第3話

「どうしよう、どうしよう」


 どうしようもないというのに、焦りが止まらない。


「おい、水持ってきたぞ!」


 若い男がガラスのコップに水を入れて持ってきた。急いでいるせいでコップの中の水が波打ち、零れても平気で駆けてくる。「サンキュー」と言って年上の男がコップを受け取り、私に「身体起こせる?」と尋ねてきた。


私は上半身を起こし、コップを受け取った。


「ゆっくり、むせないように飲めよ?」


 言われた通りに震える手でコップを持つと、ゆっくり口に水を流し込んだ。一口飲み込んだだけで、溺れているように胸がいっぱいになる。


「もういいの?」


 コップを返して、私は頭を押さえた。手足が、身体が痙攣する。飲み込んだ水がぐるぐると胃の中を掻きまわすように動いている。


 ダメだ、眩暈が激しくて気持ちが悪い。


 手で口を押えた。三人の男たちは一瞬にして目を丸くした。


「吐きそうなのか? ちょっと待って」


 明るい髪の男が、床に落ちていたコンビニの袋を手に取り、私に差し出した。情けない姿を晒している自分を恥ずかしく思い、彼の様子を窺った。冷たい目でずっと私を見ていたはずの彼が、薄ら笑みを浮かべていた。


「我慢しなくていい。安心しろ。気持ちが悪いのなら、全部出した方が楽になれる」


 涙がボロボロと零れてきた。


 それは私にとって、久しぶりの「許可」だった。私は誰かに許されることを欲していた。どんなことでもよかった。ただ、「いいよ」と言ってくれれば、私の心は救われた。彼は私の背中を優しくさする。何でこんなことになってしまったのか。もう、何も分からない。


 私は彼が持つビニール袋にすべてを吐き出そうとした。悲しみも苦しみも、今起きていることすべて。でも、吐けなかった。何かにせき止められているようで、気持ち悪さから逃げられず、涙だけがビニール袋の中に落ちていった。


「なぁ、やっぱり救急車呼んだ方がいいんじゃねぇのか? 全然治まらねぇぞ」


 若い男が小さな声で他の二人に囁く。


「いや、いい。家まで送ってやろう。お前、家に薬があるんだろう?」


 私の背中を擦りながら、明るい髪を揺らして男が尋ねてきた。


 彼は知っている。私のこの身体の異変が、精神的なもので起こっているということに。


 そして私が欲している薬が、精神安定剤だということも。


 彼は何も言わない。ただ私に目で何かを訴えようとしている。


 そうだ。この目は、先ほど私の刃を止めた若い男と同じだ。あの時、一体何が起きたのか分からなかったが、きっとナイフを出した時の若い男は、一時的に明るい髪の、この男へと中身が代わっていた。証拠はない。私の感覚でしかないが、そんな気がした。


「車で家に送ってやるから、住所教えな」


 明るい髪の男は、私に言った。


 鋭い目で、私を射抜くように。

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