第17話 疑い

 バイトを終えると、俺はスーパーで食材を買い込み、脇目もふらずマンションに帰った。


 昼に戻れなかったから、京は腹を空かしている事だろう。早く夕飯を作ってやりたかった。


 鍵を開けると、まだ俺のベッドで深く寝入っている京がいる。寝顔をそうっと覗き込むと、身体を拭いた後、律儀にまた元のTシャツを着てシーツに包まっていた。


 替えのシャツ、出しといてやれば良かった……。


「……ん?」


 そして俺はちょっとした違和感に気付く。それは、香り。京は香水をつけない筈だったが、微かに女の好みそうなフローラルの香りがした。


「京」


 ゆっくり寝かせてやりたかったのに、気付くと名を呼んでしまっていた。京は長い睫毛をしばたたかせると、パッチリと目を覚ました。顔色も良い。俺は香水の事で我知らず起こしてしまったなどと言えず、一瞬慌てた。


「あ……お帰りなさい。真一」


 だが京は、眩しい微笑みで俺を迎える。


「あ、ああ、ただいま。昼飯どうした? 腹減ってるだろう」


「あ、大丈夫。バイト先の人が、持ってきてくれたから」


 それが、香水の主なのか。浅ましいと思いつつも、訊かずにいられなかった。


「手作りか?」


「うん。先輩、料理上手いんだ。賄いとか」


 女がわざわざ、手作り料理を届けに来るなんて……。俺の中で、僅かに心が曇った。しかし京は、検討違いな言い訳をした。


「あ! この部屋に勝手にあげた訳じゃないよ。隣でチャイムの鳴る音が聞こえたから、出ていって俺の部屋で食べたんだ」


「……そうか」


 嘘のつけない京が、ここまで正直に話しているのを考えると、少なくとも京には全くその気はないらしい。だが、その女はどうだか……。


 取り敢えず、汗でびしょ濡れのTシャツを着替えさせる為に、タンスを漁る。どれも華奢な京には大きかったが、適当にTシャツとスウェットを渡す。


「着替えろ。俺は飯を作る」


「悪いな。ありがとう、真一」


 嬉しそうに目を細めて言うと、Tシャツの裾に手をかける。


 いかんいかん、目に毒だ。俺はそれから目を逸らすと、キッチンにビニール袋を置きに行った。充分に時間を取ってから、リビング兼ベッドルームを覗く。京は着替え終わっていた。


 京は振り返ると、


「ぶかぶか」


 と言って、困ったように、だが幸せそうに微笑んだ。こっちまで幸せになっちまうような笑み。裾が長過ぎて、爪先しか出ていない。


「そうだな。足引っ掻けて転ぶなよ?」


 すると京はぷうと頬を膨らませた。犯罪的に可愛い。


「それ、俺の足が短いって事?」


「そうじゃない。俺より全体的に小ぶりなだけだ」


 頬の緩みを堪えながら、俺はきちんと畳まれた京のTシャツとジーンズを手に取った。だが次の瞬間、俺は表情を凍り付かせた。


 手にした京のTシャツには、肩の辺りに真っ赤なルージュがついていた。


「……京」

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