ライオンカノジョは可愛くない
鴨志田千紘
第1話 Boy meets lion girl
小さい頃、僕の夢はライオンになることだった。
金色の
強くて逞しい、己の力で群れを守る雄ライオンになりたかった。
だが、人間である僕がライオンになれるわけもなく……それどころか強さすらも持ち合わせていなかった。
自分に雄々しい力強ささえあれば今こんな風に同級生からいじめられることもなかっただろう。
「おら! なにへばってんだよ! まだ寝るには早ぇ時間だろぉ?」
無造作に髪の毛を掴まれ、僕は起き上がらざるを得なかった。小さく二、三回咳き込みをした。口の中からレバーを食べた時のような味がする。多分、もう一発顔面を殴られたらレバーの味なんかで済まない。
——そもそもなんでこんなことになったのか?
言えば簡単な話だ。同級生たちは女々しい僕が気に食わなかったのだ。
自分のことを女々しいなんて思ったことはなかった。引っ込み思案でビビりな人間だとは自覚していたけど。だから女々しいと自分を思うようになったのはここで——体育館裏で同級生たちにいじめられるようになってからだ。
「おうらぁ!!」
いじめっ子——古畑の取り巻きたちがどっと爆笑していた。こんなこと最近では日常茶飯事だからもう慣れたし、どうも思わなくなってきた。
——女々しい自分が悪い 。
どうせあと数分もしたら彼らは殴り飽きる。それが予想できていたから尚更諦めがついていた。
すでに新学年になってから一ヶ月あまりが過ぎようとしている。
新しいクラスメイトと関係性が悪くなり、問題が露見するようになるのがこのタイミングだった。人間誰にだって気に食わない人はいるだろう。彼らにとっての僕がそうだった。
古畑たちが僕を嫌うのはさっき言った通りだ。女々しいから。
それに加えて、男子より女子とばかり話しているから目の敵にされたのだ。実際、オラついてる男子なんかより女子と話している方がよっぽど気楽だった。
しかし、思春期の男子高校生にとってそんな同級生は嫉妬の対象だ。狙われないわけがない。自業自得だ。
「おい? 地ベタの味はどうだよ?」
砂利を噛んだ味が口いっぱいに広がっているが、生憎その感想を伝えるだけの気力が残されていない。ああ、もうこれくらいで勘弁してくれないかな……
「おい! 答えろってん——」
「ちょっとあんたたち!! こんなところでなにやってんのよ!!」
その時、神は救いの手を差し伸べた。
凛とした声が聞こえた方向に視線を配る。ショートカットの少女が仁王立ちしていた。
西日に照らされた金髪はまさしく獅子の鬣。近づいてくる不良の同級生たちを背負っては地面に叩きつけ、背負っては地面に叩きつけ……彼女は雄叫びを上げながらなりふり構わず髪を乱す。
憧れの存在がそこにいた。
「てめぇ! 枢木か?! なんの真似だか知らねーが、ただじゃ返さねーぞ!!」
「ちょ、近づか——人の話を聞けぇぇぇぇぇ!!!」
獅子の咆哮が轟き響く。
糸の切れた人形が投げ捨てられたかのように古畑たちは倒れていた。その中で少女は一人、悠然と立ち尽くしている。圧倒的な光景だった。
僕は残った気力を振り絞り、足を踏ん張って彼女の元に近寄ろうとする。「ありがとう」。ただ一言言いたかった。
ふと彼女の顔をよく見ると、なにか喋っているようだった。痛みが蓄積したせいなのか上手く聞き取れない。
「こ・な・い・で」
口の動きがそう見えた次の瞬間、僕の視界はブラックアウトした。
これが僕、大道将一と一匹のライオン——枢木理央が関わりを持った初めての日である。
*
「昨日はありがとう! だから僕を弟子に……! ってウワァァァァァ!!」
翌日、再びクラスメイトの枢木理央に投げ飛ばされていた。
あの後、僕は保健室で目覚めた。同様に枢木理央に投げ飛ばされた古畑たちもベットや近くのソファに伏していた。
しばらくして担任の先生がやってきた。この一件について僕から事情を聞き、やっといじめが明るみになっのだ。これで一旦は古畑たちのいじめも落ち着くだろう。
だが、彼らが学校にいる以上いつまたいじめられるか分からない。もういじめはごめんだ。
僕は力を欲した。今度は僕にだってやり返す力があればいい。そこで枢木理央に弟子入りを志願したのだが……
「……肉体言語で却下された」
「大道くん。なにがあったかわからないけど、理央につきまとうのはやめといた方が……というか無理だから諦めた方がいいと思うよ〜?」
一人の女子生徒が教室の床に寝転んだ僕の顔を覗きこんでいた。クラスメートの佐々木史華さんだ。
佐々木さんは枢木さんの竹馬の友だと聞いたことがある。彼女が女子校に通っていた中学時代もよく知っているらしい。
「なんでかな……?」
「痛てて……」とこぼしながら上半身を起こした。佐々木さんは手で顔を押さえて困惑を隠しているようだった。
「投げ飛ばされてわかんないのかなぁ? 理央は男嫌いなんだよね。それも極度の! 腕が掴める範囲に男が入ろうもんなら誰であろうと問答無用で投げ飛ばすの。学校では勉強も運動もそつなくこなす文武両道! 才色兼備! なんて女子高生演じてるけど、それは男を投げ飛ばすの我慢してる理央だからね〜」
思い出話をするかのように気の抜けた声で話す佐々木さん。その話を聞いて合点した。
彼女は僕を助けたわけじゃなかった。自身を守るために力を振るったのだ。
「そういうことね」
「ね? だからわかったでしょ? なにがあったか知らないけど、理央には近づかない方が身のためだよ〜」
そう言われて諦められる僕ではなかった。助けられた理由なんてどうだっていい。必要なのは彼女が強いという事実。僕も自分の高校生活を守るために形振り構っていられないんだ。
——女々しい僕は卒業する。
「ここでライオンさんを諦めるわけにはいかないんだよね」
決意した僕は立ち上がり、枢木さんの後を追った。
*
それから毎日、彼女に弟子入りを志願した。
「近づかないで!」
と言っては投げられ。
「なんで私に寄るの!? わけわからない!」
と言っては投げられ。
「私、大道くんと友達じゃないから!」
と言っては投げられ。投げられることがコミュニケーションになっていた。
幸いいじめに耐えていた僕の体は伊達じゃなく、一日一回投げられる程度なら余裕だ。それに投げられていくうちに自然と体が受け身を取るようになっていた。
一週間を過ぎたあたりから「大道がマゾに目覚めた!!」とか「難攻不落の要塞、枢木理央に挑む勇者」とかまことしやかに囁かれるようになった。
二週間を越えたあたりからは「連敗王・大道将一」「投げられ過ぎて頭のネジが緩んだ男」とか言われだした。
正直、僕の二つ名や噂などどうだっていい。憧れの存在を彷彿とさせる彼女に教えを乞い、僕も立派なライオンになる。それまで僕は諦めない。
『
そう名付けてくれた両親に報いるためにも。
「『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』って言葉知ってる?」
この前と同じように佐々木さんが天井のシミの数を数えている僕の顔を覗きこんだ。黒髪のハーフアップ姿は目を惹くため、すぐに誰かわかった。
「知ってるよ。ライオンは生まれてきた子供を深い谷に落として、這い上がってきた子供のみを育てるって言い伝えだよね」
そのことわざは転じて「深い愛情を持つものに対してわざと試練を与えさせて、成長させる」という意味がある。だが、佐々木さんが言いたいのはおそらくライオンの話の方だろう。
「そうそう。だからね、今の理央はその状態なんじゃないかな? 大道くんを試してるの。投げ飛ばしても投げ飛ばしても這い上がってくる人間を待っているのよ〜」
思わず息を呑んだ。僕はすでに立派なライオンになるために枢木さんから教えを受けていたのだと。居ても立っても居られないなくなった。
「ってまあ、理央がそんなこと考えてるわけないんだけどねぇ。ってあれ? 大道くん?」
佐々木さんの言葉を最後まで聞かずに飛び出していく。この谷から這い上がることを諦めたら、そこで終わりだ。ここで終わるわけにはいかない!
*
「枢木さん!!」
枢木さんは僕がいじめられていた時と同じ場所、体育館裏にいた。遠くから声をかけると一瞬背筋が伸び上がる。振り向いた彼女の顔は仄かに赤かった。
「僕を雄々しい男に育てて下さい! 弟子にして下さい! お願いします!」
「もう!! しつこいなぁ! なんで私にばっかり来るの!? 他に行きなさいよ!」
枢木さんと初めて会話らしい会話をした。距離を置いて話しかけたのは正解だった。
「女の子にこんなこと言うの失礼かもだけど……あの日、僕を助けてくれた姿がカッコよかった! ライオンのようだった! 君は僕の憧れだ! そんな憧れの存在から僕は学びたいことがあるんだ!!」
女々しい僕が珍しく声を張った。枢木さんの顔がより赤みを帯びていく。
もし、周囲の人が聞いていたらどう捉えるだろうか? 人によってはある種の告白に聞こえるかもしれない。
「別に大道くんを助けたわけじゃない! あんただって知ってるんでしょう!? 私が……私が……男嫌いってこと!!」
プルプルと震えながら、自分の欠点を告白する彼女の姿に雄ライオンの面影はない。さながら生まれて間もない純粋無垢な仔ライオンのようだった。
「うん、知ってるよ」
そう、知っててここに来た。枢木さんの中身なんて関係ない。僕が追い求めているのは気高く戦う彼女の姿なのだから。
「私はね! 男子と普通に接することができるように放課後ここで話し方の練習してたの!! イメージトレーニングもよ!」
前触れもなく、枢木さんがさらにカミングアウトした。まさかここに来てそんなことをしていたとは予想だにしなかった。僕は押し黙り、枢木さんの話を聞くことに決めた。
「本当は私だって普通に男の子と話せるようになりたいの! できるならカレシも作ってみたいし、仲のいい男の子友達だって欲しいの! 漫画みたいに男女で仲いいグループ作って、週末はそのグループで遊びに行って、恋をして……そんな女子高生になりたいの……!」
「そんなことを思っていたのか」と口からこぼれそうになった。
女子と仲睦まじく話している姿をよく見ていたからそんな悩みがあるとは微塵も感じなかった。だが、彼女は世に言う「リア充」に憧れている。
「だから、ここなら大声出さない限り聞こえない、誰にもバレないと思った……今日も、あの日もそう。たまたま助けた形になっただけ! 私の練習場所を取ったあいつらが私に近づいたから投げ飛ばした……それだけのことよ。私は大道くんが思ってるような強い女の子じゃないの! 男とも怖くてろくに話せない……弱くてあなたの理想とはほど遠い女子高生なのよ……そうとわかってもまだ私につきまとうの?」
雄々しくも逞しくもない、等身大の女子高生の言葉が胸に突き刺さる。
——他人と自分では見方が違う。
以前は女々しいと思っていなかった自分と女々しいと僕を目の敵にした古畑。
自分をかよわい女子高生だと思っている枢木さんとライオンのように強いと見做していた僕。
僕のやっていることは古畑たちと変わんなかったのかもしれない。話もせずに勝手に人を決めつけていた。
枢木さんがかよわい女の子だと受け入れてみる。そこには勇猛なライオンの姿はなく、可愛いらしい女の子が佇んでいて……なんだか愛おしく見えてきた。
「僕が悪かったよ。許してくれないかな」
その愛らしい存在にほんの少し近づく。枢木さんは黙って頷いていた。
「でももう少しの間、つきまとってもいいかな? その……弟子入りの代わりと言ってはなんだけど、僕に枢木さんの生き方を見せて欲しいんだ」
「え?」
また一歩、一歩と近づいていく。
「人の所作って影響し合えるものだと思うし、見て感じ取ることも多いと思うんだ。だから、僕は枢木さんの生き方を見たい。枢木さんの姿に憧れたのは事実だし、それが違うというならその姿も見る必要があると思う。決めつけは良くないからね」
「でも、それで私になんの得があるの……?」
「僕が枢木さんの男嫌い治しに協力する。男嫌いを治すならイメージトレーニングなんかじゃなく実物と関わらないとだと思うんだ。それに僕なら投げられても問題ないし。女々しい分治すとっかかりとしては最適だと思うんだよね。だから、ね?」
僕は枢木さんから雄々しさを学び、枢木さんは僕から女々しさを学ぶ。これならば僕たちはWin-Winの関係でいられる……はずだった。
「……なら、私と付き合いなさいよ」
「はい?」
刹那、頭が真っ白になった。
——『付き合う』? 『付き合う』って交際の意味の『付き合うか』? いや彼女の場合なら『突き合う』の可能性も……いやないな。じゃあつまり……。
唖然としながら思考が巡る。告白みたいなことをしたのは僕が先だが、いくらなんでも発想が飛躍し過ぎだ。そもそも交際というのは好き同士の男女が行うもので……
「なんでわかんないかな!! 見るだけじゃ足んない! 普通に関わるだけじゃ治らないってこと! だから、私と付き合いなさい!」
闘気を纏いながら一歩、一歩僕に近づく枢木さん。畏怖を感じながら一歩、一歩後ずさりする僕。
「待って! いやそれってどうなの!? お互いの気持ちだって!」
「私の男嫌いはそれくらい近しくないと治らないって言ってんの! 何度も説明させんな! で、答えは!? 『はい』か『イエス』で!」
ガンを飛ばすように枢木さんが下から覗き込んでくる。『はい』か『イエス』って拒否権がないじゃないか。さっきまでの儚げだった彼女はどこへやら。
「わ、わかったから! お、落ち着いて! 近い、近い!」
「近い」。その単語を聞いた枢木さんがはっとし、顔を真紅に染め上げた。怪気炎を上げていた彼女は距離を気に留めていなかったのだ。
そして……僕の体が突然軽くなった。
——また投げられるのか。
どうやら枢木さんの男嫌い克服への道のりは険しく、骨が折れそうだ。慣用句的な意味だけでなく、文字通りの意味でも。
二十度目の暗幕が僕の視界を包んだ。
これが女々しい僕とライオンカノジョの恋愛劇の開幕の合図だったと、この時は知る由もなかった……
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