第42話 温泉はゆったり入るものです

 ささっと温泉にやってきたので、ゆっくり満喫しましょう。


「さ、鍵も貰ったし、行こうか」


「ご案内いたします」


 案内のお姉さんから漂う気品。完全に高級だわ。これぞ高級旅館よ。

 旅館全体から、庶民を拒むなにかが発されている気がしてなりません。


「道の真ん中を歩くことすら神経をつかうぜ」


「気をつけましょう。雰囲気にのまれたら負けよ」


「なぜそんなに緊張しておるんじゃ」


「むしろなぜ平然としているんですか」


「せっかくだし、くつろぐべきだと思うがね。ここは豪華な成金主義じゃない。この落ち着いた風情がいいんじゃあないか。リラックスできる」


 確かに落ち着いた雰囲気です。高級と聞いていたので、金の像とか、何百万もするツボとかあって、豪華な絵画がある。そんなイメージでした。


「何風っていうのか知らないけれど、落ち着くよ。完全に異国なのにさ」


「そうね、不思議……」


 もちろん和風じゃない。でもちょっと近いような気もする。

 部屋までの道のりも、洋風なんだけど懐かしさを感じます。


「俺達が泊まるのは『イケメンが泊まっています』の間だな」


「どういうこと!?」


 なによその『赤ちゃんが乗っています』みたいな名前は。

 っていうか私の存在は無視なの?


「わしらは『伝説の勇者一行』の間じゃな」


「お客さんが限定的過ぎる!?」


「伝説の勇者一行にお泊りいただけたら、との願いを込めました」


「願望!? 願望を名前に!?」


「隣は『毎年この日に泊まる人は、必ず見てしまうんですよ』の間だな」


「なにを!? そして名前が長い!」


「もちろんのこと幽霊でございます」


「言わないでくださいよ!?」


「幽霊を見てしまうといいな、との願いを込めました」


「込めないでください!? いいことゼロですよ!」


 実際に幽霊を見た人はひとりもいないらしいです。

 それだけ伝えてお姉さんは去っていきました。

 深く考えないようにしましょう。考えたら負けよ。


「とりあえず荷物置きましょうか」


「うむ、十分後にそちらに行く。温泉に入るなら早めに着替えておくんじゃぞ」


「はーい」


 そして室内へ。広くて白で統一されたお部屋。

 高級ホテルから過剰な装飾を抜いて、寛げる空間にしたみたい。

 ベランダには大きな露天風呂があります。屋根付きで雨の日も大丈夫。


「冷蔵庫もあるな。やっぱ金持ちなら標準装備かこれ」


「いいわね、アメニティもきっちりあるわ。ベッドもふかふか」


 布団じゃなくてベッドなのは気にしない。

 ベッドは広いし、二つある枕も柔らかくていい気持ち。


「…………ふたつ?」


 飛び起きて部屋を確認。ベランダへ通じる場所にガラス張りの脱衣所。

 あとはトイレがあって……おやあ?


「急にどうした? なんかあったか?」


「カズマ。ベッドが大きいわ」


「見りゃわかるぞ」


「脱衣所とトイレと洗面所があるわ」


「広くて綺麗だな」


「ここにあるのはそれだけよ」


「他になにが必要なんだ?」


 なぜ気付かない。いつもの勘の良さはどこに行ったのですか。


「ベッドが……ひとつしかないわ」


「…………それはきついな」


 恋愛への興味が無いからといって、男女が一緒に寝ることがまずい、というのは常識として知っている。なのでこういうリアクションになるのです。

 単純に私を気遣っているのね。


「床……いやソファーがあるな」


「旅館に来てまでそんなことしなくても……」


「しかしどうする?」


「……とりあえず温泉入っちゃいましょう」


 嫌なことは後回し。せっかくの温泉が台無しにならないように、楽しむことを考えましょう。


「逃げたな」


「逃げるわよそりゃ。はい、じゃあ脱衣所で水着着ます。カズマもさっさとする!」


「わかったよ。あとで行く」


「だらだらしないのよ?」


「わかってるよ。なるべく急ぐ」


 そして脱衣所で水着に着替えて、個室露天風呂に来たところで気がついた。


「……あれ? これ……一緒に入ることになって……る?」


 落ち着きましょう。まず私が水着でここにいます。

 お風呂はヒノキっぽい素材と岩で作られている。

 露天風呂で、山の上にあるからか、綺麗な景色が見られます。

 ビルや鉄塔のない完全な自然。絶景ね。


「ここからだと山と海が見えるのね……」


 柵とガラスのような魔法の壁。これでマジックミラーのように、こちらが見えなくなるらしい。魔法って凄い。


「はあ……お湯がちょっと熱いわね」


 入ってみると少し熱い。けどいい香りがするわ。この木材の香りもいいわね。

 ちゃんと体を洗う場所もあるし、本当にあっちの世界と変わらないわ。


「むしろ景観を崩さない分、こっちが上かもしれないわね」


 湯船に入る前、軽く体を洗い流した時、お湯が出るのも調査済み。

 風が涼しいので、のぼせそうになったら出ましょう。


「流石家族風呂……広いわねえ」


 あと五、六人で入っても余裕がありそう。

 全体的に広いのね。これならカズマが来ても大丈夫。


「ってそうだ……カズマが来るわ」


 現実逃避が長過ぎた。ああもうどうすればいいのよ。

 勢いに任せて早くしろとか言っちゃったし。確実に来るわよね。

 とりあえず入り口方面から移動。景色を見ていることにしましょうか。


「おーい入るぞー」


「はいはい。早くしなさい」


 なぜ強気だ私よ。なんでもないぞーという雰囲気を精一杯作ってみました。

 これが今の私の限界ギリギリですよ。


「お、広いなー」


 普通に入ってきおって。もっと緊張とかしなさいよ。

 できないことは知っているけれど、なんか不公平じゃない。


「高級だ。この空間全てが高級だと俺に訴えかけてきやがる」


「いいから早くしなさい」


 ちゃんと体を流してから入るマナーの良さ。

 こっちにもそういうマナーがあるかは知りません。


「ふはあ……温泉なんて久しぶりだな」


 普通に近くでお湯につかるカズマ。戦闘経験からか、前より筋肉が増しているような。ロザリアの時に見た裸より、たくましくなっている気がするわ。


「なぜ……なぜ今思い出した私よ……」


「どうした? のぼせたか?」


「なんでもないわ」


 しばらくゆったりのんびりする。最近で一番落ち着いた時間かも。


「いいわねえ、のんびりできて」


「ああ……いつもトラブル続きだったもんな」


「今日は温泉を満喫しましょう」


「だな。背中でも流すか?」


「あーどうしましょうね」


 なぜ普通にそんな提案ができますかカズマさんや。


「その役目……わたしがいただいたあああぁぁ!!」


「うおぉ!?」


 お湯の中から飛び出してきた、旅館従業員の服を着た女の子。

 猫っぽい耳が頭に生えている。

 いやいや……お湯はほぼ透明だから、普通いたら気がつくはず。


「我が名は香保。極楽四天王のひとり! 温泉宿の香保!」


 普通じゃないみたいです。


「俺達に休みはないのか……」


「やすらぎを……私に心の平穏を……」


「あら? お疲れですね?」


「お前のせいでな」


 なんて迷惑な存在なのよ。なんでしょう、新手の呪いですか?


「待っていましたよ。流星のアレックスと、ナンバーワン星の巫女カグヤ!」


「完全に人違いだな」


「あらら?」


 どうやら人違いのようです。いやアレックスさんはいますけど。

 流星のアレックスって……どうやったらそんな名前がつくのかしら。


「ふっ、わたしは温泉を愛するもの……温泉に入っていられるのなら、相手がちょっと違うくらいどうでもいいのよ!」


「えぇ……」


「なんだこいつ……」


「男前のお兄さん! 一緒に温泉………入りましょう!」


「だめに決まっているでしょうが!」


 温泉くらい普通に入りたいなあもう。

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