懐にしまい込む美麗の死神。

 なにやら色々知っているようだし、本当に死神なのだろう。

 という事は、やはり俺は飛び降りて死んだのだ。そしてここは、死後の世界という事だろうか?

 気になって周囲を再び見回していると、俺の疑問を察したのか、レイが口を開いた。

「ここはまだ、あなた方が生きていた下界です。死後の世界ーー冥界には、後ほどお連れします」

「じゃあ、俺本当に死ねたんだな」

「ええ。アパートの屋上から飛び降り自殺。頭部挫傷により即死し、我々がむき出しとなった魂を保護しました」

 そうか、俺、ようやく死ねたんだ。

 辛いことだらけの世界を離れ、ようやく新たな自分に生まれ変わる事が出来る。なんと清々しいことだろう。

 思わずにやけてしまい、俺は慌てて口元を隠しながら、取り繕うように言った。

「でも、自殺者専門の死神なんているんだな」

 俺は名刺とレイの顔を交互に見やる。

 相手は相変わらずにこにこと笑みを絶やさず、能弁な口調で言った。

「一般の死神は、死亡予定者の許(もと)まで出向き、肉体から解き放たれた魂が生前どのような罪を犯したか・・・・・・もしくは、どのような良い行いをしたか調べ、閻魔大王に報告するのが仕事です」

 ここまではいいですか?と訊ねられ、俺は小さく頷いた。素直に頷いておいた方が賢明だと、この数分で学んだのだ。

「ですが、自ら命を絶つ方については、死ぬ理由や自殺する日時がこちらでは把握できません」

「同じ死者なのに?」

「はい。寿命で往生するのと、自ら死を選ぶのとでは、後の待遇が大きく違います」

 一体何がどう違うのか、俺には分からなかった。

 どちらも意味は同じ。死ぬ方法が違うだけじゃないか。

 そう思ったが、レイが話を再開したから、俺は彼の話に耳を傾けた。

「正しく寿命通りに死ねた方は、それ専用の死神がお迎えにあがります。ですが自専は、寿命を無視して勝手に死んだ挙げ句、冥界への行き方を知らずに迷って多くの方々に迷惑をかける馬鹿を保護し、閻魔様が公正なご判断ができるよう、詳細を明らかにするのが仕事なのです」

 途中気になる箇所があったが、俺は何も言わず頷いた。その方がこの男の怒りを買わなくて済みそうだ。

 実に滑らかな口調でかまずに言い切ったレイは、どこからともなく書類の束を取り出した。

「ーーよって、最初の質問に戻るわけです」

 空中に手を伸ばしただけで物を取り出せるその能力は、少し羨ましかった。

 だが、鋭利な光を帯びたレイの瞳に気圧され、そんな気はすぐに失せた。

「死亡動機か?」

「ええ。どうして自殺されたのか、こちらでは把握しかねます。おおよその予想はできますが・・・・・・話して頂けます?」

 手帳をめくりながら、レイは俺を一瞥した。

 訊ねられているはずなのに、どうしてだろうか・・・・・・命令されているように感じる。

 俺は無意識に姿勢を正した。

「・・・・・・生きているのが、嫌になったからだ。仕事場では皆が俺を無視するし、部長には死ねって言われるし」

 遺書も書いた。俺を無視し、侮辱した連中の名前を書き連ねて、俺が死んだのはお前等のせいだって思わせたかった。

「俺の死をずっと忘れられず、後悔と罪悪感にさいなまれながら生きればいいんだ。そうすればーー」

「あの、あなたが思うほど、他者はあなたの死に対して何ら悲しみや恐怖を持ってはいませんよ」

「・・・・・・え?」

 俺は呆然と死神を見つめた。

「どういう事だ? 自分たちのせいで俺が死んだって、普通なら後悔するだろ?」

「あはは。する訳ないじゃありませんか。だって、所詮他人ですよ?」

 快活に笑いながら、この死神ははじめて死神らしい事を言ってのけた。

 俺の気持ちなど知りもしないで、笑いながら滑らかに言った。だから、俺も反論できずに、ただ奴のきれいな顔を間抜けな表情をして眺めることしか出来なかった。

「子供だってそうです。自分のいじめていた子が自殺しても、いじめた側が心配するのは、自分の立場がどうなるか・・・・・・この一点のみ」

「そんなの酷すぎるーー!」

「ですが、これが事実なのです。人間とは、実に利己的で醜悪な生き物なのです」

 今や、この男の笑みがとてつもなく不気味な物に思える。魔物、悪魔、いやーーそう、死神。

 世の中の女をとりこにできるんじゃないかと思うほど美しい笑顔を浮かべ、死神は両手を叩いた。

「さてさて。あなたの話をまとめると、あなたの自殺理由は単なる"仕事仲間への小さな反抗"という訳ですね。実に陳腐な理由。そんな事で命を捨てるなんて・・・・・・実に許し難い」

 にっこり笑ったまま、死神の雰囲気が冷たくなった気がした。

「そこで、ようやく今後の話になるわけです」

 俺は背筋を伸ばしたまま凍り付いたかのように動けず、ただ震えながら唇を噛んでいた。

 この男が、怖かった。

「こ、今後って・・・・・・」

「何に転生するか、です。先ほど申し上げたように、ここで寿命通り往生された方と、そうでない方の待遇が違ってきます」

 レイは書類を何枚かめくってお目当ての物を探し出すと、俺の前にかざして見せた。

 その紙には、「転生の手引き」とあった。

「寿命により往生された方は、これまでの行いを鑑(かんが)みて、転生する生き物を優先的に決められます」

 人気転生ランキングという表があり、一位はやはり人間。その次が猫、犬、サメ・・・・・・などと続いていた。

「ちなみに小林さんは何に転生されたいですか?」

「そりゃ勿論人間だろ。虫や動物なんてまっぴらだ」

「ですよね、そうですよね~。皆さんそうおっしゃるんですよ。ですが・・・・・・」

 レイは俺に見せていた書類を背後へ放り投げ、別の書類を取り出した。

「人間は転生ランクが最高難度。人気がある、という理由も勿論ですが、あなた方自殺経験者が人間に転生すると、すぐここへ戻ってきてしまうケースが非常に多いんですよ」

 生きる使命から逃れ、魂が死の安らぎを求める癖がついてしまう・・・・・・という、俺にはよく分からない内容だ。

 だが、俺もその一人なのだ。

 どうしようか考えている間に、レイは何枚か資料を提示してきた。

「そうポンポン自殺されちゃ、こちらも困ります。それに、あなたにとっても自殺は最大のデメリット」

 なんだか、とてつもなく嫌な予感がする。

 これでもか、とレイの唇はにっこりと笑っていたからだ。

 恐ろしさでいっぱいだが、俺は意を決して訊ねた。

「デメリットって?」

「自殺は、殺人者と同格の罪。転生してもその罪は消えることなく、自殺する度に加算されていきます。自殺を繰り返した魂の末路はーー消滅です」

「・・・・・・!」

 今の俺は魂という肉体のない状態だが、もし体があるなら、血の気が一気に引いていた事だろう。

 手足の震えを必死に隠す俺を見ず、レイは「あれ~?」と呟きながら、資料の束をめくっていた。

 そして、お目当ての者を見つけたのか、何枚か書類を引っ張り出した。

「そんなあなたにお勧めの物件はですね、こちらのムカデ、ハエ、蟻あたりでしょう」

「どれもすごい嫌われてる奴じゃねえか! 俺は人間がいいんだよ!」

 自分が虫になった姿を想像するだけで気持ち悪い。まだゴキブリを勧められなかっただけましだが、これだけでも十分気が落ち込んだ。

「どんな家庭でもいいから、人間にーー」

「言ったでしょう。自殺した、というだけであなたの転生の優先順位は下位です。人間は、生前善良な行いをし、生を全うした方へ優先的にお勧めします。でもまあ・・・・・・」

 レイは一瞬、本当に一瞬だけだが、それまで浮かべていた笑みを消した。

 虚無に満ちた目で俺を見つめた後、再び花が咲いたように笑った。

「私からすれば、自分で命を絶っておきながら、なぜそこまでして下界に戻りたがるか理解しかねますけどね。賢明に生きている命に失礼です」

「・・・・・・」

 俺は奴に対して何も言い返すことが出来ず、黙って蟻の資料を手に取った。

 閻魔大王様への紹介状を書く間、奴はずっと黙っていた。その気味の悪さは、恐らくもう目にしないことだろう。

 願うので在れば、転生した後の自分が再びこの男の元に来ないことを祈る。

「本日は自殺者担当死神レイをご利用いただき、誠にありがとうございました。あなたの来世に幸在らんことを」

 この恐ろしい笑顔を忘れられる事だけが、蟻に転生する俺にとって、せめてもの慰めだった。

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