第15話

「圭……?」


 笑顔で大げさに手を振っているのは明らかに圭だった。病的なまでに痩せている身体。深緑色のシャツから覗く、浮き出た鎖骨。小柄な身長。なぜ彼がここにいるのか見当もつかなかった。


 私は何も悪いことはしていない。ただ大学に来て講義を受け、帰宅しようとしていただけ。なのに彼と遭遇してしまったことに焦りを感じた。


「一緒に帰ろうぜ!」


 圭は正門から私に叫ぶ。大きな声とその目立つ身振りに、帰宅しようとしていた学生たちは、一人、また一人と圭に目を向けた。彼を不審がり、困惑した表情を浮かべている学生もいたが、圭のあどけない行動を「可愛らしい」と感じる人もいるようで、口に手を当てて笑っている学生もいた。


「どうせなら今日遊びに来いよ!」


 圭は正門を潜り、大学の敷地内へと足を踏み入れ、私へと近づいてきた。周りからどんな視線を向けられようと、彼にとってはお構いなしだった。


 一方、私は大勢の学生の目を身体に感じ、思わず俯いた。彼の行動が可愛らしいと感じて微笑む声も、今の私には自分が嘲笑われているように聞こえてならなかった。


「……どうしてここにいるんですか?」


 責めるように、私は対峙した彼に小声で尋ねた。私は自分が通っている大学の名を、彼らに口にしていなかった。私がどこの大学の学生か、彼らが知っているはずがないのだ。


「俺も大学の帰りだったんだよ!」


 笑顔を浮かべて圭が勢いよく答えた。


 大学。その言葉に目を丸くした。言われて見れば、彼の肩にはテキストが入っていそうな大きめのショルダーバックが掛けられている。


 信じられなかった。同じ大学生だったということ。同年齢だったということ。いや、一番信じられなかったのは、自分と同じように大学に通う学生が、「身体提供者」という怪しい仕事をしていたことだ。


「俺、近くの大学に通ってて、ここが帰り道なんだよ! もしかしたら、今までここの通りで会ってたかもな!」


 私の大学の近辺にはもう一つ別の大学がある。それも名門大学で、私たち学生はいつも通りや駅ですれ違う度、隣の大学の学生に引け目を感じていた。


 だが、どうしてだ? 名門大学に在籍しているというのに、どうしてあんな怪しい仕事をしているのだ? 私には人生に汚点を作っているようにしか見えない。


「な? 遊びに来いよ! 雅臣も清水も喜ぶからさ!」


 私は圭に腕をつかまれ、引っ張られた。突然のことで言葉を発する暇もなく、「ちょ、ちょっと」と僅かに抵抗することしかできなかった。


 前を歩いている学生たちを、圭は大きい歩幅で跳ぶように抜かしていく。私はその歩幅に追いつけず小走りで彼を追いかけることしかできなかった。


 彼を追いかければ追いかけるほど、周りの微かな笑い声が遠のいていく。


 


 ふと大学へと振り返った。










恋人同士だった頃の彼と歩いている私を見た気がした。


彼との思い出が遠のいていく。


私は、何度この幻覚を見ればいいのだろう。


何度、彼とまだ付き合っていたらという「もし」に、心をえぐられるのだろう。








「ほら! 早く早く!」


 圭の声に、私は現実へと引き戻される。彼は楽しそうに笑っていた。まるで私と昔から親しかったかのように。それは到底、数日前に知り合った相手に向ける笑顔ではなかった。


 私は、彼のように笑顔を見せることはできない。彼にそんな明るい笑顔を向けられても、私は、それを返すことができない。

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