第29話 電話

 束の間のドライブからの帰り道は、いつになく甘いムードとなった。京は、俺の肩に頭を預けたまま、フワリフワリと髪を揺らして甘えている。


「京」


「何?」


「愛し……」


 ──トゥルルルル。


 ロマンティックなムードは、携帯の電子音にかき消された。京のだ。


「あ、ごめん」


 出来ればこのムードのまま帰りたかったが、仕方なく俺たちは身を離した。携帯の通話ボタンを押すと、京が発するより早く、向こうからテンションの高い声音が漏れ聞こえてくる。


『ちょっと京! 今、真一と一緒?』


「え、は、はい」


 その勢いに気圧されて、京は取り繕う間もなく白状してしまう。その途端、ギャーギャーと騒ぎ始める携帯越しのマコに、俺は微かに舌打ちして、それを引ったくった。


「あっ……」


「よう、マコ。どうした?」


『どうしたじゃないわよ! こないだのライヴスタジオのスケジュール調べてみたら、アンタ今日、ライヴじゃないの! 何であたしを呼ばないのよ!』


 無粋なヤツだ。そう思ったが、バレたからには、腹をくくるしかなかった。


「あ~、悪りぃ。興味ないかと思ってよ。それに今日で、バンド解散したから」


『は!?』


 金切り声を出され、鼓膜が悲鳴を上げて、俺は一瞬耳から携帯を離し、顔を顰めた。耳鳴りがする。


「うっせぇな……。んなに驚く事ねぇだろ」


『アンタだけはプロレベルだったじゃない。夢を諦めるの?』


「夢、って」


 その曖昧な単語に、俺はちょっと笑った。それにもストレートに怒りをぶつけてくるマコは、ある意味、裏表がなくて話しやすかったが。


『趣味でやってた訳じゃないんでしょ』


「まあな……あ」


『なぁに?』


「ベースとギター以外に、楽器出来る奴がいたら、紹介してくれよ」


 身だしなみにうるさくない居酒屋やバーには、そういう奴らが多い。経験から、俺はついマコに聞いた。途端、携帯越しの声は、楽しげなトーンに変わった。


『あら』


「お、心当たりありそうだな」


『……キーボード出来るコなら、知ってるわ』


「マジか? 腕は?」


『三歳の時からピアノ習ってるわ、確か』


 幸先の良い話に当初の目的を忘れ、俺は思わずマコの話に食い付いた。


「男か、女か?」


『女の子よ』


 女か。バンド内で手を出したの出さないのと揉め事になる可能性があったが、京さえガードしとけば、下手に多情な男よりマシか。一瞬でそこまで判断し、マコに交渉を切り出した。


「マコ、バンドやる気ないかって、渡りつけてくれないか」


 すると、焦らすような含み笑いが聞こえた。


『んふっ。彼女、腕は確かだけど、ちょっと自由奔放なのよね。OK?』


「長い事バンドやってりゃ、変わりもんにゃ慣れてるよ」


『だったら、あたし今夜彼女に会うの。バイト終わりに、店で会うっていうのはどう?』


「話が早くて良いな」


長々マコと話しているものだから、京が窺うように見上げてくる。その視線に気付き、俺は手短かにマコに了承を取り、携帯を返した。二言三言かわし、失礼します、と律儀に言って、京は携帯をしまった。


「女の子か……」


 何処か不安そうに呟く京に、俺は先程の考えを音に乗せた。


「大丈夫だ。京は俺がガードする」


「違う……そうじゃなくて……」


 今度は、はっきりと不安が聞き取れた。


「真一。君、自分が女の子にモテるって自覚ないだろ」


 小さく頬を膨らませる。チラ、とそれを目に入れて、俺は噴き出さざるを得なかった。あまりにも、その表情が可愛かったからだ。


くつくつと肩を揺らすと、京がますます拗ねて、やや頬を紅潮させた。


「真一……!」


「俺にゃお前だけだ、京。浮気したら、殺されても文句は言わねぇ」


「ホントに?」


 可愛い膨れっ面で睨めつけてくる。運転しながらだから、その顔色はほんの僅かしか窺えなかったが、改めて気持ちを再確認させられる。


「お前だけだ。何に誓ったら良い?」


「……分かった。誓わなくて良いよ……。ホント気障なんだから、真一」


 再びチラ、と京を盗み見ると、僅かに頬を赤らめ、肩を竦ませているのが見えた。照れてるようだ。


 京の働く居酒屋へと車を向けながら、俺はくつりと喉の奥で笑った。

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